1945年(S20年)8月1日の長岡空襲から、80年になりました。≫
この長岡空襲は、新潟県長岡市の中心市街地を標的にしたもので、1945年(S20年)8月1日20時30分頃から翌2日0時10分頃迄の間にアメリカ軍に依って大量の焼夷弾(925t)が投下され中心市街地の約8割が焼失した様です。≫
長岡空襲域は、新潟県長岡市の旧国鉄・長岡駅付近から西側に向けて信濃川東護岸辺り(大手通、船江町、表町、殿町、本町、上田町、坂之上、城内町、柳原町、柏町)まで激しい空爆を受けた様で、特に旧千手町、旧草生津町及び旧中島町辺りはかなりの大被害が出た様です。
それと、7月20日午前8時13分頃には、新潟県古志郡上組村大字左近(現長岡市、1954年(S29年)3月1日編入)に、8月9日に長崎県長崎市に投下された原子力爆弾(パンプキン型)の模擬弾が1発投下されていました。
今日は、この後22時30分頃から、信濃川の河川敷から白一色の花火(白菊)が3発(尺玉)打ち上げられる予定です。≫
因みに、明日と明後日に開催される長岡まつり大花火大会は、この長岡空襲の犠牲者の追悼と復興を祈念して始まりました。