こんばんは
ご覧頂きありがとうございます
\(^▽^)/
本日も
想像力と貴君の名は。
というテーマで
イノセンス
という映画を
ご紹介させて頂ければと思います。
前回、映画における引用の効用について
ご説明させて頂きました。
引用が多用されたのは
世の中に情報量が増えた80~90時代
インターネットなどが普及し始め
収集できる情報の量が爆発的に増えた
80年代から90年代は
知識を蓄えた人たちによって
様々なものを引用をして
作品を作る事が流行った時代だったのです
ヽ(=´▽`=)ノ
このシリーズで
本作品を選ばせて頂いた理由は3つ。
推薦理由①
90年代に一世を風靡した
知的な引用とレトリック
そしてポストモダン的近未来像が
混在している映画だから
本作を一切の前提条件なしに観ると
とても難解に感じるアニメ
とてもシンプルで分かりやすい展開の
近未来の刑事モノのなのです。
人とサイボーグとロボットが
混在して生活するようになった近未来。
↑機械だらけになった近未来の都市。
ロクス・ソルス社という会社が作った
メイド用の少女ロボットが
雇い主を惨殺する事件が多発しました。
まるで、自殺したように…
ロクス・ソルス社は
プログラム・ミスによる暴走と説明しますが
殺された被害者の家族全員が
事件を告訴せず
示談で済ませている事に不信を抱いた
ロボットやアンドロイドによる事件を捜査する
公安九課の刑事のバトーとトグサは
事件を起こしたロボットが普通の仕様ではなく
何か細工がされている事に気づき調査を始めます
↑事件を担当する公安九課のバトー(右)とトグサ(左)。
けれど、調査を進めようすると
重要参考人が次々と殺されていくのです!
さて、少女ロボットには
一体どんな謎が隠されていたのでしょう?
それは是非、皆さん自身の目で
回収してコンピュータを解析します。
ロボットやアンドロイドが起こす犯罪事件では
死体に別の利用価値があるのです!
本作のテイストは
1940年代のフィルム・ノワールという
ハードボイルドの雰囲気を彷彿させるもの。
寡黙で冷徹なバートは
脳内にバグ・プログラムを仕込まれたり
銃撃戦に巻き込まれながらも
一つの現場で、次の手掛かりを見つけながら
事件の真相に迫っていきます。
↑脳内にバグを仕込まれてしまい
現実の映像にノイズが入ってしまうバトー。
今未来、視覚を機械化すると
こんな状況も起こるかもしれませんね!
…なんか難解じゃなさそうですね
( ̄_ ̄ i)
けれど、実際の映画を観ると
頭が混乱してクラクラしてくるような
不思議な感覚に陥るのです。
その理由は、バトーやトグサの会話の中に
頻繁に引用が用いられるから。
↑ネットハッキングしていた時
相手が突然、再起動をかけてきた為に
強制排除されたトグサ。
トグサとネットを仲介していた男は死に
画面上に
生死去来棚頭傀儡一線断時落落磊磊
という文字が浮かび上がります。
これはストーリーにはあまり関係はない
世阿弥の能落書「花鏡」の引用。
皮肉に満ちた使い方なのです!
この映画に登場する人間たちは
頭がネットに接続されており
気の利いた言葉を検索しながら
会話をしているのです。
けれどネットに接続されていない私たちは
彼らの会話内容が理解できずクラクラするのです。
これは、近未来のサイバーパンクな世界を
観客に体感させるための手法の一つ。
その他にも、東洋の文化が混在した風景や
お祭りなどが登場し
私たちを未知の世界へと誘っていくのです。
↑この時代の樺太は、経済特区として発展した後に
様々な非合法な企業が入り込み
無法地帯となってしまった危険地帯になってました。
引用による言葉の難解さ。
人間と機械の融合した不可解な感覚。
そしてモダンデザインを超越した
地球のどこにもないポストモダンな世界観。
これらによって生み出された
不思議な未来の世界へ旅する事ができるのが
本作のもう一つの魅力なのです。
推薦理由②
わざと難解にする事で
理解不能な世界を生み出すのは
知的な遊戯に似ている
↑まるで夢の世界のよう。
果たしてこの時代における現実感覚とは?
本作は、我々が普段意識していない
境界線が揺らいでいく映画。
人間とロボットの境界とは?
現実と虚構を区別する境界とは?
電脳の記録と
人間の記憶の境界とは?
そして
生命における
価値と無価値の境界とは?
という、簡単には答えの出ない問題を
観客に投げかけてきます。
↑犬を飼っているバトー。
全身サイボーグとなっているバトーにとって
犬がなついてくれるのが
自分が人間であるという証明なのでしょうか…
そんな本作は、極めて緻密に作られた
近未来の人間のあり方を問う
シリアスで哲学的な映画でもあるのです。
推薦理由③
人間とは一体何か?
というのを問い続ける事が
哲学の本質である
本作を監督した押井守氏は
夢と現実、引用やレトリックを多用しながら
哲学的な本質を探究する知性派のアニメ監督。
彼の作品は、観終わった後に
この映画って
何を語っていたのだろう?
という問答を始める事で
真の価値が生まれて来る作品なのだと思います。
↑少女ロボットの出荷担当者が持っていた
人間の子供のホログラム。
彼は何を想い、これを持っていたのか?
それを考える事で
事件のヒントは見えてくるのです…
と言う訳で次回は
21世紀の引用
というテーマ
劇場版 文学少女
という映画を解説してみたいと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。
ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆
↑押井守氏の作品については
「家族の定義」という問題について描いた
「御先祖様万々歳!」という傑作も
ご紹介させて頂きたいのですが
引用についての解説を
先に終わらせてしまいたいので
しばらく後に、改めてご紹介する予定です
ヽ(=´▽`=)ノ