一杯のかけそばがある。

真冬の曙頃、五時半から六時あたりに感じられる霧がかった灰色に、黒く艶のある砂塵を全体にまぶしたような肌触り、成人女性(身長百五十五㎝から百六十㎝、二十歳から三十歳程度)の頭蓋骨はあろうかと思われ、また同様の小指(手)程度はある縁、一般的なそれよりは相当大きいであろう(少なくとも私はこんなに大きなものは見たことがない)口を持つ器にかけそばが一杯、盛られている。

湯気は立っていない。

器の左斜め前(私には丁度四十五度に見える)
にその高さの倍ほどの影が出来ており、
木や池、家の上に取り付けられた風見鶏のように
自然とそこに佇んでいた。

しかし、ひとつだけ問題があった。

それは私がこのかけそばを
食べなければならないということだ。

さほどお腹は空いていないし、
確かに無類のそば好きである私だが、
誰のものかも分からないそばをこっそり頂くほど
貧しくも卑しくもない。

仮に食べなかったとしても
特に困ることも困らせることもないだろうが、
私はこのそばを食べなければならなかった。

添えられている箸は深い緑が美しい漆塗りの品で
少し傾けると上品に鈍く光った。

器は意外と軽く、手にじっとりと馴染んだ。

そばは髪の毛のように細かった。

女性一人分の毛量はあろうかと思われ、
とても献身に手入れが行き届いていた。

これはきっと腰辺りまであったに違いない。
これだけの長さと毛量だと
どんくさい扇型に広がってしまったり
割けるチーズのように無秩序に枝分かれしたり、
挙げ句の果てには鞄に入れっぱなしのイヤホンコードのように
焦燥を起こしてしまうものである。

しかし、そのようなことは一切なく
上品に規則正しく流れる様は
まさに穏やかに煌めく河川の流れを思わせた。

とても美しいロングヘアーだった。

しばらく感心の放心を楽しんだ後、
美しい箸で美しいそばを持ち上げた。

一口分として持ち上げたそばは器より重いように感じられ、
じっとりと箸の先から三㎝ほどに絡み付き
目線まで持ち上げたがそばの端は汁からも出なかった。

持ち上げてみればまたより一層その美しさが際立ち、
先程より伸びやかに差し込む日差しが
ロングヘアーに沈むようにあちらこちらで輝いた。

なんと美しいことか。

官能的ですらある。

私はこのそばを食べなければならない。

食べなければならないのだ。




― 20181225 古志野光