こんばんは
ご覧頂きありがとうございます
\(^▽^)/
本日は
想像力と
ファイティング・ガール
というテーマで
あなたの腕で抱きしめて
という映画を
ご紹介させて頂ければと思います。
死を肯定する勇気と覚悟
他者の死を看取るというのは
辛いことですね。
一日でも長く生きて欲しい。
希望を捨てないで頑張って欲しい。
生きる事を諦めないで欲しい。
そんな思いで死に瀕した人に寄り添うのは
自然な事ではないかと思います。
…けれど。
もし、死に瀕した当事者が
生きていたくないと考えていた場合には
どうすれば良いのでしょう?
本作は、安楽死を望んでいる人と
どう接するべきなのかを問う
シリアスな問題を描いた作品なのです。
アバウトなストーリー
主人公のマリアは看護師さん。
彼女は、担当している全ての患者さんを
優しく大切に看護していました。
↑とてもホスピタリティのある看護師のマリア。
けれど、彼女が担当の
全身麻痺のニールスという患者は
マリアの隙をついて
手首を切って自殺しようとしたのです!
ニールスの自殺未遂の理由は
人生に絶望して死を望んでいたから。
自殺未遂後に彼は
安楽死が認められているスイスに行き
自ら命を絶とうと考えますが
全身麻痺のため
一人でスイスに行く事ができず
年老いた母親にスイスに同行してもらい
安楽死に付き添うよう頼みます。
けれど、息子が死を選択する事を
認められない母親は、同行するのを拒否し
自分の代わりにマリアに
息子の最後を看取って欲しいと頼みます。
けれど人を救助するのが看護師の仕事。
自死をサポートするのは
看護師の仕事ではありません!
けれど、マリアは
引き受ける事にしたのです!
さて、マリアとニールスの旅は
一体どんな結末を迎えるのでしょうか?
それは是非、皆さん自身の目で
ご覧になって頂ければと思います。
↑自分が介護していたニールスの自殺未遂に
激しいショックを受けるマリア。
看護師としての任務を全否定されたマリアは
自分に何ができるのかを考え
ニールスの願いを叶える事にしたのです。
生きる事は常に正しく
死の選択は不正解なのか?
死を望んでいるニールスは
彼を看護しようとするマリアに対して
冷たく接し続けます。
ニールスからはマリアの行為が
偽善的にしか映らず
生きる事に何の意味や価値があるのかを
彼女の日常を批判しながら
否定し続けます。
↑何のために俺について来た?
俺の死を助ける事で
自分の人生の意味を見出そうというのか?
お前は偽善者だ!
死を望む俺を助ける意味なんない。
だからこの旅の中で
看護師という仕事をしているマリアは
憐れみや同情ではなく
心から死を願うニールスのような人間に
どう接するべきなのかを
自分自身に問いかける事になるのです。
↑手も足も動かない。感覚もない。
生きているのが辛い。
心からそう願っているニールスに対して
同情や憐れみではなく
どんな行動をするべきなんだろう…
この問題に答えるのは
極めて難しい事。
きっと多くの人は
自分の感情や仕事を優先してしまい
死を願う当人の希望を
自分自身も受け入れるという決断は
行えないと思います。
けれど、もし死を願う人間にとって
それが一番望ましい事なら…
そう。
人生で最も過酷な戦いとは
感情を超えて
相手の死を選択する事を受け入れる
という事ではないでしょうか?
マリアは、ニールスとの旅で
心から死を望む人への看護とは何かを
理解していくのです。
↑自ら死を選択した人の尊厳を受け入れる
という選択は
モラルや倫理とのファイティングなのです。
と言う訳で次回は
皆のために戦う!
というテーマで
セブンス・シスターズ
という映画を解説してみたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。
ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆
おまけ
死を受け入れるという感情に
興味がある方へ…
尊厳ある死を否定される恐怖に
興味のある方へ…
死を受け入れた人との交感に
興味がある方へ…