採用の各段階において評価・判断を下すのは「人間」であり
ヒューマンエラーないし、恣意的な判断は避けられない
また、最近はマナー系ブロガーやキャリアコンサルタントによる創作マナーの乱立も多く
求職者、採用者ともに混乱を招いている
一般常識、マナーというものは業界や会社単位で大きく異なっているため
一元的な基準で判断することは難しい
→スーツでなければNG、スーツがNG、と業種職種、会社によって両極端
→書類の体裁は会社、個人の主観単位で異なる(両面OK・NG、手書きOK・NG)
履歴書
- 筆跡
→人格の推定は科学的根拠がなく、オカルトの域を出ない(例:筆跡占い)
→筆跡鑑定による「個人の特定」は可能だが、専門知識が不可欠であり、かつ、人格との相関はない
→書道の達人レベルであれば説得力があるが、採用担当者にその義務がない以上根拠として説得力がない
論理的誤差
客観的な事実によってではなく、個人的な推論・憶測によって評価を下すこと
「太っているから自己管理ができていない」
「転職が多いから飽きっぽい」
「ブランクが長いから意欲がない」など
- 学歴
学歴と仕事の適性は偏見に基づくものがほとんどであり、人格との相関は科学的根拠がない
→「働きアリの法則」のように、社会的地位や評判のいい集団に所属していてもすべてがいい人ではなくすべてが悪い人でもない
ハロー効果
第一印象など、相手の一つの特徴(優れた面・劣った面)の印象に惑わされて、
他の特徴も優れている・劣っていると評価してしまうこと
逆算化傾向(逆算割り付け)
各項目を個別に評価する前に総合的な評価を決めてしまい、その結果になるようにつじつまを合わせてしまうこと
- 職歴
転職回数やブランクは判断基準としては不十分
→多くの就職サイトやキャリアコンサルタントが判断基準として提唱しているが科学的根拠はない
→不都合な職歴(短期辞職、トラブル)を未記入するというテクニックが多くの就職サイトやキャリアコンサルタントがアドバイスしているため、書かれていないからといって「ない」訳ではない
公平性仮説
世の中が公平にできているという前提で考え結論を出すこと
努力は報われる
=成功者は正当な努力や実力によって成功した(運や不正ではない)
=ダメな人は努力が足りない、努力していない
ラベリングバイアス(レッテル張り)
ある特徴を持った人にレッテルを張り、能力や性格を決めつけてしまうこと
信念バイアス
結論が妥当であればその過程も正しいと誤認すること
逆に、結論が間違っていればその過程もすべて否定してしまうこと
根本的な帰属の誤り
他人の行動や振る舞いが「外的要因」ではなく「性格に由来する」と考えてしまうこと
個人の行動を評価する際に、状況面を軽視し性格面を重視する傾向
以前の勤務先での印象
- 質問の文言
「何か問題はなかったか」といった文言で質問すれば当然「問題」にフォーカスした回答が返ってくるため、「問題のある人物」と判断してしまう可能性がある
確証バイアス(選択的認知)
自分にとって都合のいい事実ばかりを集めてしまうこと
自分と同じ意見、自分の意見を補強するデータを集めてしまうこと
- 事実か推測か
人間は興味のない相手と深い交流をしないことは科学的事実であり、交流がなければ相手の性格を把握することもできない。
また、特別な関心(好き・嫌い)を持っていれば当然偏見や優遇が生まれ判断の信憑性が下がってしまう。
社会生活を送る人間であれば、相手の立場、関係によって接し方は当然違うのだが、それを「性格」と認識するケースは非常に多い。
話者が相手について知らない場合、社内の噂や伝聞情報といった信憑性・客観性の低い情報に流されたり、個人の憶測を事実として話す可能性が高く信憑性や客観性は低い。
また、会社としての立場を考慮して、社会的評判や責任問題を意識し、恣意的に評価を操作することも考慮しなければならない
寛大化傾向
批判や反発への恐れ、相手への気遣い、よく思われたいなどの理由により評価が甘くなり、下位評価がつかなくなること
厳格化傾向(酷評化傾向)
自分に自信を持っている人や能力が高いと思っている人が自分を基準に評価し、上位評価がつかなくなること
相手を追い詰めたり、重箱の隅をつつくような粗探しをしてしまう傾向がある
中心化傾向(中央化傾向)
当たり障りがないように、波風を立てないようにという気持ちで極端な評価を避け、評価が中央に集まってしまうこと
- 主観か客観か
本人の意見は当然「主観」であり、他者個人の意見も「主観」である
噂話の多くは個人の主観であり、伝聞情報も発信者は個人である場合が多い
信憑性のある客観的評価を得るには社員全員からの対面での聞き取り調査など
統計的に信憑性のある手段を用いて調査すべきであり、
でなければ「人格」の判断する根拠としては用いるべきではない
面接
- 面接会場の環境
わかりにくい立地、時間厳守、窓のない狭い個室、多対一、前提マナー、など
アウェーな環境での面接が当然のように行われているが
緊張、萎縮した状態での振る舞いは、正確な「人格」「能力」を測ることはできない
「人命を預かる」「危険な環境で業務を行う」など、職務上の理由で緊張への耐性を測る意図がなければ面接環境としては不適切である。
- コミュニケーション
「一緒に働きたいと思える人間か」「会社の人間関係になじめるか」
という判断基準での審査は多いが、実際は面接官個人の印象である。
「一緒に働く」のは、面接官や経営者本人でない場合がほとんどであり
実際に現場で働く社員との相性を正確に判断するのは、心理学についての深い理解と経験があったとしても不可能である
「コミュニケーション能力」の判断において、
たとえ私服でカフェに行き談笑していたとしても、
「評価を下す」という前提で会話をしている以上は定形的な受け答えであり、
逆に奇抜な質問をしたとしても、混乱を招いてしまい冷静な判断を失わせてしまう
筆記試験
- SPI試験
SPI試験は事務作業などの定形的な作業効率を判断するのには適しているが
人間の能力を一元的に点数化するものではない
- 教養試験
学校教育で学ぶ知識の多くはいわゆる「虚学」であり実際の職務遂行能力とは相関しない
いじめの有無や授業態度など、それこそ「勉強だけではない」評価基準を参考にすべきではないのだろうか?
- 性格診断
心理学的性格分類は諸説あり信憑性が異なるが、性格分析が正しく評価できていたとしても
性格と職務遂行能力、職業への適性の相関が科学的に判断されていない場合が多い
採用試験結果
採用試験の判断基準について公表する企業は非常に少ない
ハローワーク掲載企業には選択式マークを記入する義務があるが
具体的な記述をする必要性がなく公表しているとはいいがたい
応募者が多く忙しい
応募者に配慮して公表しない
という意見が多いが、
応募者がいくら多くても、一人一人に何らかの判断を下しているのが事実であり
採用不採用の通知、連絡を出している時点で理由は確実に存在している
応募者に配慮して公表しない、のではなく
企業の社会的評価を下げないために公表しないに過ぎない
「パッと見印象が悪い」「個人的に嫌い」「他と比較して消去法」
など、およそ世間に公表できない理由で判断を下しているのでは?
と、求職者が考えてしまっても当然と言える。