こんばんは。ご覧頂きありがとうございます😊
本日も想像力と発掘良品の発掘⑫というテーマで
第七の封印
(原題:DET SJUNDE INSEGLET)
という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
本日から3回は、かの北欧映画界の至宝と呼ばれるイングマール・ベルイマン監督作品のご紹介!!
巨匠たちから惜しみない賛辞を贈られているベルイマン作品を、私ごときが解説するのは大変おこがましい事とは思いますが、発掘良品にセレクトさせている以上、仕方がない事だとご容赦いただければ幸いです😅
発掘良品第53弾でセレクトされているの「第七の封印」、「処女の泉」、「野いちご」という作品はいずれも、自分の心の中で神と禅問答をするような作品となっていねのです…
↑皆様は、神と心の中で問答する事はありますか?
「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。
「野いちご」「処女の泉」のイングマール・ベルイマンの生と死の問題を鋭く追究した思想ドラマ。
題名はヨハネ黙士録からとったという。
撮影はグンナル・フィッシェル、音楽はエリク・ノルドグレンら、ベルイマンの協力達、主演は「処女の泉」のマックス・フォン・シドー、「野いちご」のグンナール・ビヨルンストランド、同じくビビ・アンデショーン、舞台俳優ベント・エーケロート、スェーデンのコメディアン、ニルス・ポッペなど。一九五七年カンヌ映画祭で「審査員特別賞」を受賞している。
はい。
解説にある通り本作は、生と死の問題を鋭く追究した思想ドラマ!
本作は「第七の封印」というキリスト教のヨハネの黙示録という聖典の中にある、最後の審判が始まる直前に起こると言われている人類滅亡の7つのステップを記した逸話がタイトルとなっているため、人類滅亡の大ディザスター(災害)映画のように思われかもしれませんが、本作で描かれているのは、世界的な滅亡ではなく、もっと身近な等身大の災厄!
↑最後の審判の直前に七つの封印が解かれ
次々と現れる災厄によって人類の大半が死に絶える
「第七の封印」の絵画は、ディザスターテイストですが…
↑本作で描かれているのはもっと等身大な人類の最後…
本作の主人公のアントニウスは、スウェーデンの騎士として長い間十字軍に従軍してきましたが、十字軍は大失敗に終わっただけでなく、大量の死者によって戦場で疫病が発生し、前線からヨーロッパ全域へと広がりつつありました…
自らも疲労困憊し、従者のヨンス共々死に瀕していたアントニウスは、突如自分の目の前に死神が現れ、自分を迎えに来たと告げて来た時に「死ぬ前に、もう少しだけ時間が欲しい」と死神に伝えたのです!
↑海岸で倒れているヨンスとアントニウスの前に…
↑死神がアントニウスを迎えにやって来ました!
なぜアントニウスは、もう少し時間が欲しかったのか?
それは、生きていた意味や価値を確認したかったから!
肉体的には朽ちて行きつつあったアントニウスは、人生の最後に、生きていた意味を考える時間を欲していたのです!
うん。
これって、誰もがきっと死の直前に考える事なのではないでしょうか?
アントニウスはチェス好きの死神に向かって、チェスの勝負で勝敗が決するまでの時間を生きる猶予して与えて欲しいと頼み、死神と対局を始めます!
↑さぁ死神殿。私が死ぬまでの一局、お相手願います!
さて果たしてアントニウスは、死神とのチェスが終わるまでの間に、自分の生きていた意味や価値に対して納得のゆく答えを導き出す事ができたのでしょうか?
それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。
↑「ところで白黒どちらになさいますか?」
「死神だから黒にするよ😊」
と、ここまでの解説は、映画開始5分までの出来事。
この後アントニウスは、従者ヨンスと共に、妻の待つ自宅へと向かって旅を続けていきますが、この後アントニウスは殆ど喋らなくなってしまい、彼が生きている意味や価値を見出せたかどうか判然としません。
ですが代わりに陽気なヨンスや、帰途の間に出会った人々は、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、祈ったり、人を殺そうとしたり、親切にしたり、哀れんだりと、人間の様々な側面をアントニウスに見せてくれます😄
↑死というものに直面した日…
↑死を笑い飛ばしていたあの頃…
↑弱者を虐めて楽しんでいた事…
↑家族団らんの楽しかった日々…
↑社会や政治について語り分析していた時…
あまりにも多くのエピソードが挿入されているので、ストーリーの全容が分かりにくいかもしれませんが、これらの映像はアントニウスにではなく、観客である私たちが生きて来た時に観た人生の様々な瞬間を見せてくれているもの!!
↑あなたも、死の恐怖に怯えていた日があったのでは?
そう。
ベルイマンが本作で提示している「第七の封印が解かれる時」というのは、ディザスターで世界が崩壊するのではなく、死にゆく人の心の中で様々な思い出が一挙に去来する混濁した状況ではないかと思われます。
↑死神と命の時間をかけてチェスをしているという時点で
意識が混濁している可能性がありますね…
では人間の最後というのは、死神が来て、意識が混濁して終わりを迎えるという哀しい結末なのでしょうか?
いいえ。
本作のラストは、絶望的なものではなく、死への恐怖を和らげてくれるような救いのある結末!
登場人物の中で唯一、天使や死神が見えると言っている善良な旅芸人は、死に゛身に連れ去られてゆくアントニウスたちの姿を遠くから目撃しますが、旅芸人の妻は笑いながら「いつも夢ばかり!」といって夫と子供と共に去っていきます。
人間は死を恐れ、生きる意味を探し苦しみますが、それは他者から見れば夢のようなもの。
たとえ自分が死んだとしても、ヨハネの黙示録のように世界が破滅ことはなく、また次の世代が新しい人生を歩んでいくだけの事ですよ、と説いている本作のラストは、優れた禅問答のような清々しい生死観ではないかと思います😄
第七の封印の恐怖は、死にゆく人の心の中だけのものであり、自分が死んだとしても世界は昨日と同じように続いてゆくものなのです…
↑「大変だ!アントニウス様達が死神に連れ去られるよ!」
↑「いつも夢みたいな事言って😊さぁ、出発しましょ!」
たとえ自分が死んでも、世界は何事もないのです…
という訳で次回は
神よ何故奪い給う!?
というテーマで
処女の泉
という映画をご紹介させて頂ければと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします😊
ではまた(*゜▽゜ノノ゛