私の3年半ぶりの帰省も後一週間

振り返ればアッと言う間だったけど

何度も家に帰りた〜い!と彼に泣きつくこともありました。


そんな中、私にとってこの帰省の一番したかったこと: まだ、会話の出来る母を故郷にいる兄弟に会わせたい

を実行いたしました。

最初は私一人で頑張るつもりだったのですが、

東京から(いや、正しくは千葉から)母の1番下の弟が私達に会いに来てくれ、私の計画にのってくれ同行してくれました。だから、私は心強いし、楽でした。


母が生まれたのは島原。何でも今はとっても有名になっていると言う大三東駅が最寄りの駅らしいです。


(画像拝借しました)

昔はこんなに綺麗じゃなかったらしく、オジ達は駅から直に海に飛びこんでいたらしいです。

そして、この駅の話をすると、毎回涙目になる母。貧しい一家で仕事を求めて大都会だった北九州に引き上げた日の光景と不安、別れなどを思い出すようです。


この夏は、この島原での思い出話がよく出てきます。


さて、北九州。オジの粋な計らい皿倉山に登り、北九州を一望して、そこから高速使って、下関市に入り、これまた、今はすっかり有名になってしまった唐戸市場でワイルドにお昼を食らい、認知な母もガッツリ汗だくになりながら食べてました。


そして、この日は最愛の祖母の命日でした。偶然なんですが、これはおばあちゃんが私達を呼び寄せたんだなあと、私は信じています。

祖父母のいる納骨堂にお参りをしました。


残念ながら本家の人たちがコロナになってしまったのでオジ2人には会えなかったのですが、最後に母の1番上のお兄さん夫婦に会いました。御年88歳。でも、とっても元気でした。

キョウダイ3人揃うと、やはり話は島原の話。しかも、島原弁丸出しで。私には通訳が必要になります。


と、盛り沢山な一日となりました。


以上はハイライト


でも、実は、母をこうして連れ出すのはこれが最後になると思います。それは大変で… 

毎日の日課を壊すというのが、もう、無理なんですよね。1か月も前からこの日の話をし、カレンダーに書き込み、前日には日程を大きく書き出し、この間、軽く50回以上は

誰がいくと?いつ行くと?なんで行くと?日帰りやろ?とあらゆる質問を受け、

そして、当日、

そんなことは聞いてなかった。そう説明してくれたら良かったのに、今、理解できた…

とか、文句言われ…


夜は慣れないホテルのベッドを数時間おきに起きてアレンジしたり、トイレ探したり、トイレと間違ってドアを開けたり… もう、混乱しているのが明らかでした。


でもね、母にと言うよりも、やはり同じく老いていくオジ達にね、会話の出来る母を会わせてあげたかった。