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読んだら、今すぐやる!牧田と一緒に毎日行動する事で、自分を磨こう!

自己啓発は星の数あれど、実践している人はごく僅か。行動を起こす人は、100人に1人。
難しく大変なこと抜きで、私の実践事例を踏まえてあなたの「こころの足かせ」を外します。
ビジネス書を捨て、私と一緒にこのリアルな世界で真の「しあわせもの」を目指しましょう!

先日の「友達に会いに行く」の続編。

日曜日、友達と久し振りの再会を果たし、幸せな氣分でホテルに戻る。
当時はGo to travelがまだお咎めなしだったので、翌日の月曜日に有給休暇を取得して滞在している。
新幹線のチケットより安い単身向けツアーなら、泊まらなきゃね。

朝早かったし、マラソンも走って、もちろん飲酒とご馳走のおかげで眠い。部屋に入室してからベッドに突っ伏して、しばし仮眠する。
起きたら深夜だったが、友達といろいろ飲み食いしてお腹は一杯なので、ホテル周辺を散歩、コンビニで飲み物等を購入して帰る。深夜だというのに、道路工事の警備員に誘導されて歩く。こんな時間も、誰かが働いている。お疲れ様です。
軽くシャワーを浴びて、本格的に就寝。

朝、部屋で目覚める。いささか手狭ではあるけれど、誰もいない空間に独りというのは、氣楽で良いなあ。
家族が居ると楽しいし頼りになるけど、プライバシーや自由は否応なしに制限される。
こういう時間とシチュエーションは、贅沢だなぁ、と感じる。
コロナが我々人類から奪い去ったものは計り知れない。これも、そのひとつ。

牧田は、朝食をホテルでは食べない派。
(家族旅行とかでは食べますよ)要は、地元の飯が食べたいのに、わざわざビュッフェで千円越え・ありきたりメニューの朝食を食べ過ぎるのが嫌いなだけ。そのあと食べるお昼も、美味しくなくなるからね。

で、ロビーを出て外へ。最近のホテルは鍵預けないし、外出も持ち込みも自由、冷蔵庫も空っぽ。これも、なかなか自由だなぁ。時代は変わるものだ。

魚市場近くのカフェでモーニング。朝はご飯派なのだが、何しろ昨日食べ過ぎて軽いものが良いと、こちらのお店に。





こじゃれた感じのカフェに無口な若い店主と、魚市場の威勢の良い男性客たちが対照的。仕事終わりの楽しげな名古屋弁の会話、燻らせる紫煙。そう、喫煙家の味方。なかなか良い雰囲氣。

苦味の際立つコーヒー、酸味が効いたドレッシングのサラダ、そして香ばしく焼き上がったピザトーストのモーニングセット450円は美味しかった。いや、こういう時間も貴重だ。

ホテルに帰る前にお土産物を購入。電子クーポンが付くので更にお得。いろいろ買う。自分の酒のつまみも買う。名古屋飯は、味が濃い目で酒のあてに最適だ。

ホテルをチェックアウトしたら、荷物とお土産物を早々に駅のコインロッカーに仕舞う。令和の今は、コインロッカーのキーさえなくなったのか…お金(電鉄系カード決済も可)入れて集中パネルで操作すると、バーコードリーダーの印刷されたレシートが。荷物を出す時はこれを読み取りさせるのか…凄い時代になったものだ。まあ、場所によっては鍵付きもまだ健在だった。ご年配の方はこっちだね。

身軽になったので、名古屋のちょっとだけ高いお風呂!へ行くことに。
誤解のないように申し上げますが、いかがわしい風俗店ではなくサウナね(笑)
サウナ&カプセルホテル ウェルビー栄店。1時間1100円で「ととのう」。

昔は開店したばかりでピカピカだったけど、さすがに古めかしい感は否めない。それでも、いやあ懐かしいなぁ。



前職で同じ営業所の仲間と、良く行ったなあ。営業課長の村Oさんはいくら誘っても「奥さんに誤解される」(ラブホや風俗店疑惑)と言って、頑なに来なかったっけ。ご自宅で焼肉ご馳走になる時は亭主関白な体なのに、変なとこ氣遣うんだな、と独身の我々はいつも不思議がっていた。家族のいる今ならば分かる、分かるぞM岡さん。

