城田ロミオ×昆ジュリエットの初日。
再生する近未来都市、という設定のヴェローナ。二世議員らしい品の良さ・気の弱さをたたえるヴェローナ大公(中山)が、建設業者にわが街を紹介するという意表をつく幕開け。
モンタギュー・キャピュレット両家のならず者の若者たちを演じるダンサーたちの個性がそれぞれに素晴らしく、圧倒的だ。衣装は、モンタギュー家はブルーグレー調+モノトーン、キャピュレット家は赤+豹柄という意表をつくもの。
モンタギュー家の落ち着いた兄貴格ベンボーリオを浦井が手堅く歌声伸びやかに、華やかな遊び人のマキューシオを、元ジャニーズ・劇団四季という異色の経歴をもつ良知がその実力・特異な個性を武器に存分に発揮し演じる。ただ、衣装の問題だとは思うが、色調がダンサーたちと一緒なので、ベンボーリオ・マキューシオらのプリンシパルが群集に埋没してみえるのが勿体ない。むろん、彼ら(とくに良知)が、ダンサーたちに遜色なく踊れているから、というのもあるのだろうが…衣装や照明などの改善は必要かと思う。
キャピュレットのリーダー・ティボルトに平方。まるで、宝塚雪組版の同役を演じた緒月遠麻のような、美しく堂々とした容姿。ただ、「法律なんか気にしない」無頼派というよりは、一族の掟に葛藤をいだく、繊細で鬱屈した青年に見え、少々役のうま味を生かしきれていないように見える。歌・演技は及第点なので、今後の見せ方に期待。
キャピュレット夫人の涼風は、その実力を生かした、毒々しいまでの役作り。ジュリエットに女として嫉妬し、ともに涙の谷に生きるのだと呪いをかけるソロは圧巻。彼女のこぶしを利かせた独特の歌唱法が、ジプシー風の楽曲に素晴らしくマッチする。
キャピュレット卿に、実力者・石川禅。黒い長髪をひとつに束ね、体格を生かしたフロックコート姿はまるでイタリア・マフィアのような風格。確かな存在感・人間臭さで舞台を支える。
モンタギュー夫人に大鳥れい。かつて、エリザベート皇后役で見せた美しさは変わらず、心配症らしい母親のたおやかさに満ちている。これも非常に見栄えのよいモンタギュー卿のひのあらたとともに、美しく優しい一人息子・ロミオを庇護し慈しむ家族愛が、複雑な家庭環境をもつキャピュレット家と好対照である。
携帯電話やフェイスブックなど、現代的ツールが演出に組み込まれ、笑いを誘う。浦井のベンボーリオがロミオを追い回すコミカルな場面転換ののち、満を持して主役の登場だ。
女にもてるが遊びには興味のない、繊細なロミオを、その素晴らしい容姿と甘く繊細な歌声の城田が演じる。団結力あるモンタギューチームとときに行動をともにし、ときに逸脱する。長身ともって生まれた華やかさゆえの存在感は圧倒的で、どのような場面においてもその一挙手一投足に目をひきつけられる。主役しか演じることのできない外見と身のこなしをもった城田のロミオは、非常に見ごたえがある。
外見の華やかさとはうらはらに、その役作りは非常に繊細だ。争いやからかいを好まず、平和の静かさやロマンティックな思索を愛する。両親の慈愛や、きょうだい同然の仲間達の友情に守られた心優しい青年像であり、それが破格の長身という見た目とのギャップを生み役に深みを与えている。
そのロミオと恋に落ちる16歳の少女ジュリエットを、新人・昆夏美が好演。まさに天使のような歌声は高音に伸びがあり、声量も豊かでプレスギュルビックの難曲を表情豊かに歌いこなす。メジャー作品デビューとは思えない巧者である。小柄で華奢そのものの少女らしい容姿だが、表情に力があり、苦境に陥ってもなお強さを発揮するジュリエットを表現している。
このロミオとジュリエットが出会うバル(仮面舞踏会)のシーンは、圧巻である。ダンサーたちが遺憾なく個性を発揮し、キャピュレット家の複雑な家庭事情がサブストーリー的に展開するなか、岡田演じるKY金持ち男パリスがコミカルな動きで空気を和らげる。そこに、薔薇模様のフロックコートをこれ以上なく着こなしたロミオが登場。遠目で、かつ仮面越しに見ても華奢で可憐な、孤独と希望をその細い体いっぱいに抱えたジュリエットとすれ違い、みつめあい、恋に落ちる。この場面の演出・演技は見事の一言だ。「神さまから約束された出会い」を喜び歌う恋人たちの姿には、非常に説得力がある。この場面が成功するか否かで、後半の物語のリアルさが変わるといっていい。その意味で、ここまで自然に、命を賭けた恋を見せる役者の実力には感服する。
つづく名場面バルコニーでのデュエット、プロポーズも自然であり、この二人がであってすぐに結婚に至る飛躍が必然のように観客に思わせるに十分である。繊細なロミオと家族制度のプレッシャーにより崖っぷちに立たされたジュリエットとの身長差がかえってドラマティックな効果を生んでいておもしろい。別れ際、バルコニー越しのキスも美しく、「恋の翼に乗ってすべてを飛び越え」る喜びをよく表している。
安崎のロレンス神父は品よくユーモラス。司教区担当者として、おそらくロミオたちを小さいころから導いてきたのだろう。神に仕え、憂いと慈愛をもって両家を見てきた中立者の立場を情感豊かに演じる。ヴェローナ繁華街での「きれいは汚い」の場面では、乳母の未来が新境地とも言えるよく太って陽気な中年女性を好演。その後のソロは言わずもがなの素晴らしさだ。未来は両幕通じて、ジュリエットを心から愛するが、しかし精神的に理想を追わない単純で善良な女性像をよく体現している。
