大河のごとく滔々と | 『幸せの方へ』

『幸せの方へ』

もう このあたりでいいみたいですね 随分と旅をしました 何処を旅したのでしょうか そして 何を見つけたのだったでしょうか 不思議な思い出がたくさんあります 人生っていいですね いくつかの苦難もありました それも乗り越えてのことです

この世はそのまま、地獄であり、天国だったのでした。要は、自分次第だったのです。この世に生まれて、どう生きるかだったのでした。過去よりどうしても罪を重ねています。それを払拭して生まれ変わることができるのだったでしょうか。それが、仏法の目的でした。それでも尚、屋上屋、悪を重ねて生きるのでした。それを哀れと思われたのが仏です。掬われる道は那辺にあるのだったでしょうか。それを求めてかつて、西域への旅がありました。やがていつか真実が開示されるのです。難行苦行ではありませんでした。安楽行があるのです。法華経が説いていたのはそれでした。日蓮が法華経ではありません。聖徳太子が既に『法華義疏』を書いていました。これはとても自由な解釈でした。要点は、過去からの罪を大宇宙に対して懺悔することだったのでした。そしてその因縁を断ち切るのです。自分が犯した罪は業となって再び現れます。それを摘み取ることができるのはその種を蒔いた本人だったのです。こうしたメカニズムを明らかにしていたのが大乗仏法だったのです。それは今、日本にあります。日本にしかありません。そしてそれも今では、例えば在家禅となっています。それほど時代が急がされているからです。あらゆる修行の目的は身心清浄となることでした。そのために正直であることが大切だったのです。しかし、嘘が当然であるかのような世相です。専制君主制度は断頭台の露となって克服されています。それは市井に、啓蒙化された市民が溢れていたから成功したのでした。今はどうでしょうね。テレビとお笑いで、気づけなくされているのでした。そして支配されていたのです。目覚めるべき時節です。明るい未来が幸福追求権として、現代憲法理念で抵抗権と共に保障されています。学ぶべきはこうした学問でした。幸せになるためには、馬鹿になることではなかったのです。それが、支配のための最大のプロパガンダであったことが明らかとなりました。そして、新しい時代が始まっています。大丈夫です。ユトリロは青の時代から白の時代へと変遷しました。苦悩の英雄ベートーヴェンはいつか、悲しみの旋律が消え、喜びの歌となりました。人類はその方へ進化しているのです。大河のごとく滔々と。