こんにちは!

 過去世から今世の問題を読み解く魂の庭の案内人・オリンのチャネラー、アスティです。

 

 ニューヨークの話の続き(いきなり)。

 

 少し入り組んだ話をすると、アスティ、ニューヨーク市立大学ハンター校という学校に入学しました。

 同じ市立大学でもブルックリン校もあればバルーク校もあり、短期大学を含めると姉妹校は十数校あります。

 アメリカというのは面白い制度があって、取りたい授業があっても決められた日の決められた時間にサインしないと取りたい授業が登録できない仕組みになっています。オンラインの登録なので、当然サーバーの具合で登録もれしたり、人気のある授業はあっという間に登録数が埋まってしまい登録できないということがあります。そういうときのために、救済措置として、私立公立を問わず、「この授業を提携先の学校で履修したらうちの学校で履修したことにしたあげる」という方法がありました。だから隣の席の子がほかの大学の生徒なんてこともたまにはあるんです。

 ニューヨーク市立大学、姉妹校の提携もバッチリ。

 でもそんな制度のなかでもできないこと、それは「他校で専門科目を登録する」ということでした。

 アスティ、最初はスペイン語を専門にしたかったんです。ところが、外国人は就労ビザを取るときに、「大学の専門科目に携わる仕事以外はビザを取れない」ということを知り、

「ええっそしたらスペイン語の通訳か翻訳するしかないじゃん! むりむりむりむり! ペラペラにはなりたいけどそんなこと仕事にしたくない!」

 と思い直し、専門科目を変えればいいものを頑固にそこは変えたりせず、考えたんです。

「ビザが取りやすい仕事とはなにか?」

 姉の意見も取り入れて、行き着いた先は「ビジネス」という選択でした。ビジネスと一言にいっても色々ある! ビジネスを選択すればとりあえずみんなビジネスやってるからビザ取れるじゃん! という安楽な考えです。

 しかし。

 ハンター校にはビジネスの専門科目はありません。

 しかしビジネスを専攻したい!

 困ったときに訪れるスクールカウンセラーのおばちゃんに相談しました。するとおばちゃん、いいことを教えてくれたのです。

 それは

「CUNY BAというシステムに入ってそこの特待生になれば市立大学内でなら姉妹校の垣根を越えて専攻科目を決められる」

 というものでした。だけじゃなくて、自分で専攻科目を設定できる、というものでもあったんです。

 例えて言うなら、わたしスペイン語専攻でした。

 スペイン語専攻というと、ふつうは「スペイン文学専攻」ということになるんです。

 ところがわたしは

「文学? いえいえわたしはスペイン語がペラペラになりたいんだよ! 文学なんて興味ない」

 というわがままな生徒。そんな生徒はCUNY BA(City University of New York, Baccalaureate)の特待生になれば自分で自由に専攻科目を設定できるというものです。

 ただし利点があってもそこは特待生、厳しい条件があります。

 

 それは「審査時評定平均4.0点以上、教授の推薦状、エッセイの提出」というものでした。

 評定平均4.0点というとオールAです。言葉のハンデがあるわたしにはむつかしい条件です。Aをとれる授業を早い内にとらねば、そう思いました。

 

 ここまでが長い前置き。長い。

 

 ここで、大学に入学して最初に履修した数学の授業が深くかかわってきます。

 アメリカの数学、基本簡単です。アジア人は九九を知っているので、基本算数能力があるんですね。

 

 「数学基礎の基礎」という授業を登録しました。

 ところが開けてビックリ! この授業、ほとんどが文章題なんです。

 

 数式はわかるけど言ってることや書いてることが専門的過ぎてわからない!

 たちまちついていけなくなりました。

 

 でも数式は解けるんですよ。悔しいでしょう?

 

 教授が

「こことここと約分して・・・お題は6×7だね。さて答えはなにかな?」

 というと、大教室の後ろのほうで

「38!」

 という声が聞こえます。

 固まっていると、さらに別のところから

「39!」

 という声がしました。教授はにこにこして、

「違うね。違うねえ」

 といちいち答えています。

 斜め前の女の人が叫びました。

「41! 間違いないわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大間違いだよ(血涙)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 待って、わたし6×7ができないひとたちに負けるの? Aとれるの? 無理っぽい! 

 しかし時間は待ってくれません。

 授業は週に二度のペースで進んでいき、あっという間に一回目の中間考査になりました。

 

 この数学の授業のルール、それは

「テストは四回。最後の期末だけ得点ダブル。一番悪かった点数だけ数に入らない」

 というものでした。ワンチャンス。

 

 なんとか復習をして臨んだものの、手応えナシ。

 やばい! やばいよ!

 

 

 

 そして次の週返ってきたテストの得点は「53点」という悲惨なものでした。Dマイナスは69点、つまり落第点。

 Aプラスなんて夢のまた夢! どうしよう!?

 そんなアスティに答案を返すとき、教授が言ったんです。

「数学センターに行くか、わたしの執務室にいらっしゃい」。

 

 

 教授のオフィスアワーは毎週月曜日と水曜日の二時間ずつです。

 

 

 

 

 教授、いいひとそう。

 

 数式はわかる。

 ただ文章の理屈と仕組みがわからない。そこだけ知りたい。九九はできるんだから!

 

 

 

 

 

 というわけで、教授の部屋に通い始めました。

 教授はご自身がアルゼンチン人ということもあって、話すのはゆっくりで、しかもアスティの言葉の壁の問題も理解がありました。

 とにかく文章題のコツを得る。

 それが命題でした。

 

 

 そこから週に二日、二時間ずつ、授業でわからなかったことや文章でわからないことを教授に教わりに行きました。

 

 文章がわかればそこから数式にできるわけですから、問題は数学そのものよりも他のところにあったんですね。

 

 

 

 コツさえわかれば、九九の世界の話ですから、問題はするする解けました。

 

 

 

 やってきました二度目の中間考査。

 

 

 

 

 

 

 あった! 手応えあったよ! いけそう!

