大財閥永山家の当主、志津の七〇回目の誕生日をお祝いするために、家族達は続々と屋敷につめかけていた。長男の悟、次男の克次、末っ子の千津子、そしてその夫の法夫。しかし、法夫のあとをその愛人が、千津子のあとを彼女のせいで有罪判決を受けた凶悪殺人犯が、凶悪殺人犯のあとを警部が、警部のあとを警部夫人が追っていく、という風に物語は進んでいく。その「鬼ごっこ」のような状況下で永山家では橘という刑事も探偵もクビになって、アルコール中毒にまで成り下がった男の人生を弄ぶ「今年の賭け」が始まった。

そして、その「賭け」が多くの殺人と裏切りを起こす。

このように話を簡潔にまとめると、とても面白そうな話に思えるだろうが、主人公設定があまり面白くない。なぜなら、この作品の主人公である千津子は、お金持ちのお嬢様という設定以外に目立った特徴が無く、他の作品に出てくる主人公に比べれば、ぱっとしないところがありすぎるからだ。

 そんな平凡な主人公に注目するわけはなく、私が深く考えたのは、「殺す」という行為である。この作品では、次々にあっさりと人が死んでいった。あっさりと死ぬ、というのにはリアリティーがあって良いとは思ったが、小説としては「殺人」という行為の緊迫感をもっと出してもらいたかった。

 私が「殺す」という行為に注目した理由はまだある。それは、直接的にはこの作品と関係がないのだが、この私自身が「殺人」という行為に興味があるというから。興味があるといっても、実際に「殺人」をしてみたいなどということではなく、「殺人」に至るまでの人間の心理を知りたいということなのだが。

 人はどうして人を殺すのだろうか。この作品で具体的に例を挙げるならば、有罪判決に至る証言をされたことへの仕返し、金銭欲、などがある。

 この理由だけで人は人を殺せるのだろうか。ニュースで報道されている殺人事件の容疑者から「ムシャクシャしたからやった」という供述をよく耳にするが、本当にそれだけなのだろうか。もっと奥底に眠る、ひそかな感情が殺人というおぞましく、凶悪な行為を起こすのではないだろうか。その「奥底に眠る、ひそかな感情」というのは、まだ私もはっきりと想像できているわけではないのだが、きっとそうなのだろうと思っている。

 人間の心理、これは何人たりとも理解することは不可能なのだろう。それは、人それぞれによって形が異なるものだから、生活環境によってそれは変化するものだから・・・。しかし人間の心理というものは、変化があるからこそ思考し、立派な生き方をしようと考えるのではないだろうか。もし、立派な生き方をしようと考えることが出来ない心理となったなら、それは今までに出会って接した人物がどこか歪んでいた、もしくは生活環境がその人の「思考する」という行為を止めてしまったと考えられないだろうか。

 もし、私がこの作品のような「賭け」をするという環境にいたならば、私は殺人をしていたのだろうか。それはその環境で生活をしてみなければ分からない。

 と、たった一冊の本でこれだけの想像、思考を行うことが出来た。これは素晴らしいことだ。最後に私はこの本で「読書する」ということの大切さを学べた。私の「心理」はこの本でまた変化した。






とまぁ、こんな風に俺は感想文かいたよ。

みんなの参考になればいいね。


(=゚ω゚)ノジャ、マタ!!