●ルクレチア・ボルジアの自画像
夏の日盛りに林道を歩いていると、“斑猫(ハンミョウ)”を見つけた。何故かこの斑猫は人の歩く前を道路に沿って、まるで人を先導するかのように進む性質があるようで、昔の人は斑猫を通称で、「みちをしえ/みちしるべ」などと呼んでいた。
英語で Tiger beetle と呼ばれる斑猫は、本邦ではナミハンミョウという、日本では最も大型(体長約20mm)のもので、「奔る宝石」の異名がある美しい種類もいる。
このハンミョウ科に属するナミハンミョウの甲虫とは別に、鞘翅目のツチハンミョウ科が本来は、「斑猫」の漢字があてられる本家本元であり、毒虫で有名な昆虫なのである。されど「道先案内」として親しまれる種類のハンミョウ科は毒は有していない。
日本では大豆などの農業被害に、マメハンミョウが害虫として農家では嫌われものであるが、このマメハンミョウもツチハンミョウ科で有毒甲虫なのである。だから鳥もこの甲虫は忌避して食さない。
●マメハンミョウ
●中国の生薬でキオビゲンセイ{昆明の漢方薬店で一匹で約70円(1997年)だから高価な商品}
さて、斑猫の毒性とは如何なるものかというと、マメハンミョウに触れると乳白色の体液が出されるが、これに触れると皮膚がひどい水疱を生じて、火傷の水ぶくれのようになりヒリヒリと痛むのである。
この毒性は古今東西で昔から認識されていて、成分はカンタリジンであり、成虫、幼虫、卵にも含まれていて、人の口中から毒が入ると、糜爛(びらん)性の潰瘍を起こす可能性がある。
中国では漢方薬に、「芫菁(ゲンセイ)」というものがあり、これが斑猫のキオビゲンセイで生薬にされている。日本でもその昔にチンキ剤として用いられていた時期もあり、現在は認可されない生薬である。
生薬を微量に内服すれば、催淫、利尿、性病、躁鬱病、知覚麻痺などに効果があると漢方として昔から伝わる。
中国のキオビゲンセイの仲間は、英語では「スパニッシュ・フライ」と呼ばれているが、「スペイン蝿」と直訳してはいけない。空を飛ぶ虫を英語では一からげにして、西欧では「フライ」と呼ぶみたいである。
このスパニッシュ・フライは緑色で、和名を「西班牙芫菁」(スペインゲンセイ)とあてられているが、音読みでは「セイヨウミドリゲンセイ」などと呼ばれていて、学名を Lytta vesicatotra というツチハンミョウ科の蛍に近い仲間である。
●スパニッシュ・フライ(セイヨウミドリゲンセイ)
さてさて、微量にカンタリジンを内服すれば漢方薬にもなれば、多量に服用されれば毒性は砒素や鳥兜なみの有毒物質でもある。
18世紀末のフランスでは、放蕩貴族のサド侯爵が斑猫の粉末を媚薬に用いていた。この媚薬は「カンタリス」という名前で、カンタリジンを含んだ媚薬として巷間伝わる。
マルキ・ド・サドの小説に、「悪徳の栄え」の女主人公であるジュリエットは、カンタリス入りのボンボンを忍ばせて、見境無く毒殺を繰り返す犯罪を犯すが、現実にサド侯爵は、「マルセイユ事件」でカンタリス入りボンボンを娼婦に食べさせて、放蕩行為で使用し事件となる。
この事件で街娼マルグリット・コストは、膀胱炎と尿道炎を患い排尿が困難になる後遺症が残ることになった事が伝わる。
ルネッサンス期にチェザリー・ボルジア(1475~1507)と、その妹であるルクレチア・ボルジアは、秘蔵の毒薬「カンタレラ」を用いて、ローマ法王や権力者と手をくみ、暗殺を繰り広げたのは有名なお話。
ボルジア家の毒薬のレシピは残っていないが、「カンタレラ」はサド侯爵が媚薬に使用した「カンタリス」と同じく、カンタリジンを含有していたのは間違いないと思われる。
●サド侯爵の絵姿