t-times♪

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何気なく感じたこと、知ったこと、気づいたこと、考え等、日々のいろいろな思いをoutputしていきます☺

学校って
何のためにあるのかな

と思うに至る。。

「勉強」ができるようになる
のがやっぱり1番の目標、かなぁ。

先日WELL BEING WEEKのお話でもあった通り、
基礎学力がつくって、
本当に可能性や選択肢を広げることに
繋がることだと思う。

基礎学力があると、
自分が知りたい!て思ったことを
学んでいくことを
助けてくれる。


でも
学問的な「勉強」は
今やありがたいことに
家にいながらにしても
結構、賄える手段が増えてるように思う。

場と時間を共有しながら、
自分以外の人達と、集まって、共に育つ。

「人と共に生きる・活動する」を
経験させてくれる
体感していく時期を過ごせる


『社会』で共に生きる、を学ぶ経験ができる
というのが
学校の醍醐味なんじゃなかろうか

特に幼少期、
知らずと吸収していることって
ものすごく多いんだろうなぁ。

その時期に
『社会』や『あたりまえ』を
身につけて‥

育ち、
いずれ「学び」をいっぱい吸収して、
それぞれの経験と特質に応じて
花を咲かせる時期が
やってくるんだろうなぁ‥

何事も一長一短かもしれないと思いつつ
私が通った小学校も中学校も高校も
聾の同級生も
盲の同級生も
いなかった。
器質的事情で、声が出しにくい子や
支援級で過ごす時間の多い子はいた。
メガネ使ってる子、いた。
補聴器使ってる子、いなかった。
杖ついてる子、高校の時1人、いた。
緘黙の子、いたか、わからない。


WBWの準備期間中、
手話の文化について
想いを巡らす時間が多く

その中での
苦〜い、でもとても、大切な経験。

ある日の手話サークル終了時の雑談時、
「聾の方と日常生活で昔も今も、これまで滅多に出会う機会がなくて‥」と私は発言して。
会話のお相手の方から
「‥見た目では(難聴の有無は)わからないからね。(そこら辺にいるのに、あなたが気づいていないだけでしょう。)」

すーごく、ショックでした。
恥ずかしいと思った。
「見えない障害」に、気づかないということ。
STなのに、が輪をかけて
ものすごく情けないと、、
それと同時に、
‥気づかないって、こういうことか、と‥思いました。

オランダの小学校の教育のシェア会で
オランダでは、
不登校は認められないと。
公の「学校」が
不登校児が出るような、
誰かを受け入れられないような場であってはいけないと。
もし誰かが来にくい、
という場合、
それは学校が、
何かを変える、対応する、必要があると。

ほー‥!👀‼︎
と思いました。

人口減少社会に突入!と言っていて
社会的資源の分散、
している場合じゃない気もする、
とも、思ったりもする‥

長くなってしまいました、、!

ありがたいことに
これまで受けられてきた
高等教育は
何のために‥?

そしてまだ
また、
何を学ぼうとする‥?

専門性を高めること、
価値があり、
とても大切なこと。

だけれども、
知的好奇心を満たした先が
独りよがりでなく
社会の困り事の解決の一助となるもので
ありたいと
できれば
視野広くありたいと

願う気持ち。

貪りでなく、
還元、
できていますように。

学びと気づきの日々に感謝💝


クラファン・CAMPFIREで
「バリアフリー教養大学」の設立が
目指されていることを教えていただきました。
これは
すっごいNEWSだと、
思いました。

今までにない「前例」!を作る挑戦。
ここから
何が生まれるだろう、
どんな優しく豊かな波紋が
広がっていくことだろう‥!

応援したい気持ちでいっぱいです。