約一ヶ月前のできごと
なんか落ち着いたら上げるわ
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やっぱ上げるわ。
文章ぐちゃぐちゃだけど雰囲気だけ掴んで貰えれば
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親父が死んだ。
2ヶ月前に入院して、末期がん宣告。
余命3週間だったのですが最終的に2ヶ月でした。
ウチの家庭は人に自慢できるようなその円満家庭じゃなかった(とぼくは思って居る。)
幼い頃から父と母が何やらヒリついている雰囲気で、気がついたらそういうの敏感になってしまって
今でこそ"気が利く" と仕事や渉外で活きてはいますが、学生時代MMOやっていた頃はそういう情報(特に物音なんですが)敏感すぎて
情報量過多で取捨選択がノロマ、結果的に瞬発対応が本当に苦手で"周り見えていない"の烙印押されたり、していました。
そんな訳で家庭逆恨みしますよね。なんでこんな無能にしたのかと。他にも逆恨み事例あった気がする。
いわゆる思春期はおとなしいタイプ(というかおとなしくしておけばヒリつきを避けられる)タイプだったので、遅れてきた思春期です。
カンニングひのえね!? 青年期散々爆発しました。親に手出して👮一歩前になったりもしました。
(まぁ両親も👮一歩前案件あったしなんなんだこの厄介家庭…)
子供の頃は幼馴染みの友達の家庭見て比較しては羨ましいの他人芝のそれでした。
青年期を経て親を個人目線で見られるようになってだいぶ代わり鼻で笑えるようになりました。
まぁ一般の家庭はそれがもっと早い(特に姉弟の年齢近いとそうなのかな)
とにかく私の場合は独り暮らし(21歳~)でようやくそれに気づく感じだった。
その後マスオさんになったり離婚したり色々経験して親との距離感について学ばされました。
離婚後(27ぐらいかな)ようやく自分の個性で親と対話できるようになったんですよね。
さぁて話が変わりますがプリティーリズム・レインボーライブ ありますね。
私が勝手にラベリングしているかもですが「不健全家庭合同」と称しています。
それぐらい健全家庭と不健全家庭の対比が描かれます。
あとプリパラ1stSeason 特に24話辺りかなぁ。
とある人(らぁらママ)が 嫌いは好きの裏返し なんて言うんですよ。
今その二つを噛み締めているのかなぁ…
とにかくその人にどんなに憎さを覚えていても、その人が居なくなると燃え尽きたように寂しくなるわけです。
いま、ぼくがその状態だとは認識しています。
ところで親の介護、予想以上に大変だと思われます。
寝たきりになったりしたら自分のリソース(時間・お金)が親に奪われます。
そういった点で言うと結構あっさりというか、いや本当に最後あっさりでびっくりして
最初余命3週間て言われて緩和ケア入院だったんですが1ヶ月後にはだいぶ元気になって自宅療養可能に。
(今思い返すと首から栄養突っ込んで(CVとかIVHとかいわれるもので)ある程度元気になったと思って
一時的にQOLを上げる方法なのかな…)(在宅時は首点滴無かったので…)
その後も食は細くでも最低限の生活動作(ADL)は全然出来ていて、あと1年は大丈夫でしょ(ヘラヘラ)だったんです。
わたしもまぁ大丈夫でしょ(徐々に弱っていくならイベ中止だな)とイベントカチ込んでいて特に11月初旬はたくさん入れていました。
ただ11月初旬は本当にイベ突っ込み過ぎたので不要なヒリつきを避け、両親には大っぴらにせず都内にこっそり行っていました。
元気だったんだもん。
急死する日も早朝仕事→高速バス停直のムーブで家に立ち寄りませんでした。
高速バスまで時間に余裕があってあのとき家に立ち寄ってたら…
不器用な家庭ですのでそんなに会話に花が咲きません。
前日に「チンしとくね」ぐらいの日常会話がわたしがした最後の会話でした。
わたしがその日のイベが終わる頃「親からまた病院に入院した。今度は本当に長くないかも…」旨の連絡が来ました。
その日は早朝から仕事→イベだったので帰宅即睡眠のムーブでした。
深夜0時過ぎててお見舞いいくにも遅いな…
明日でいいやオヤスミィ…そんな気分だった。
睡眠後2時間で病院から電話。母と一緒に病院に向かう。
病室はナースステーションの隣(危篤度高)と心電図に0表示。
まだ寝てると思ってた。
まぁ色々あっていまお通夜前なのですが死化粧きれいでまだ寝てるみたいですね。
(今後のために献体しました。大腸・肝臓・胃の癌の所見だったのですが膵臓が予想以上にヤバかったようです。)
ほんとぐうたら寝からのすや寝のほんと気持ちよさそうな寝顔。
家に安置ができないので斎場安置でお線香上げに行ったのですが急にこみ上げてきました。
ご飯と団子お供えするんですけど、生前利用してた箸とお椀使うんですよ。卑怯。泣く。というかまだ生きているんじゃ無いかと。
なんでしょうね。本当に。一緒に居ると一方的に話聞かされて退屈なのになんででしょうね。
お見舞いは仕事前に毎日15分顔出していました。ぼくは睡眠時間が減るのでアレだったんですがそれでも向こうは嬉しそうでしたね。
うちの家は団欒が無いに近かったし、というか団欒が嫌いでした。ネカフェみたいな食事スタイルが一番似合ってると思って居る。
よく家族崩壊しなかったな、離婚しなかったな。なんなら父母に各々実家に帰ればと言ったことがあります。
お互い悲しんでいたけど。親としての役割が上回っていたのかな。クズじゃなくて本当に良かった。
これは親と会話するのが面倒・話したくない(1日以上話さないことがある)オタクに是非伝えたい事なんですが
親が緩和ケア(余命宣告)受けたら出かける前・帰ってきたら顔だそうな。会話面倒臭くても。
亡くなる10日前から○○(好物)食べたい(消化器がオワコンで普段腸炎食・緩和ケアなので食べたいものあったら食べさせてあげてOK)
と言っていたのでわたしは買ってきたり母は作ったりしていた。
まぁ最後食べたいもの食べれて本当に良かったのかなぁと。
疎ましく思って居た存在が急にさみしくなる。
人間って本当に自分勝手。都合が良い。わたしの弔い涙は99.99%悔し涙。
自業自得なのに。本当自分勝手な自分が嫌いだけど。
気が向いたら続き書けるかも…