先週末久しぶりに

光岡先生の武学に参加させて頂きました。

少しその話を書こうと思います。


 



触れないと遠のくばかりで

覚えが悪い者がこんなに間を開けて

もう無理じゃ無かろうか…と

どんどん気は重くなるばかりだったが

触れなきゃ変わることは無いだろうと理解もしてしまったから放置するのも辛い…

だけど思う動きに近づける気もしない…と

負のループに入っていたのだけど

ループは自ら切らなければ周回するのみ…

……というわけで久々に参加させて頂いた。


参加してすぐに気が付いたのは

私には全く悩むまで積まれた技も理解も無く

変わらずのど初心者であって…

出来るとか出来ないとかの問題には

全くならない場所に自分は在って

単に自分一人の思いや気持ちが空回りしてる

だけで…

ハハァン…これが浮いた奴か…と

そういう自分の心理状態が

何故だか今回はよく見えた…笑

浮いてる自分がよく見えた…泣



言い訳ではなくて…

そういう意味では

"間"をとるのは良い事だと思った。


光岡先生の武学は

我々の固定概念が崩れ落ちる様な稽古で

先生は笑顔で軽く「そうなってる」と話されるが

参加する側は毎回

驚きについていくのが必死だったり

つい…どういう事なんだと思ってしまい

現れている様をそのまま素直に入れ込むには

ちょっと間が必要になる。

ソレが本当に斬新で他では味わえない魅力で

本当にawsomeなのである。


それらを試し稽古や型から

自分の身体に落とし込んでいくのだけど

そこで身体感覚が無い自分というのが

ハッキリと浮き上がる…辛い…悲しい…笑


以前…武学に初めて触れて

毎回、ビックリの連続だったのだけど

間を開けて少し落ち着いたのか

自分の反応が自己認識出来るのに

前ほど時間が掛からなくなっていた気がした。


というのも…呆れるほどに

自分の身体の状態や反応を自己認識出来なくて

本当に全く身体感覚がブツ切れ状態だと

知ってウンザリした…笑



初めて光岡先生のクラスに参加した際に

その形を維持する様に言われたけれど

全くそれが出来無くて

力が入らないと伝えた際に

「力が入らないのでは無くて

力が伝わらないだよ…」と教えて頂きましたが

今回、試し稽古の際の前段階で

全く力を伝える事が出来無なかった

正直、何故伝えられないのか分からない

力んでいるだけで出力出来ていないと

肩に力が入り過ぎなどとM氏からご指摘頂くが

もう…誰の事?くらいに分からない


以前、光岡先生からも何かの際に

右か左どっち?と尋ねられた時も

自分の身体なのに「どっちでもいいです」

という返事しか出来無かった…


今回またソレが現れてきて

身体で感じる、身体で考えることが出来無いのか

とよく見えた


よく仕事などで誰かに仕事内容を説明しても

全くトンチンカンで

大丈夫か…コイツは…と思ったりして

どういう思考回路してんだろか…と

呆れたりする事があるけれど

本当に私自身がびっくりトンチンカンで

自分でも

お前その返事何やねん…アホか…と思うが

それ位に認知感覚がブツ切れしてて

力を入れてと言われたら

全く力は伝わっていないのに

入れてる意識になってるんだろなぁ…と

浮いてる…意識過剰はコレか…と

そのクラスの中で気が付ける所まできて

私としては改善の発芽を見た様で嬉しいのだけど

とても武学を学んでいるとは

口が裂けても言えないレベルである…



街の中ではまだ殆どの方がマスクしていて
ソレは正に観念に加工された観念マスクを
何層にも重ねた意識状態の現れが
身体となって現れている現実だと思うが
私自身の身体感/観覚も彼らと同じ…
あるいはもっと低レベルのマトリックスの中に
在るのだと認識して…
色々と笑っていられないなぁ…と
しんみりしてしまった…辛…(-_-)…笑


光岡先生の話されるマトリックスは
深すぎて追いつけない…笑
本当にCOOLで面白い



私の大好きな観法も堪能させて頂いた。

今回は四つん這いからの観法でしたが

身体の繋がりが見えないテンセグリティで

繋がっていく様な感じ…

先生の静かな声がヒモになって

ヒモとれで繋がる感じがしたりして

ヒモやテンセグリティを感じましたが

そういう時こそ…

イメージ感覚に引きずられない様に

身体観覚に注視しなきゃならんのだろなぁと

頭の中のいい感じで満足する自分に

気を付けなきゃならんと思いましたが

四つん這いから胡座に移っていった時

まだまだ胡座と呼ぶには程遠い状態でしたが

なんちゃつて胡座を痛みなくキープ出来て

心の中で小躍りしたりして

アリの一歩ほどの前進を感じられまして

出来ないままだけど

自分にしか分からない変化も発見出来て

とても楽しかった…





(久しぶりにヌースコアな皆様の映像を

拝見したが…やっぱりヌースは面白い。

私は既に娯楽に近いと思うのだけど

是非ともご覧頂きたい🎶)