秘密の結婚式のシーンでは、中島演じる死が、若い二人にしのびよる。名曲「エメ」が歌われる場面を、甘美なものではなく、あえて不吉に仕立てた演出家の発想の独自性もおもしろいが、もう少し幸福の絶頂にいる恋人たちの姿も見たかったように思う。
(ここまでで一幕)
2幕は死の踊りののち、ヴェローナ繁華街のシーンへ。ロミオがジュリエットとの結婚により仲間を裏切ったと責められ、またティボルトが最愛の人ジュリエットを敵に取られたと逆上するシーンがテンポよく進む。
ティボルトとマキューシオの決闘シーンは本作品の最高の見せ場のひとつだ。役の年齢に近い若いキャストたちの乱闘ぶりは見ごたえがあり、ダンサーたちの芝居経験の少なさがおもしろい効果を生み、まるで本当のケンカを見ているような錯覚に陥る。ただ、この決闘に至るまでにマグマのように煮えたぎるティボルトの感情が見えなかったのは物足りなく思う。鬱屈していて繊細で大人からのプレッシャーに押しつぶされそうなティボルトだが、同時に人を殺せるくらいに激昂する勢いも表現に欲しいところである。
親友マキューシオを殺され、激情しティボルトを刺し殺すロミオの表現力は見事の一言だ。燃え滾る怒りが、その後姿によく出ている。我を失うほどの怒り、そして自分のしたことへの気づき、狼狽、その場からの逃亡、心身喪失。この短時間にロミオの身の上に起きる目まぐるしい感情の変化を、緻密な演技計算にて城田はなめらかに表現する。母の声に呆然とするロミオ。贖いを迫られどうすることもできずに座り込むロミオ。追放を申し渡され、真に自分の行為が何を意味するかを知り、かねてから悩まされてきた絶望の影を悟るロミオ。
こうして物語は取り返しのつかない悲劇へと、ノンストップで転がり落ちていく。
特筆すべきは、恋人たちの別れの朝の自然さ。歌唱力などの確かな実力が、若い二人の後朝の別れのつらさを彩る。このシーンは、熟練した俳優では観ることのできないリアルな若者たちの美しさに満ちており、その儚さと危うさにはっとさせられる。
ロミオに毒薬を売る薬売りが、ヤクの売人であるバーテンダー(実は死)である点も新鮮。このバーでチンピラにからまれたロミオが、唯一の通信手段である携帯電話を失うのも納得の流れである。
携帯電話やPCなど、現代的な小道具が多くこの作品にでてくる点は、おそらく賛否両論あるであろう。私自身は、「なるほどこう来たか!」と驚き楽しめることが多かったが、戸惑う観客もいたのではないかと思う。
ただ、ぜひこれらの演出で改めていただきたい点が3点ある。
まず、「どうやって伝えよう」のシーンでロミオに電話するベンボーリオの受話器に響く「この電話は電源が入っていないため」のアナウンス。一幕での携帯呼び出しアナウンスネタは、若々しい彼らの生態を表現するのにぴったりで、また笑いも誘うが、劇中、ベンボーリオが傍観者としての自分の愚かさと責任を歌うこのシーンにおいては、この演出はせっかく浦井が盛り上げた悲しみへの高まりを、(天丼効果による)笑いが起こるために分断させる恐れがある。アナウンスは不要で、携帯に耳を押し当てたベンボーリオが、がっかりしたように首を振る、などで十分ではないだろうか。
次に、マントヴァにやってきたロミオがカート型トランクを転がしている点にも違和感を覚える。ここは、少々古典的でもずた袋スタイルのサックでよいのではないか。孤独を抱えるロミオには、体に密着しやすいサックのほうが似つかわしい。
最後に、一番残念な点であったのが、物語の核心となるロレンス神父の計画を、メールで知らせようとした点である。メールが悪いわけではないのだが、ジュリエットが死んだと思い込んだロミオが服毒死し、その遺体をみたジュリエットが「自分を迎えに来てくれたのに、疲れて眠り込んでいる」と再会に有頂天になった刹那、すでにその恋人は死んでいることに気づくという本作品最大に張り詰めたシーンにおいて「神父様のメールをみていないの!?」では、観客は脱力してしまう。せっかく、芝居巧者歌巧者の主役コンビが、カタストロフに向けてテンションを高めているときにこの台詞では台無しだ。涙もひっこんでしまう。通信手段はどうであれ、古典的名作の香りを感じられるような表現を望む。宝塚版は「神父様からの手紙は読んでいないの?」であったが、せめて、もしくは「神父様からの連絡はなかったの(連絡を読んでいないの)?」が妥当な表現であろう。もしくは、ただ単に「どうしてこんなことになったの!?」と不条理を嘆くのでも十分ではないだろうか。
以上3点については、ぜひ改善を要望したい。
いろいろ書いたが、「大人の世界」と「子どもの世界」の対立構造を見事なまでに痛々しく描いたACT版ロミオ&ジュリエットは大成功ではないだろうか。若いキャストのなかにはいまだ十分に役への掘り下げ、または見せ方を習熟していない点も見受けられるが、そこはリアルな若者としての弱さ・渇望・やりきれなさに満ちており価値も高い。
世界中で上演されている本作品、とくに宝塚版で大成功を収めた作品に都会的かつ若々しく洗練された感覚を持ち込み、より一層リアルな若者たちの生を描こうとする小池先生の発想には脱帽である。
しかし、やはり前述の3点だけは改善してください。宜しくお願いします。笑いが起こるかもと危惧していては、安心して物語に感情移入できなくなりますから…。