私の人生を一から見つめなおしていきたいと思います。どの時期も辛い思い出ばかりですが、歯を食いしばっていこうかと思います。

 

 

〇誕生

両親の出会いは仕事がきっかけだったそうです。結婚し、父方の実家がある京都で生活が始まりました。

そんな2人の間で、私は平成の初期に次男として産声を上げました。

 

 

〇家庭の崩壊、転校

幼少期の記憶で今では不鮮明になりつつありますが、思い返してみても良い家庭環境ではなかったと記憶しています。

 

両親は結婚したものの、結婚生活が始まってからは性格の不和が大きかったようです。

父親は子供の私たちが生まれてからも趣味や実家などを重視し、実家から結婚を機に離れた母親は生活と子供など家庭を重視する。共働きだったこともあって生活リズムも合わず、家族団らんを過ごした…という記憶はまずありません。

 

小学校に入学する前後だったかと思いますが、父親のケータイに浮気相手と思われる人物からのメールが来ているのを見てしまったことがあります。うろ覚えですが「また今度ご飯に行こうね」といった文言が書いてあったでしょうか。

これが独身同士でのやり取りであれば可愛らしいものですが、既婚者で子持ちである父親がこのようなやり取りをしていることが正常ではないことなど、当時子供であった自分から見ても明らかなことでした。しかし幼かった私には何ができるのか、どうすればよいかなど分かるはずもありませんでした。

 

私が小学校に入学した頃には、両親の仲はもう戻らないところまで冷え切っていました。お互い干渉すらしなくなっていたので喧嘩は避けられていたと思っていましたが、ある日我慢の限界が来たのか大喧嘩が勃発してしまいました。記憶違いでなければ、家の中で家具を投げつけるような大騒動になっていたはずです。しかし思い出そうとしても、忘れられるはずもない本当にショックな出来事だったのにあまり思い出せないのです。

うっすらと「自分と兄が大泣きしている姿」「両親が怒声を飛ばして喧嘩し合う姿」というのは浮かぶのですが、あまりにも衝撃の強すぎる光景に今でも脳が思い出さないよう待ったをかけているのかもしれません。

 

 

その後、小学校低学年の頃でしたが、私は母親に連れられて京都を去りました。関東にある母親の実家に逃げるようにして避難し、祖父母と一緒に暮らすことになりました。しかし、ここからも私の人生の不幸は続いていきます。