Grow is here -3ページ目

『怒り』上下巻読みました

この『怒り』を知ったきっかけは、映画のトレーラーでした。
その中のワンシーンで、私の好きな綾野剛と別に何とも思ってない妻夫木聡が
ゲイカップル役でクソエロいキスをしており、それが衝撃的すぎたせいで、
最初原作のこととか映画のタイトルとかなんにも頭に入ってこなかったんですが、笑
後から私の好きな作家、吉田修一が書いた本の映画化だったと知り、
今回本書を読むに至ったわけです。
ちなみに、綾野剛と妻夫木聡、役作りのために二人暮らしして一緒に風呂入って
一緒のベットで手つないで寝てイチャイチャしてたらしいよ。すげえな。

で、『怒り』上下巻読了。
何とも言えない、ぬるっとした後味が残ってます。
希望があるようでなくて、絶望があるようでなくて。
ある一つの殺人事件をそれぞれの登場人物の共通項として、
色んな人物が各々の方向から一つの点に向かい、そこを通過していくような文章構成。
全然違う場所で、一見接点もない人間が、実は一つの事件をそれぞれの形で共有している。
一つの事件があらゆる角度、視点、感情から捉えられているため、
読んでいるうちに色んな感情がごちゃ混ぜになり、
何とも言えない(でもそれは嫌なものではない)気分になりました。

壁に大きく「怒」と血で書かれた殺害現場。
犯人は何に怒っていたのか。
それは犯人の口からはっきりと明かされることはなかったんだけれど、
殺された夫婦に怒りの感情を抱いたわけではなかったのは確かだった。

怒りという感情は、円滑な人間関係においてとても重要なポイントだと思う。
「その人が何に対して、どういうときに怒るか」を見極めることで、
いわゆるその地雷を踏まなければ、ある程度波風立たせずに過ごすことができる。
でも、人と付き合っていると、誰しも「え、何でそんなことで怒るの?」とか
「そこでキレんの?」みたいなことを少なからず経験したことがあるはずだ。
多分、世の中で喧嘩や争いが起こるのって、
喜怒哀楽の中で、怒りというのが実は一番共感しがたい感情だからなのかもしれない。
理解が出来ないから人と人はぶつかるのだ。

怒りは突発的で爆発的でエネルギーが高い。
一気にボルテージが跳ね上がり、遠くへ飛んで行ってしまう。
怒った人と同じ温度、同じステージに立つというのはなかなか難しいことだと思う。
だから、他人の怒りがわからなかったり、寄り添えなかったりするのかもしれない。
悲しみにも爆発的なものはあるかもしれないけれど、
基本的には深く深く沈んでいく下へのエネルギーだと思うし、
同情、というと聞こえは悪いけど理解しようと思える。
さらに、他人に悲しみを当たり散らされても、その感情に傷つけられることはあまり無いと思う。
でも、怒りは違う。
悲しみをぶつけられるのと怒りをぶつけられるのでは話が違う。
怒りをぶつけられると、まるでバーン!とフライパンでいきなり頭を殴られ、
一瞬何が起こったかわからないような、すぐには理解できない状況になる。
そうすると、ショックは大きいし、
「理不尽だ」と思うこともあるだろうし、
「なぜ私が怒られなければならないのか」と思うこともあるだろう。
怒りをぶつけられたとき、そこから発生する二次災害的感情は圧倒的に相手に対して負の方向のものだ。
怒りは単純に、共感、共有しがたい感情なのだ。

人の感情などというものは、衝動的で、勝手で、理解しようと思う方が間違っているのかもしれない。
他人が何を思って行動したかなんて、たとえ話をしたところでその全てはわからない。
言葉と行動は比例しない場合もある。
本人だってなぜそんな行動を取ったかわからないことだってある。

「だったら何を信じればいいのだろう。」

そういうものに対して、ある人は諦めたり、ある人は足搔いたり、ある人は立ち向かったりして、
人間関係を構築していく。
本書ではその様な描写がされており、この『怒り』では「人を信じるとは?」ということについて書きたかったんじゃないかと思えた。
ある人物の怒りを出発点として、そこから色んな人間が巻き込まれ、様々な感情が溢れ出し、
「信じる」とは何なのか、わからないけどそれでも「信じたい」と思う人間の心理。
思い返せば登場人物は皆誰かを、或いは自分を「信じたい」人たちばかりだった。

自分の娘を信じられない父親、自分が何を信じていいのかわからない少女、好きな人を信じてあげられなかった女、好きな女を信じたいのに信じられない刑事、一緒に住んでいる男を信じたい男、信じていた人に裏切られる少年。

信じるって、結局、相手に対してじゃなくて、
自分が確固たる意志を持っていないと出来るものではない。
何を根拠に人は人を信じるのか。
「信じてたのに」は、言い換えると「あなたはそんなことする人だとは思ってなかったのに」になるように思う。
信じるって、何だろう。期待?妄想?思い込み?
本のラストの描写が、「信じたい」という小さな希望の光が、
四苦八苦しながらもがいている様を書いているように感じました。
この本を読み終えたときのあのぬるっとした後味は、
「信じるとは何か」の問いに対して「答えはすぐに出ない」という、
この曖昧な結末のせいなんだと今になって思います。

吉田修一は、人間のおぞましい部分、闇の部分を描くのが本当に上手い。
これが映画ではどんな風に表現され、ラストはどんな風にまとめられるのか気になるなぁ。
9月17日公開だって。観に行けたらいいな。
自宅から映画館まで遠いけども(二時間半かかるってどんだけ田舎)。