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ほんわか♪うぇぶろぐ~Weblog~

あの時の楽しさに囚われて
今の楽しさが見えなくなっちゃもったいない。
あの時は楽しかったじゃなくてあの時も楽しかった。

きっと
本当に楽しいことって比べるものじゃない








普通、小学校低学年から高学年までに道徳という授業を必ず受けることになっている


中学や高校でもあるところはあるのだろう


もっといえば幼稚園や保育園でも授業ではないにしろ道徳観の中で生活していると言っても過言ではないだろう



人が人らしい人格を持つために取り入れているであろう教科



昔から考えることは得意というか好きだったから
どういう感想や考えが普通、つまり道徳的か何となくわかっていたと思う


口では言えても文章力がなく文字化することが苦手だったけれど


先生からはよく、思ってることを書けば良いと言われていたけれど
そんなことは出来なかった。
今でもできないと思う。


だって普通の考え方になるように考えて

自分らしさを隠して模範解答に近づける事を考えて

そうすることが正しいと思っていたから




理想の人間像を基準に普通とするなら

普通の人なんていないだろう



人として未熟であるからこそ人なのだ



完璧になってしまったらそれはもう人ではない






そう思っていても最近
人らしく生きるためなら人じゃなくても良いと感じる事が無くは無い






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タイトルほどたいした内容じゃないです(笑






私はどう思おうと
相手は友達と思ってくれてて仲良くしてくれていた

だけど関わることが少なくて私はその人の名前を把握してなかった


最近関わることが多くなり不意に名前を呼ぶ状況になった


その時私はその人の名前がわからないから
名前なんだっけ?
って聞いた


その時のショックな反応が印象的だった



私自身はたいして気にしていないと言うか、
あぁ悪いことしちゃったかなぁ
程度の感じだけど


逆パターンで自分の名前を忘れられた、知られてなかった場合少なからず
えぇー…
って気分にはなるだろう

面と向かって嫌いって言うより酷かったと思う


むしろ嫌われているより何とも思われていない方が辛いのかもしれない



反省





少し話は変わって



好きなものに飽きたり、好きなものを嫌いになるのって辛いよなぁ…って


ものが物ならまだしも
者、つまり人を飽きたり嫌いになったりするのって
もちろん嫌いになられた方も辛いけど
何気に嫌いになった方も随分辛いよなぁ…って



元々そこまで気にもしてないひとなら
ただ嫌いになるだけかもしれないけど

下手に仲良かったり大好きだったりすると
普通ならただ10嫌いになるところを、10好きだった分20嫌いになったみたいな気分になる



なんだかなぁ…


別に誰かを嫌いになったわけではないけれど



私の人との関わりを極力控えたいって気持ちは
ここから始まってるんだと思う



でも人付き合いとして
人は誰かを好きになって、嫌いになって、それでもやっぱり好きなんだなぁって気が付いて

って繰り返しなんだと思う




そぉ考えていても

私は強くないから
先に辛いことがあるって分かると避けて通ることに努力してしまう

元々の性質としての人見知りも後押ししてなるべく他人は気にしないってゆーのが身に付いてしまっている気がする


ある程度一緒に過ごしてやっと心を開く…

みたいな人間の性格としてものすごく面倒くさい部類だと思う



悪質だとも言える




治さなきゃなぁ
と考えてはいるのだが中々難しい



今仲の良い友達がいるから良いし
いなくなったらそんときはそんときだ

って悪い意味で適当な性格…



全く、自分が嫌になるよ



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