自分にとって大事なことを忘れるとは厄介なことである。後々絶対使うものなのに廃棄して困るのは自分なのに自然のリズムからすれば自傷行為みたいなもので大分おかしいことではないか。大体、ストレスの限界と自己中心的な存在の圧迫でなってしまう。と思う。被害者は複数だ。俺と年齢がその上とさらにその上の人達。どこかで問題が生じて、ずっと染み込んで俺のところまで浸透して。その染みを、俺から、つまり俺を脱色すればその上の人をまた脱色すれば良いのに。
だが、まともじゃない。子供のまともな面なんか親は恥ずかしくて見せられない。そういう親の世界の嘘の都合の良い現実のサンタさんは良い子供に罰を与えるから。わかるようでわからない。じゃなくてわかるんだよ。
自らの内に独裁政権を作り出して厳格な法律と規制で自らを奴隷のように管理する人も居るらしい。内外の見た目とか表情とかとは無関係に内部では全く一致しないサディズムが行われている。自覚なく矛盾する行為が無駄であるのはわかる。
わかる、つもり。
人の介入なしに自分は変われないだろうし、こういう問題に対して自分は無力であると思う。洗脳とかそういう事になるからだ。彼等によれば全能の支配者と完全無欠の支配と因果の無視と敗けが確定した未来が彼らの幻想であるからして、自らは無力である。果たして、どれだけの人がこの洗脳から脱出しただろう。たぶん、居るのだろうがそれを確かめる術も無いけど実はあるから気付けないだけ。
かなり、現実は楽しかったりする。だから、死んじゃいけない。それがわからない人がどれだけ居るだろうということも気付けないだけ。
感じて、観たことは大体正しくて間違ってるのは周りで。周りは全能だから忘れさせることも出来る。けど全能じゃない、周りから観れば。周りは善意で悪をやってる。無能の癖にあなたのためだからとかといって。周りは捉え所がない。けど周りにとっては捉え所しかない。全ては周りの都合良く、周りへの無関心を隠すために。周りは周りではない。周りは悪の中心で無力であり何もないから。実のところ、それを中心に回り生きているくせにそれは存在しないからまるで関係なくても生きていけるのだから。まるで鏡を追いかける感じだ。つまりは現実であるからして妄想であるからして。死ぬとかいってさ、いやいや、生きる方を選ぶと決まってんじゃん。濃度が辛いよね。察しは付いてても察しは関係ないから。人は正しい選択を無下にして無下にしたことをあやふやにして教典にするわけで。瞬間的な感覚の矛盾を指摘することは無駄であり無駄ではない。
※観るとは物事を間違いなく正確に捉えること。
しかし、情報は無慈悲だからあるいは無関心だろうから、裁きとかを下せるわけで。真に受けないと嘯いて居る人たちに冷や水を浴びせるわけで。
まともな人の介入があってこそ、人は認められる。そこに問題や存在しない存在が在ることを。洗脳が中心を食い荒らし自らの威力と情報と人の介入を隠して。希望を希望的観測だと隠し、未来を立ち止まらせることだと教えて、夢を忘れさせる。そして、勝ち負けが一体化している。人が介入すればそれは勝ちとなり、途絶えれば敗けとなる。馬鹿馬鹿しい。そんなわけない。阿保だろう。だが、それが自らの存在を生み出してそこに在るべきと教えてくれる正しい論理的な世界の理であり、しかし全ては周りの都合良く出たナイフのような言葉を解釈して生まれたマトリクスである。