生薬と香草の楽園 その1『マンドレイク・アップル』 | 空閨残夢録

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デカダンよりデラシネの戯言





 1998年の春、キリンビバレッジ株式会社から発売された新しいハーブティー「キリンHERBES(エルブス)」が、その当時ボクは大のお気に入りとなる。「キリンHERBES(エルブス)」は、紅茶と烏龍茶にカモミール、レモングラス、ラベンダー、ローズヒップなどのハーブをブレンドした新しいハーブティーだった。ほのかな甘さにヨーロピアンテイストの飲料に甲類焼酎を割ってよく飲んでいた。






 これは発売当時の日本人の嗜好には合わずして、半年ぐらいで市場から消えた商品である。ハーブをフランス語の発音で商品名にするなど、とてもオシャレで手軽な缶入り飲料だなって思うヒマもなく消滅した。あんまり売れないので在庫を抱えたスーパーなどは原価で叩き売りしてたので、ボクは箱ごと何箱も買いだめして、焼酎割にしてかなり飲んだ記憶がある。


 その頃の時代性として、ハーブはガーデニングやリラクゼーション等、心理面や精神的な分野においても健康志向への関心が高まりつつも、アロマテラピーやハーブティー等として活用され初め、日本で浸透しつつあるムードがあった時代の途上時期であった。この商品開発の着目点や先進性は間違いなかったのであろうが、斯様な嗜好や味覚に日本ではマダマダ成熟していない時期でもあった訳である。





 2009年6月8日から発売された伊藤園の自然の恵みで健康な食生活を応援する「茶養生」ブランドの清涼飲料水「茶養生 高麗人参のおいしい健康茶」もすぐに市場から消えた商品であった。



 こちらは500mlペットボトル入りで希望小売価格は147円。 2種類の人参(高麗人参、エゾウコギ)のほか、甘草、ショウガ、クコ、ナツメ、カリン、陳皮、桂皮、大麦、ほうじ茶、黄金桂の計12種類の素材を使用。とくに高麗人参は健康によいといわれ、甘みが強く、皮ごと蒸して乾燥させた紅参を100%使った。


 さらに希少品種でキンモクセイのような甘く優雅でさわやかな香りが特徴の烏龍茶「黄金桂」をベースにブレンドすることで、おいしく飲めるようなった商品として宣伝し発売される。また無香料・無着色・カロリーゼロが売りでもあった。


 朝鮮人参は、「オタネニンジン」、「高麗ニンジン」とも別名で呼ばれるウコギ科の植物。非常に多くの栄養素が含まれていて、中でもジンセノサイドというサポニンは大変重要な薬効成分で、オタネニンジンといえば根の部分が有名だが、人参果は真っ赤に熟した果実から抽出したサポニンに着目したようだ。果実には、根の数倍の成分(サポニン)およびミネラルが含まれている。


 でもでも、そんな高価な人参果は、オロナミンCに含有しているローヤルゼーリーほどの極々超微量でなければ、そんなに低価格では現実に買えない事は容易に想像できるから、消費者を納得させる事が出来なかったのが売れなかった要因ではないだろうかネ。つまり、朝鮮人参の代用としてエゾウコギを含有している訳で、御種人参、朝鮮人参、高麗人参と呼ばれる多年草はウコギ科で、北海道にも自生するエゾウコギと亜種の薬用植物なのである。因みに人参はセリ科なのであるが、朝鮮人参はセリ科に非ず。



 人参果はジンセンカと発音したほうが正しいのかも知れない。この人参果で思い出されるのが西遊記で三蔵法師一行が天竺に向う途中で、五荘観の主は鎮元仙人に饗される植物の実の名前でもある。三蔵法師はその実が幼児の姿なので食べるのを拒む。しかし、従者の孫悟空、猪八戒、沙悟浄の三人は不老長寿の仙薬と知り、庭から盗み喰いしてしまう挿話がある。






 西欧ではアダムとイヴの楽園にあった林檎が人参果に例えられかも知れないが、それはあくまでも象徴的な果実のようで、民間ではマンドレイクのほうが有名な植物なのである。こちらは実ではなく根が人の形をしているのが特徴的。



 マンドレイクはコイナス属又はナス科マンドラゴラ属に属し、薬用としてはMandragora officinarum L.、M. autumnalis Spreng.、M. caulescens Clarkeの3種が知られている。地中海から中国西部にかけて自生している植物だが、ドイツでは“アルラウス”と古くから呼ばれてマンドレイクの亜種とされている。


 中世から錬金術や呪術、魔法の薬草として最高位の植物として珍重されてきたが、人の形をした根茎は抜くと奇声を発すると伝わり、この声を聞くことで死に至ると伝聞される。シェークスピアの「オセロー」や「ロミオとジュリエット」にも登場するが、戯曲の翻訳では“恋なすび”などと訳されているのは、いわゆる朝鮮朝顔のことである。


 北米ではメイ・アップルと呼ばれる“ポドヒルム”も別属別種ではあるが、中国に伝わる曼荼羅華(マンダラケ)と同じで、観念的には、同じ媚薬の類としての仲間なのではあろう。


 アルラウスはグリム童話にも出てくるし、水木しげるが漫画で「妖花アラウネ」を描いている。ファンタジー映画のハリー・ポッターでもマンドレイクは魔術学校の授業で栽培されていた。本邦最大の奇書と呼ばれる「家畜人ヤプー」でも人参果は登場するが、これを筆者は英訳して“マンドレーク・アップル”としていたのが妙訳であり絶妙な翻訳力を発揮していた幻想小説である。