エロスの劇場 #⑦ 『ロミオとジュリエット』 | 空閨残夢録

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デカダンよりデラシネの戯言



 ギリシア神話とローマ神話にある『ピュラモスとティスベ』は、オウィディウスの『変身物語』に挿入されている悲恋物語である。
 
 
 バビロンの都に、ピュラモスという美青年とティスベという美女が住んでいた。二人の家は隣同士で、二人は恋に落ちたが親たちに反対された。二人は、両家を隔てる壁の小さな場所で密会していた。そして、或る夜、町外れのニノス王の墓の近くの木陰で落ち合うことを二人は決めた。


 夜陰に乗じて、ティスベは、ヴェールで顔を隠して、墓までやって来ると、大きな桑の木の下に座った。すると、一頭の牝獅子がやって来た。そのライオンは牛を食い殺したばかりで、口を血だらけにして、近くの泉で渇きを癒そうとしていた。遠くから月の光でその姿を見たティスベは、洞穴に逃げ込んだ。その時、ヴェールを落としてしまった。


 獅子は、水で渇きを癒し、森へ帰って行く途中、そのヴェールを見つけて、血だらけの口でそれを引き裂いた。後から来たピュラモスは、血に染まったヴェールを見つけ、約束の木陰までそれを持ってゆくと、そのヴェールに口付けをして、腰につけていた剣を、わき腹に突き立てた。その流れる血を浴びて、そばの桑の実は、どす黒い色に変わり、根も、血を吸って、垂れ下がる実を赤く染めた。
 

 この時、ティスベがもどって来て、ピュラモスを見つけると、「ああ、なんてことでしょう。あたしのお父様も、このお方のお父様も、わたしたちをお許しくださらなかったけれど、でも、お願いがあるのです。確かな愛が、こうして結びつけてくれるのです。ですからどうか、わたしたちを、同じお墓に葬っていただきたいのです。それから、この桑の木にもお願いがあります。これからは、わたしたちの死の形見に、嘆きにふさわしい黒い実をつけてほしいの。ふたりの血潮の思い出にね」・・・・・・ティスベはこう言うと、胸の下に刃をあてがうと、血のぬくもりがまだ残っている剣を胸に刺し入れた。



 ウイリアム・シェークスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』は、ケルト系の『トリスタンとイゾルデ』の伝説よりも、『ティスベとピュラモス』のギリシア・ローマ系の悲恋伝説を原作にしているようだ。

 このシェークスピアの戯曲を映画化した作品は、米国映画、ジョージ・キューカー監督(1936年)、(ロミオ)=レスリー・ハワード、(ジュリエット)=ノーマ・シアラー 。

 英国映画、レナート・カステラーニ監督(1954年)、(R)=ローレンス・ハーヴェイ、(J)=スーザン・シェントル 。

 旧ソ連、レオ・アルンシュタム、レオニード・ラブロフスキー監督、1954年、(R)=U・ジダーノフ、(J)=ガリーナ・ウラノワ。

 伊映画、リカルド・フレーダ監督(1964年)、(R)=ジェロニモ・メニエル、(J)=ローズマリー・デクスター 。

 伊映画、フランコ・ゼフィレッリ監督(1968年)、(R)=レナード・ホワイティング、(J)=オリビア・ハッセー。

 米国映画、バズ・ラーマン監督(1996年)、(R)=レオナルド・ディカプリオ、(J)=クレア・デインズ 、等があるけれども、ボクが観た作品はF・ゼフィレッリ監督の映画だけである。





 そのあらすじは、舞台は14世紀のイタリアの都市ヴェローナ。そこではモンタギュー家とキャピュレット家が、血で血を洗う抗争を繰り返している。


 モンタギューの一人息子ロミオは、ロザラインへの片思いに苦しんでいる。気晴らしにと、友人たちとキャピュレット家のパーティに忍び込んだロミオは、キャピュレットの一人娘ジュリエットに出会い、たちまち二人は恋におちる。二人は修道僧ロレンスの元で秘かに結婚した。ロレンスは二人の結婚が両家の争いに終止符を打つことを期待する。


 しかし結婚の直後、ロミオは街頭での争いに巻き込まれ、親友のマキューシオを殺された仕返しにキャピュレット夫人の甥ティボルトを殺してしまう。ヴェローナの大公エスカラスは、ロミオを追放の罪に処する。一方、キャピュレットは悲しみにくれるジュリエットに大公の親戚のパリスと結婚することを命じる。


 ジュリエットに助けを求められたロレンスは、彼女をロミオに添わせるべく、仮死の毒を使った計略を立てる。しかしこの計画は追放されていたロミオにうまく伝わらず、ジュリエットが死んだと思ったロミオは彼女の墓で毒を飲んで死に至り、その直後に仮死状態から目覚めたジュリエットもロミオの短剣で後を追う。事の真相を知り悲嘆に暮れる両家は、このことでついに和解することとなる。


 ゼフィレッリ監督の『ブラザーサン・シスタームーン』も好きな作品であるが、この映画は宗教的で禁欲的な作品であり、反カトリック的な要素も含まれているのも確かである。


 『ロミオとジュリエット』は情熱恋愛をテーマにしているので、反キリスト教的な側面を『ブラザーサン・シスタームーン』よりは感じられるかも知れないが、ゼフィレッリ監督は汎神論的なキリスト教徒のようである。


 いずれにしても、『ブラザーサン・シスタームーン』よりは、『ロミオとジュリエット』は性的な情熱のカタルシスを与えてくれるので、エロス的な恋愛力を信仰するものには聖典として語り継がれる作品なのである。