こんばんは。
ご覧頂きありがとうございます😊
本日も想像力と荒野の三七五六四というテーマで
愛は憎しみを越えて(1987)
(原題:SCALPS)
という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
★荒野の三七五六四とは?
本日の作品の原題は「SCALPS」!
「SCALPS」はヘア系製品でおなじみの「頭皮(スカルプ)」という意味ですので、マカロニ・ウェスタン作品という事であれば頭皮の皮をはぐネイティブ・アメリカンが登場する映画たど察して頂けると思います😊
では、どうして邦題はラブロマンス映画のようなタイトルと、ファンタジー映画のようなポスターとなっているのでしょう?
↑安彦良和氏風のファンタジックなイラストで
マカロニ・ウェスタンに見えない日本のDVD!
ジャケットのデザインは、フランスで公開されたバージョンを利用したものですが、邦題を「スカルプ」にしなかった理由は、1983年に製作された同名のホラー映画が既に「スカルプ」という邦題で公開されてしまっていたからだと思います😄
↑フランス版ポスターはコチラ!
↑そして1983年に公開された「スカルプ」はコチラ!
どちらも日本では未公開の作品なのですが、1983年の「スカルプス インディアンの悪霊」が2020年10月23日に発売で、「愛は憎しみを越えて」は2020年10月30日発売となっているため、たった1週間の発売日の差で「スカルプ」というタイトルの争奪戦に負けてしまったのかもしれません
↑ちなみに「スカルプス インディアンの悪霊」は
来月ご紹介させて頂く予定です😁
なお本日ご紹介させて頂く「スカルプ(愛は憎しみを越えて)」はファンタジーでもホラーでもなく、ネイティブ・アメリカンの頭皮剥ぎの習慣を野蛮だと蔑む白人側の蛮行を描いた「本当に野蛮なのはどちら?」という事を観客に問う映画となっているのです…
↑ネイティブ・インディアンが野蛮な民族?
だったら彼等を迫害した白人は??
「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。
本作に登場する南軍の残党一味のボスのコナーは常軌を逸した司令官!!
彼等は南北戦争が終結した後も山岳の砦に立てこもり、捲土重来の日を待ちわびていますが、北軍に勝つための軍略も戦力も備わっているとは思えないコナーの部隊は、軍隊の格好をした野盗のような存在!!
↑部下を鼓舞する顔にも狂気が宿るコナー!
やがて来る北軍への反撃の日まで、周囲を通る馬車など襲って軍資金を集める日々を送っていたコナーたちでしたが、ある日コナーは、近くのネイティブ・アメリカンの集落に住んでいる酋長ブラック・イーグルの娘ヤリンを自分の愛人にしたいから差し出す様、ブラック・イーグルに伝えるよう部下に命じます!
…ねっ!
常軌を逸しているでしょ😟😟😟
当然ですがそんなコナーの部下たちも、人間としてのモラルを持たないならず者のような愚連隊!!
ブラック・イーグルがヤリンを差し出す事を拒否すると、部下たちは集落に襲い掛かり、ネイティブ・アメリカンたちをレイプしたり首をはねたりして、ヤリン以外を全滅させてしまうのです!!
↑おいブラック・イーグル!
お前の娘をもらって行くぞ!
↑ふざけるな!立ち去れ!!
じゃあ、お前たち皆殺しだ!!!!!
武術の心があるヤリンは、果敢に反撃して何人かの兵士を倒しますが、仲間を殺された事で逆切れした兵士たちによって激しい暴行を加えられた上に、首に縄をつけられ家畜のように扱われる事となってしまいます!
↑こんな扱いで充分だ!ギャハハハ!
けれど不屈の精神を持つヤリンは、野営中に兵士たちの元を脱走し、腕を縛られたまま荒野を彷徨った末に、元コナーの部下だったマットという男が一人で暮らしている荒野の一軒家に辿り着いたのです…
↑銃座で殴られ失明寸前のヤリンは
逃走した末にマットの家に辿り着きました…
さて、必死で兵士たちの元を逃亡して来たエリンに対して、元コナーの部下だったマットは、どのように接したのでしょうか?
それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。
↑突然の闖入者エリンを警戒するマット!
果たしてエリンはどうなってしまうのでしょう?
皆様がご覧になる楽しみを奪わないよう、これ以上詳細を書く事は差し控えさせて頂きますが、エリンが白人によって一族を殺されたの同様、マットもネイティブ・アメリカンの襲撃によって最愛の妻を殺されてしまった過去がある男!!
↑マットの家の前にポツンとあるのは
ネイティブ・アメリカンに殺された妻の墓!
当初、そんな二人の間の心には、同族を殺した民族に対する怒りの炎が燃え盛りますが、コナーの残虐さを知っているマットは、ネイティブ・アメリカンに対する怒りではなく、残虐な行為をする人間に対する怒りをコナーに向け、ヤリンに力を貸すようになっていきます。
↑俺が怒りを向けるべき相手は民族なのか?
それとも女性を暴行する人間になのか?
そして、そんなマットのやさしさに触れたヤリンもまた、マットが白人であるという怒りを捨て、親近感と友愛の情を深めてゆきます😊
おおっ!
という事は邦題の「愛は憎しみを越えて」というのは、あながち間違ったタイトルではないという事??
はい。
もしこの映画をヤリンとマットの心の動きを描いた映画だと考えるなら、この邦題でもOKだと思います😊
けれど本作の後半では、なぜコナーの心が狂気に犯されていったのかが明かされ、本作は単なるラブストーリーではなく、人の心が向かう先には、愛と狂気があるという事が描かれた哲学的な作品だという事がご理解頂けると思います!
↑妻がいるにも関わらず
エリンを愛人にしようとするコナーは
死んだ娘を懐かしんでいる妻を面罵します!
なぜコナーの家庭は崩壊しているの
そう。
人間は、想う事によって人格が変化していく生き物!
マットとヤリンが相手を想う気持ちによって、辛かった人生から救われていったのとは対照的に、コナーは相手への怒りによって人生を狂わせ、狂気の世界へと堕ちていった男だったのです…
前出したように本作の原題は「スカルプ」!
ネイティブ・アメリカンたちが相手の魂の継承として行っていた頭皮を剥ぐという行為も、怒りで見境を失った人間にとっては、残虐性を満たす怒りの代償行為のようなものでしかなかったのです…
↑怒り→凶行→怒り→凶行を繰り返している
コナーの心の奥底が垣間見えるのは終盤!
原題が「スカルプ」である意味は
映画のラストで明らかにされるのです…
という訳で次回は
よくあるできごと
というテーマで
殺しが静かにやって来る
という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘
ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆
★おまけ★
併せて観たい三七五六四(みな殺し)映画
「死霊のえじき」
勝機のない戦いを続けると人はどうなってしまうのでしょう?
ゾンビにおいつめられ、地下シェルターに籠城する事となった兵士と医師は、絶望の中でお互いが狂気の闇へと落ちていってしまうのです…