昔のままの浴槽だが、サウナはいろいろ進化を遂げていた。ドラマ「サ道」で取り上げられたのでご存知の方も多いだろう。木の薫りのする森林浴サウナやひんやりする冷凍サウナ、ちょっと冷たすぎる超低温サウナ、横になれるスペースのある乾式サウナ等、かなり進化を遂げていた。
参考までにTV東京ドラマ「サ道」では…
第7話「ゴッドファーザーと共にととのう サウナ&カプセルホテル ウェルビー栄店」
で舞台になっている。こちらが取り上げられた時は、嬉しかったなぁ。ご興味ある方は、AmazonプライムかDVDでどうぞ。

サ活も終わり、時間はお昼。じわじわと空腹に。お昼はこちらも懐かしいお店に。
昔はここより西側の雰囲気ある(古いって事ね)店舗が移転して新しくなった。自社ビルなのか、おそらくお座敷とかもあるのだろう。




昔と変わらない「ビーフステーキ定食」900円。血の滴る牛肉、目玉焼きとポテトサラダ(今回は頼まず)各100円でオプション。いや、懐かしい味もそのまま。こういうお店が残っているのは嬉しい限り。
店主らしき年配男性と、お会計時にしばしお話をさせて頂く。昔のお店の話も。いろいろご馳走様です。

栄の街並みを、しばし探索。
ほぼ30年振りか。若かった自分が、肩で風切って歩いていた街だ。
バブルの終わり頃か、まだまだ活気があったなあ。
だいぶ変わってしまったけど、昔のままのスポットもちらほら。そういうのを見るとほっとする。
コロナでいろいろ大変なのだろうが、何とか乗り切って欲しい。

せっかくの名古屋探訪なので、懐かしいお店をもう一軒。こちらもよく通ったなあ。数店舗あるが、私はこちらのカウンターのみの薄暗いお店が好み。
名古屋なのに、何故か長崎ちゃんぽん。本場のそれより随分あっさりと食べられる逸品。たっぷりの野菜炒めと豚バラ肉、シーフード、さつま揚げと竹輪の薄切りが絶妙のハーモニー。
酒の〆にも、ご飯やいなり寿司と一緒にランチでもよく食べた。独り暮らしだったから、手軽に野菜が一杯食べられて助かった。



中には先客1名と、年配男性店員さんが2名。見覚えのある方々だ。ぼそっと呟く「いらっしゃい」が嬉しい。懐かしい味も昔のまま。短縮営業らしいが、頑張って欲しい。

食べ終わって、こちらはそそくさ退店。再び、栄のあちこちを散策。折角来たのならと、BEAMSの栄店。冷やかしのつもりだったが氣になる上着があり、値札見たらまさかの「52800円」(税込)予算大幅オーバーなので、バーゲンに期待して退店(笑)
このビルにはあの「DOLCE&GABBANA」も。エスカレーターから店内を見ると、レジ前のメインテーブルで本当に香水を売っていた(笑)売れてるんだろうなあ。

新幹線の時間まで、今度は名古屋駅をぶらぶら散策。夕飯までに帰る予定なので、車内で軽く晩酌しながら帰る予定で、駅周りを探してゲット。ぷらっとこだまのクーポンで350mlビールも。

で、無事に名古屋市から浜松市に帰って来た。もちろん体調は異状なし、いろいろリフレッシュして見聞も広められた。

なんの事はない旅行記だけど、この程度でも難しい人も居るのだろう。きちんと対策、準備さえすれば移動や会食は充分可能だし、後は皆さんの心構えと正しい行動ではなかろうか。コロナ死よりも破産者や自殺者が増えている方が遥かに問題だし、知識や情報を常にアップデートして現実と対処していくのが、我々にとって大切な事ではないかと、強く思う。






いやいや、様々な閉塞感極まりない昨今ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?

