なぜ、障害のある方の健康関連の仕事に取り組み始めたか。
息子が生まれた頃、ただ、すこやかに元気にそだってくれれば、、、、
と基本的には思いつつ、ひそかな夢や野望も抱いていた。
大きくなったら、和食の花板さん(看板調理師さん?)になって、「おふくろ、たまには美味いもん食わせたろ!」
と腕をふるってくれる、
もしくは、イタリアンのシェフになって「マンマミーア!たまには美味しいもの食べなは~れ!」
と腕をふるってくれる、
または、すし職人になって「おっかあ、四の五の言わずに美味い寿司くいねぇ!」
と腕をふるってくれる、
それとも、フレンチの、、、中華の、、、以下同文。
そのような野望の方は全く忖度(そんたく)してくれず、ただただ親の大食だけを受け継いで、
すくすく
どんどん、
がんがん、
がっつり、
ばちこーん
と息子は超弩級の肉肉美(肉体美の打ち間違いではありませんので~)へと、進化を遂げる。
まあ、落ち着くお薬の副作用もあるのだけれど。
そのような体でも、ずっと元気であれば問題はなし。
(ダイエットさせようとする母と、しゃもじをめぐってのバトルなど、些細な問題はあるものの。。。)
のはずだった。。。はずだったのに、元気であっても入院する機会はやってきた。
愉快な息子は、自分でそのチャンスを作ったのである。(嗚呼、阿呆!)
小学校時代に、二度ほど入院体験はしていた。どちらも二週間程度。
一度目は体も小さく親が抱きかかえれば注射も可能で何とか乗り切れた。
二度目は、定型発達の子なら通院で済んだケース。
「この子は病後の処理が無理だろうから入院してください(おでこをきって膿を出し、術後、鼻の奥まで消毒するケアが無理だと言われた。)」ということだった。
まあ、初めこそ注射でやや暴れたものの、体験がいきたのか、絵で説明がきいたのか、すぐ慣れ、本人もさほど不安感はないようで落ち着いてたものだった。
思春期の入院だって、つちかった経験が、、、のはずが!!
全く予想を裏切る展開に。
入院理由は、病気ではなく、耳の異物取り出し手術。
小学校高学年位から、耳に異物を入れるようになった息子。
葉っぱ、石ころ、木の枝、粘土、ビーズ、プラスチック片、砂、土、果物の種、etc。
見つけるたびに耳鼻科へ駆け込み、何とか取り出す、の繰り返し。
が、ある時詰め込んだ、木の実か、種のようなものは、はまり込んで、どう頑張っても取り出せなかった。
定期的な通院で取り出しを試みつつ、
「そのうち、種から芽が出たら引っ張ってとれるよ~」「アハハ、そうですよね~」と、愉快な先生とのんきな親の会話を続けること数年。
ハタと気づいたら、5年が経過。
親が生きているうちに取り出しておかねば!と焦って先生に相談すると、麻酔をかけてとったほうが良い、と大病院を紹介される。
まず、手術のために必要な検査をするため通院するも、何度いっても診察室に入れない。
診察室前にずらっと並ぶ患者さんにすごく臆しているのか、フリーズして動けなくなる。
何度目かの診察で、「お母さん、これ以上無理。もう手術でいこう!」と、ぶっつけ本番で全身麻酔の手術で取り出すことに。
手術当日までに絵カードや写真や言葉で説明。が、当日のガラスの十代、思春期野郎は、不安感いっぱい、気持ちぴりぴり。
“俺に触れたら、火傷するぜ!”的なオーラを放っている。そんな長いフレーズは、発語できないが!
麻酔の量を最小限に抑えるため、睡眠導入剤は使えないとのことで、注射しなければならないが、怖がってじっとしていない。
二時間近く説得にあたるが進展なし。(よく待っていただけたと思う。)
結果、十数人の医師、看護師さん達(ほとんど男性)が狭い病室に入り、息子を取り囲んで押さえつけることに。
あまりの怖さに、息子もパニック!親もひぇぇぇ。ほんとにこわい。
とにかく、目線そらしと笑顔をお願いして、なんとか麻酔注射。そして手術は無事終了。
見えていた木の種っぽいものだけでなく、葉っぱやビーズや布切れや、出てくる出てくる・・・。
もう、その医師には感謝しかない。
最後にやんわりと、“次回、お受けできるかは未定です”と。。
優しい出禁てとこでしょうか。
親も子もこんな事態は、二度と経験したくない。
寿命尽きるまで健康で、PPK(ピンピンコロリ)を親子で目指そう。
そのためには、健康の自己管理ができない息子でも、体調を簡単に整えられることを!
ということから、健康維持のためのあれやこれやが始まっていきました。ちゃん、ちゃん。
らくう-tomorin
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