 

 答案を提出して教室を出ようとしたとき、教授は手招きしてわたしに聞きました。

 

 

 

 

 

「どうだったかね? 手応えはあったかね?」

 

 

 

 

 

 そりゃ教授も週二日、四時間面倒見てるんだから気にはなりますわな。

「ありました。手応えありました・・・!」

 そう答えて誇らしげに帰っていったのをまだ覚えています。

 

 

 そして答案が返ってくる次の週。

 

 

 

 

 

 ドキドキですよ。何点だろう? 60点いったかな?

 

 

 

 

 

 

 

(大教室で大人数のため名前を申告して答案をかえしてもらう)「お名前は?」

「あ、アスティですう・・・」

「どれどれ・・・・・・・・・

 

 

 

 自分が何点とったかしっているかい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 泣きそうになりました。

 

 

 

 

 

 

「70点? どうだろ・・・・・・

 69点? ですか??」

「違うね。」

 

 

 

 

 

いつもの調子で教授は言いました。

 

 

 

 

「これだよ」

 

 

 

 

 帰ってきた答案。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 95点!

 

 

 やった・・・! Aも夢じゃないかも!?

「ありがとうございます!」

「またいらっしゃい」

 という会話を交わしたことだけは覚えています。あとはもう、地に足がついてませんでしたよ。ぷかぷか浮いてたね(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それで味をしめたアスティ、教授の部屋に通いつめました。

 自習だけではどうにもならないことって、あるんです。教授とか、よくできる人とか、とにかく友達とかいないと自分の空いている穴をうめられない。

 入学したての外国人、友達ナシ。

 これは言語学的に非常に不利でした。

 

 その不利を基礎の算数能力と教授の部屋に通うことでなんとか補っていたんです。

 

 

 

 

 

 しばらくすると、席が近いひとたちと挨拶するようになりました。

 テストが返ってきたとき、

「こんなに点が悪かった! ここが間違ってるの納得できない! なんで!?」

 というご近所さんに解答を教えたりしていました。

「あなたやるじゃない! 95点? わお!」

 なんて感じでお友達ができてきたんです。

 

 

 

 そして教授の部屋に通い詰めること二週間、やってきました三度目の中間考査。

 

 

 98点でした。

 

 

 この頃には、お友達と待ち合わせして図書館で一緒に勉強したり、数式の暗記をお互いに手伝ったりしていました。

 無論、教授の部屋にも通っていました。

 

 

 

 

 

 

 何度もいいますが、「数学基礎の基礎」という授業だったので、数式さえ解ければ大して難しい授業じゃなかったんです。

 途中難しい公式とかあったけど、暗記は得意だったのでなんとかなりました。

 

 

 

 

 

 そして迎えました期末考査。

 これはルールがあってダブル得点、つまり百点満点ではなく二百点満点です。

 

 

 

 

 

 何度も何度も見直ししして。

 何度も何度も数式解いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして最初の学期は終わったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 期末考査が終わるとすぐにお休みに入るので、基本得点は知らされません。

 

 

 ところが冬休みに入ったある週のこと、教授からメールがあったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

「100点だよ! つまり200点だ! Aプラスだよおめでとう!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やった・・・!

 

 

 

 

 CUNY BA入れるかも!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 評定平均、めっちゃ上がりました。

 

 

 そりゃそうだよね、履修した授業数が少ない内のほうが絶対数で有利だもんね。

 

 

 

 

 このタイミングで特待生に応募しよう! 得点が高い内に! 評定平均高い内に!(笑)

 

 

 

 

 

 でも教授の推薦文いるじゃん!

 推薦文書けるほどわたしのこと知ってる教授なんて・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人いた!

 

 

 

 

 

 そうだ、数学の教授に頼もう!

 だいたい、学生が履修する授業数は四つが限界です。多くて五つ。最初の学期だったから知り合いの教授の数も限られていたし、なにより推薦文を書くということは生徒のことをよく知っていないといけないので(俄然熱の入り方が違うため)、優等生であることは特待生になるには必須項目でした。

 今思うと、めぐり合わせに感謝ですよね。

 

 

 休み明けに日本土産を持って、答案を返してもらうのと、推薦文のことをお願いしに教授の部屋に行ったんです。

 

 

 

 

 

 

 教授、快諾してくれましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 「推薦文というのはいいことを書かなくちゃいけないんだろう? 悪いことを書いておこう」

 と茶目っ気も忘れません。本来ならばどんな推薦文を書いたかコピーをくれるものですが、それもくれませんでした。

「悪いことをたっぷりと書いておいたからね」。

 推薦文の内容は、今でも知りません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 特待生になりたい理由をエッセイにして、英語の先生に添削してもらって、教授の推薦文とともに応募しました。

 結果は・・・

 

 

 

 

 合格!

 

 やったー! ビジネス他校で専攻できるよ! スペイン語も専攻するから二重専攻だよ!(副専攻を決めなくていい代わりに両方ともいい点数をとらなくてはならない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とにかく、人間頑張れば言葉の壁なんて大したことない、というお話でした。

 

 あとは数学の基礎知識! わたしは現役時代数学オール2でしたが、アジア人であるということは数学に長けていることにもなる! 

 この数学の基礎に救われました。

 

 頑張ればなんとかなる、というお話。若かったので睡眠を削っても平気の平左衛門でした(笑) 

 

 

 またね!