巣籠もり年末年始で、帰省を諦めた人

Go to travel停止、で泣く泣く旅行キャンセルした人

Go to eat のチケット売り止めで、グルメ三昧の当てが外れた人

お氣の毒さまです。

ただ、私は行きましたけどね。

古い友人達に、会いに行きました。

友達って大切ですよ。もちろん、感染対策は万全過ぎる位やりましたし、健康に氣をつけるだけでなく、免疫力上げる為にメンタルの平静にも努めました。ついでに短距離ですがマラソンも走ってストレス解消、なかなか充実感のある旅でした。

行くなとか、言われてないですからね。

あくまでも自己責任なのですが、あまり自粛ムードだけでは参ってしまう。

感染しなきゃ、どこに居ても誰と居ても、普段自粛してるのと同じ。

感染する恐れのある人(身体的な基礎疾患もそうだけど、飲み会で我を忘れるとかの自制できない人も)は、自粛しなさいって話。

外食したって移動したって、ケロッとしてる人の方が圧倒的に多い。

通勤電車はすし詰めなのに、クラスター発生してないし。

飲食店だって、シールドや換気等きちんとコロナ対策したお店でコース形式(取り分けなし)で食する。

極めつけは、フェイスガード飲み会。

口からの飛沫が相手に届かなければ、感染する確率は極端に減る。

皆さん、そろそろコロナウイルス(武漢ウィルス)との付き合い方を覚えよう。


私が初めて、花粉症だと意識した時に思ったのは

「人は大氣の中でしか生きられない。日々の生活を送る上で、花粉から逃げる事は不可能。なら、花粉と向き合い、きちんと対策するしかない。」

で、花粉症(アレルギー)についてもっと知りたいという欲が芽生え、ネットでいろいろ調べたり聞いたり、本を読んだり。まずは敵を知れ、って奴ね。

今はほとんど症状出ませんよ。ま、対策いろいろしてるからね。個人差あると思うけど、ほぼ私の勝ち。

コロナだってそろそろ1年か、それ以上の付き合いなんだからもう少し分かっている方が良いと思うけど、みんな不勉強なのかメディアに洗脳されてるのか、どうもピント外れな人が多い。

行くも自由、留まるも自由。どっちもやり過ぎや我慢し過ぎは身体や精神に悪い。国が、菅総理大臣が、県知事が、市町村町が何を言おうと、あなたの行動は止められない。

きちんと対策した上で、大手を振って遊びに行くも良し、巣籠もりもまた良し。

子供じゃないんだから、いい加減自分で決めなよ。

いつまでも国やお医者さんのせいにしてる場合じゃないよ。

日本人の伝統文化が、分断されようとしているかも知れないのに。

初詣だって、きちんと対策すればいつもと同じ。

残りの人生の方が圧倒的に短い私は、やりたい事や会いたい人には、できるだけやったり会ったりしていきたい。

昨年、この時期に大切な友達を失った。

もう、後悔したくないんだよ。






牧田です。また変な事言い出したよ…この人は、って思ってないですか?(笑)

異世界って、漫画や小説によくあるあれかい?何かめんどくさい奴ね。
これと言って取り柄のない地味な主人公が、ふとしたきっかけで全く違う世界の誰かになって、その世界のヒーローやヒロインになるって奴だろ。

ないない。そもそもおとぎ話レベルだろ。だいたいどうして異世界の言葉がすぐ話せるの?社会や経済のルールを理解して、自然にできる位に備わってるの?そもそも人間が暮らせる場所なの?食べ物は?飲み物は?疫病や危険な動物はいないの?そもそも酸素はあるの?

歌の文句じゃないけど、

「朝目覚めたらどっかの誰かに、なってやしないかな、なれやしないよな、聞き流してくれ…」
(King Gnu 「白日」より抜粋)

レベルの戯れ言だよね。あ、この曲は大好きなんで、別にバカにしてないですよ。

でも、本当にそう思う?

魔界の住人や過去の外国人になるのは、そりゃ無理だろう。そんな例があれば、外国の古い文献に日本人の誰々がここで別人としての生涯を終えた、とか書き記してあってもおかしくない。でも、そんなものは、見たことも聞いたこともない。

でも、現代のこの国内でも、異世界って意外とあるんだけどね。

例えば、学生にとっての社会人の集団。

就職して、「あれ?ここって全く違う世界?」だと思わなかった?