"認知"

遂にヌーソロジーなる空間認知まで辿り着いた。

思考という回路も実はマトリックスの中で

幅から出て思考せよ…と教えて頂くわけですが

そこで足りない頭で考えたりして…

どうしてそう考えるのか、認知、認識するのか

という所を見つめざる得なくなり

認知、認識するに当たり

自己存在を起点にしなければ

何一つ認識することが出来無いと考えたら

自己認識や身体意識、感覚を考えることとなり

身体の導き…聲なのか光岡先生を見つけた。


身体意識も

頭や習慣、惰性、不自然、社会環境によって

何層にもマスクしている有様で

マトリックスからなかなか出られない

マスクしていて息がし辛いという

人間にとって肝心な

呼吸感覚が麻痺しているわけで

心身滅却すれば

火もまた涼しとは違う意識状態である。

今はコレらを極められる人は

基本的な身体観覚が出来ていたんだろうと

感じているが

今回、光岡先生からも教えて頂きましたが

思考する知性

身体を観る観性

揺れて漂う気持ちを観る感性

そして人としての悟性

それぞれのマトリックスを超えて

全てを融合していくのだなぁ…と

まだまだだけど遠くが見える気がした…


(昔…いつも見ていた景色…八ヶ岳)


森は地下で繋がって会話しているようだというが

自分の身体の聲が

全く聞こえていないわけで

私は人工的だとよく分かった


繋がりを取り戻すって

コレなんだろなぁと深く思った今回でした。



光岡先生が即興で観て

型を作るのを横で見てて

ヌースの広宣さんもだけど

本当に理解し観ている人は回路が有って

地図が書けるのだなぁと

やっぱり感動してしまいました。

本当に恵まれていると思う。

是非、光岡先生に触れて頂きたいと思います。


今回も大変お世話になりました。

また宜しくお願い致しますm(_ _)m



coldplayの来日が11月に決まり

チケットも確保して安堵しているのだが

バルセロナ公演では

Gipsy kingがゲストで現れて盛り上がってた

久々に流れてきたGipsy king☆



追記…

もうブログ熱が消えてしまったから

ちょっとした気付きなどを記す機会を失っているのだけど…海の話…

福岡に帰って来てから豊かな海を食べまくり

泳いだり、ウロウロしたりと満喫していたが

今年はあの大量に流れ着くワカメが

殆ど流れて来なかった…

私は時期早々に見つけたらすぐに採ってたが

トップシーズンを待っていたら

全く気配が無くて不自然に思っていたら

馴染みの万屋さんでワカメ漁中止の為

ワカメ販売終了と書かれていて

驚いて尋ねたら今までの中で一番の不作で

全くワカメが育っておらず燃料の無駄だから

もう漁師さんが漁を諦めたという…

自然に流れ着くワカメも殆ど無くて

ワカメだらけになる浜が全く無かった

昨年の赤潮が原因かと話されたが

あれだけ広大な海が一瞬で変わる様に

驚いてしまった…

不作とはいえ…自然植物だからと思っていたが

本当にワカメが流れて来なかった


ワカメが来なかったことが

この辺りの浜でどの様に影響してくるのか…

まるで海に除草剤を撒いたのかという感じで

それは自然自体のサイクル的な現象なのかも知れないけれど

溢れるワカメがこんなに簡単に消えた浜を見て

とてもショックを受けた…

もうすっかりワカメ採りにも慣れて

四季折々の海の景色に馴染んでいたから

なかなかのショックだった


消えていく時は一瞬なのかも知れない…


Twitter内で貝殻を採集していらっしゃる方が

"採集出来る時はこんなものを集めてと

思うでしょうが、ソレがいつ獲れなくなるかは

誰も知らないわけで

ある日獲れ無くなってから騒いでも

もう集められ無いのです。

採集とはそういうものです…と

話されたのが忘れられずに残っているが

ワカメが消えることがあるかも知れない…と

強く感じた春先の海だった

また泳ぐのを楽しみにしているけれど

豊かな海が更に失われていく様で

魚たちに会えるのか少し心配している