病名が全身性エリテマトーデスとわかり、内科の個室で治療が始まる。
退院は、次の年の春だった。
転科初日まゆから流血!
眼科から内科に移ったその日に、意識が一瞬なくなり倒れた私は、左眉から流血した!
消灯時間を過ぎてトイレに行きたくなった。
なぜか、個室にトイレがあることを忘れていて、共同のトイレに行こうと思い、部屋を出た瞬間に意識がなくなり倒れた。
メガネのレンズがガラスだったので、倒れた瞬間に眉を切り、そこから、流血していた。
看護師さんに呼ばれ意識が戻った私は「トイレいきたいです」と
看護師さんに部屋まで運んでもらい、ベットでポータブルトイレで用を足しホッとした。
慌てて数名の先生が、私のベットの周りにやってきた。本人には痛みなど自覚はなかったけどワーファリン(血液をサラサラにする薬)を5錠飲んでいたので、血がなかなか止まらなかった。
たまたま、眼科の主治医が夜いてくれたので、ベットに寝たままキズを縫ってもらった。
しばらく、私の左眼あたりはアザがヒドかった。怖っ!
安堵感
入院してふと思った。
もう、仕事してなくても怠けてるって怒られることないんだなぁ…と
安堵した。
先生に何度も言われこと
「プレドニンは絶対、勝手に減らしたらダメ!」と、
眼科の先生、内科の先生に何度も言われた。ホント耳にタコ!
なんなんだーよーと思うくらい、何度も何度も薬を勝手に減らしちゃダメ!と言われた。
なぜ、こんなに言われたのか、後に納得しました。
ステロイドパルス療法と腎生検
ステロイドパルス療法を計5回やったら、腎臓の数値がよくなった。
最初、1回(パルス療法を3日やり1日休む)を3回やって腎臓の数値はよくならず、
あと、2回やってみたら腎臓の数値がよくなった。
おかげで、2022年秋まで腎臓の数値は落ちついている。
腎生検を気合で拒否?

私は、腎生検を受けていない。
最初、予定していた朝に限って熱を出し中止になり、2度目に予定した時も朝、熱が出てしまい中止になった。
結局、腎生検は受けなかった。
よっぽど怖かったのか、気合いで熱出したっぽい。
スイカの思い出

母が、毎日スイカを持ってきてくれた。
腎臓がよくないと分かった日から、毎日のように。
母は仕事の休憩時間だったのか?
飽きるくらい、毎日スイカを食べた。
腎臓がよくなったのそのおかげもあるのかな?
星野富弘の詩画集に心がふるえた
変な言い方だけど、少しずつ人間らしい感情を取り戻しているような感覚があった。
ある日、姉が持ってきてくれた、星野富弘の詩画集をみて、ひとり泣いていた心にしみた。感動して心がふるえた。
とにかく、どの絵も、どの言葉も、当時の私には、響いた。
今までの不安、怖さ、ツラさ、我慢していた、押しころしていた感情がイッキに溶けていくように、涙が溢れ出ていた。
心の治療をしているようだった。
走馬灯のように

これが走馬灯のようになんだ。と思った出来事。
眠れない。
眠れない。
そんな日が3日くらい続いた。
そして、急に思いだされた過去のこと。
映像を見ているような感覚で、家族に対して、言ったこと、悪態、ヒドい、ヒドすぎた。
ヒド過ぎて、ツラくなってきた。ツラすぎて立ち直れないくらいだった。
そして、謝りたかった。
心から、謝りたかった。
お世話になった人たちにも、謝りたかった。
皆に心配してくれていたのに、それに気づかずにいた。
今まで、ひとりすねていた。
どうせ私なんんかと投げやり人生だった。
苦しくいくらだった。
反省した。
そしたら、次の映像が
楽しかったことや嬉しかったことが思い出された。
とても、幸せな気持ちになった。あたたかい優しい気持ちになれた。
(私は、この時はじめまして楽しかったことや、嬉しかったことがあったことにきづけた)
そして、そのあたたかさを感じたら、生きていけると心から思えた。
その日の朝
私は、ひたすら、泣いていた。出された食事も食べず。
朝も昼も。ずーーーと泣き続けていたら、あわてて主治医がやってきた。
話しかけられてもずっと泣いている私。
これをキッカケに個室から4人部屋に移ることになった。