入社式して、数週間の研修が終わったら現場に配属。今はコロナでとても無理だけど、ちょっと昔までは必ず新入社員の歓迎会が開かれ、全く知らない大勢の大人達が大騒ぎしながら歓迎してくれ、そのうち自分達だけで盛り上がって、新人置いてきぼりの図(笑)

これは、間違いなく異世界の一種だよ。

社会人だって、いろいろな種類がある。
業界が違うと、全く違う世界だよ。
異業種交流会なんかに出席してみると、良く分かる。
業界や団体の常識は、他の業界の非常識だったりは日常茶飯事。
ましてや自分の会社内のルールなんて、他の会社ではご法度なんて良くある事。

会社組織の人と、自営業の人の意識の差。これは結構大きいよね。

会社の名前で大きな仕事を任されて来た人が、フリーランスに転身して誰にも相手にされず落ちぶれていく。ま、人は会社ブランドしか見ていないって事実。

一方、手に職のある自営業者は、どこでも誰とでも黙々と仕事をこなし評価される。そりゃそうだ。きちんと仕事してくれたら、肩書きやネームバリューは必要ない。

地元企業に就職して持ち家で暮らす人と、賃貸住宅に住む転勤族だって、価値観や生き方は違う。私自身、前職は転勤族だったけど最近は地元志向だから、両方の氣持ちが分かる。

自分達の属している世界だけが、自分に合った世界だと無理やり決めつけてないだろうか?

ここに挙げたすぐ隣の世界だって、充分に異世界だったりする。しかもちゃんと言葉も通じるし、経済システムや社会的インフラも同じ。

そう、あなたの知らない経験したことのない異世界は、すぐそこにある。

思い切って、飛び込んでみるのも面白いし、あなたの成長を促すきっかけになる何かを掴めるかも知れない。

知らない人と話したり、畑違いの仕事に敢えて首を突っ込んでみるのは良い刺激や、得がたい良い経験になる。

1つの会社に長く勤めていたり、仕事にマンネリを感じている人は、是非ともやってみて欲しい。歳を取ると、余計に億劫になったり、尻込みしたりするけど。

大丈夫、命までは取られないから。

思い切って、飛び込んでみる価値はあるよ。

悲しい。脱力感と倦怠感、無力感に襲われる。自死は卑怯だ。残された者への冒涜と、裏切りと、逃走なのだ。

好きな女優さんだった。別に思い入れがあったり、写真集を買ったりはしない、でも何か氣になる女優さんであったのは間違いない。中村獅童さんとの結婚に軽く凹み、その後の離婚の報道に小さくガッツポーズした。特にドラマを追っかけてはいないが、機会があると観た。美人は当たり前なのだが、作品毎に違う表情や仕草が変わる、稀有な女優さんだった事は間違いない。笑わない役(ダンダリン)や、変人に近い推理力の達人役(ミス・シャーロック)も魅力的だった。何にでもなれる、それでいて何者でもない。女優が天職であったと確信できる瞬間だった。

昔読んだ雑誌「ダ・ヴィンチ」で、竹内結子さんのインタビュー記事が載っていた。

私も好きな五木寛之氏著の

「晴れた日には鏡をわすれて」

に感銘して、主人公の「沢木涼子」を、いつの日か自分で演じてみたい、と締め括っていた。

本書のストーリーは田舎に住む、容貌にかなり難のある若き女性(牟田口アカネ)が、ふとしたきっかけで知り合った天才整形外科医(クサカゲ・マコト)の手により、顔の手術だけではなく様々な言語や教育知識、スポーツ、社会的マナー等の訓練を受け、全くの別人(沢木涼子)に生まれ変わる物語。美しく上品に生まれ変わった容姿とたぐいまれなる教養や行動力によって、彼女を見る周りの目や扱いは180度変わった。しかしその先にあるものは、幸せだったのか?それとも…美醜という数ミリの目鼻の位置や大きさ、角度が産み出したものは何だったのか。単なる美人女優と言うだけの度量や経験だけでは太刀打ちできない、難しくて奥行きのある役柄だっただろう。

観てみたかったなあ。もう叶わない夢ではあるけれど。

歳を取ったおばあちゃんの役も、観てみたかった。
月まで三キロ https://www.amazon.co.jp/dp/410336212X/ref=cm_sw_r_other_apa_i_sfNjFbHR9YMBB

休業要請、移動の自粛。新型コロナウィルス(武漢ウィルス)の影響で家にこもる事が多くなった時期、書店で偶然、この一冊を手に取っていた。
店頭のフェアの中の一冊だと記憶している。まあ、良くある出会い方だろう。書店のポップには本のタイトル「月まで三キロ」の語源と言うか、実在の標識(浜松市天竜区)についての丁寧な解説が記されていた。浜松市民の私も見覚えのある標識。


