素足と寝巻のままで「ヤーヤー」といい合った毒などは、たちどころに消え去って、バラバラと石弾が飛び込んで炸裂し火花となって飛び散る」爆発のイメージばかりが強い焼岳だが、登山が許可されていた期間もけっこう長く、登山者も多いのです。

作家、尾崎一雄の描く1938年ころの焼岳頂上のようすです。

「耳に入るものは、轟々という噴煙の音ばかりだ。

じっと眼をつむってみると、私の感官から人るものは、その音ばかりだ。