遥か38万余キロの彼方にある夜に輝き、満ち欠けを繰り返す天体とは何の関係もなく、単に「月」と言う名の集落(地名)が存在するだけなのだが、ネットが普及してからこの標識は「世界で月に一番近い場所」みたいな文脈で語られるようになって久しい。静岡県民のみならず、この本のタイトルからこの標識を連想する人は、意外に多い。

著者の伊与原  新(いよはら  しん)氏は東京大学院卒業の理学博士。理系の方々の書く文章に多い理屈っぽさではなく、情感やこころの動き等がきちんと描かれている。NHKの「ブラタモリ」的な理系テイストもふんだんにちりばめ、内容に深みと奥行きを加えている。

出会いと別れ。希望と再生。他者と自分との距離や境遇を見つめ直す事からの、新たな学びと氣づき。短編集の中の一貫したテーマと、伝えたいメッセージを感じる一冊だと思う。

どれも好きな作品だが、今回はこの中の第五話「エイリアンの食堂」を、個人的に強くお薦めしたい。

茨城県つくば市の片隅にある定食屋「さかえ食堂」に平日毎晩、曜日別にメニューを変えて利用する謎の女性「プレアさん」、妻と死別した男性店主、その小学生の娘との短い交流を描く作品なのだが、これが何とも言えず良い。「プレアさん」は小学生の娘が勝手に命名して、本人に「プレアデス星なんでしょ?ほんとのおうち」と伝えている。

「宇宙人だなんて、失礼な !」とならないで「なぜ、私がプレアデス星人だと思ったの?」と訊き返す彼女の優しさと度量、その基となる絶えざる探求心の片鱗を感じさせる台詞だ。結果には必ず原因が存在する。その原因を突き止めたいのだろう。

で、この作品を読みながら思い出した曲がキリンジの「エイリアンズ」。しばらく聴いてなかったのだが、聴き返すとやはり共通のフレーズやキーワードが多い。伊与原氏のキリンジ「エイリアンズ」に対する、大いなるリスペクトとオマージュが本作の屋台骨となったのは間違いないだろう。

舞台のつくば市を「この星の僻地」と言い切るのは正直、つくば市出身や在住の方々に失礼かも知れない(伊与原氏ではなく、牧田の言質だ)が、日本の地方都市など、ほとんどが僻地のようなものだ。作中には「イナカ星からツクバ星に移り住んだエイリアン」みたいな記述もあり、むしろつくば市の方が都会であると感じさせる一節もある。東京に住んでいた30年前以上前「筑波万博」のパビリオン撤去作業のアルバイトで一度だけ行った、今は地方都市(静岡県浜松市)在住の私も、つくば市は不思議な都会。そう感じる何かが、確かに存在する。
日本はNHKの「家族に乾杯」等で見かける、どこまで行っても田舎と僻地が大部分の国なのだ。

旅客機(ボーイング)は出てこないが、代わりにISS(国際宇宙ステーション)の飛来シーンが出現する。音もなく、天空を飛来するオレンジの光。プレアさんはそれに向かって「おーい!」と呼びかける。研究者である彼女に似つかわしくない、一氣に彼女の人となりを感じる瞬間だ。

重要なシーンは夜。ツクバ星の夜景は、新世界(通天閣の近くではない)のようなものなのかも知れない。かつて私も名古屋に住んでいた時代は、市内から平針方面へ繋がる陸橋からの景色が好きだった。オレンジ色の街灯と夜景。昼間の風景とは全く異なる幻想的な、夜の帳の光景だ。

「エイリアンズ」の耽美で物憂げな歌の世界を、つぶさに小説に書き起こしたような錯覚を覚える瞬間が、そこかしこに見受けられる。内容は全く違うのだが、不思議な既視感を覚えるのは私だけではないはず。

そして、核心に迫るキーワードは…

ネタバレしないよう皆さんご自身で探して下さいね、是非ともキリンジの「エイリアンズ」を聴きながら、本書を読むスタイルをお薦めしたい。


「エイリアンズ」は月夜の景色が似合うラブソングだが、「エイリアンの食堂」は家族の物語。子持ち男やもめの店主が「プレアさん」と恋に落ちるのかと、一瞬だけ思ったがそうではない。それだと陳腐な話に終わってしまう。でも、伊与原氏はその可能性をも残して余韻にしている。読者がその先を想像できるのも、短編の良さであると思う。

恋愛小説をご所望の方は第二話「星六花」を。これも切ないけど、希望を感じられるラストが秀逸。