いよいよあと2日後からスタートする
大阪イベント🎪
その強力なサポートをしてくれる
占星術家 旦なおみさんが
イベントの前後には占星術の
大阪セッションを開催されます🎶
とはいえ残り2枠
ぜひともこの機会にどうぞー✨️
今週からは、いよいよ大阪イベント!
怒涛のスケジュールが始まる。
体力的にもメンタル的にも
大丈夫だろうか?
「大丈夫と思ったら、
大丈夫なんじゃないですかね!」
とサラッと本質をスタッフふくちゃんに
言われそう(笑)マジ神✨️
そんなハードスケジュールな9月は
とても楽しみな予定がある✨
その予定が決定になってからびっくり
するほど捗る。いつもそのくらいやれよ!(笑)
目の前の人参🐰ܮ🥕は
私にとってものすごく大事なんだなぁ!
さて
先日久しぶりにモヤる出来事があった事で
私の中の問題点を見つけたのでシェアして
おきたい。
久しぶりのモヤリはモヤるべくして起きて
いたのが分かった。
逃げ癖
どうやら今回は、私自身の逃げ癖を
徹底的に改めたかったのだと思う。
もうこの数年は、腹を割って話せたり
ありのまま存在してもマルっと受け入れて
くれる人達に恵まれているせいか
どんなコトも包み隠さず正直に嘘偽りの
ない自分で生きてる自覚がある。
これは想像以上に幸せなことだった。
それは、この数年で変わって来たこと。
10年くらい前はそうは行かなかった。
価値観が合わない…って、とんでもなく
ストレスだと知ったのも最近のこと。
そしてお互いの生きる(魂の)場所が
違い過ぎても本当にしんどい。
話し合うコトが出来ないという事が
どれほど人生のマイナスポイントか
話し合える人達に囲まれている今
痛烈に感じている。
かつては
ムリだなと空気で感じたら
話す努力もせず諦めのエネルギーのまま
対話から逃げてしまっていた。
なぜ諦めたかというと
↓↓↓
相手への熱量が圧倒的に足りなかった。
↓↓↓
そこまでして自分の貴重なエネルギーを
使いたくないと思っていた。
↓↓↓
対等じゃないと感じていた。
(エネルギーの総量が違い過ぎると感じた)
↓↓↓
相手の魂レベルを低く見積もっていた。
(相手に受け入れる器が無いと思った)
↓↓↓
器のない所に注ぎたくない。
もったいない。
↓↓↓
めんどくさい。
結局お互いの信頼関係がなかったんだ。
それを修正する情熱が、なかった。
しかし最近では徹底的に話し合える。
モヤることはもうない。
「ん?」と思った瞬間に確認するから
モヤ、まで行かない。
そして、なぜ話し合えるかと言うと
周りの器が大きくて
聞く耳を持っていて
お互いにリスペクトがあるから
対等に前向きに関わっている。
これに関しては
私が努力したというのではなく
器の大きな人と出会えたことで
「それがデフォルト」になり
「それが前提」になり
私の人生はそれを選択していたい!
と思うようになった✨️
器の大きな人と出会えたことが
もしかしたら私の人生を劇的に変え始め
その人生が気に入って、採用してること
はとても良い展開だと思う。
めんどくさいからと諦めた私の逃げ癖を
もうさせないために起きたモヤ。
努力して関係性を維持したい相手とは
相手と自分を信頼することでほぼクリア
できるんだと分かったけど、
話し合えないなと思う相手にはこれからも
一目散に逃げ出すつもりだし、そこに
労力は注がないと決めている。
話し合える人達が居てくれる喜びで
もう十分なので。
「まぁいっか…」と諦めて
何度もスルーしてきた自分の本音を
もう絶対にスルーさせない!
先日のモヤりから新しい決断をした。
「まぁいっか」と諦めない。
「それはムリ」「これは嫌」を
スルーしない選択をした。
私を大切にするということは
私を大切にしてくれてる人達のことも
大切にするということだ。
胸を張ってHOMEに戻れる✨🏠
逃げ癖を、1個クリアした。
完全燃焼を避けていた事柄がある。
薄々気づいていたけど、ハッキリ明確に
なった。
完全燃焼してしまったら
あっという間に興味が無くなり
私の中で「終わって」しまうからだ。
終わらせたくないことをことごとく
「保留」にしたり
なるべく掘り下げないようにしたり
深く考えないようにもしている。
答えが出たらたちまちトキメキが消え
ベクトルが向かなくなるから
中途半端にグレーに置いて
残像や余韻を反芻してまた何度も
楽しめるように
すべての出来事を意識的に分けている。
「やりきったもの」「味わい尽くしたもの」
は卒業したくなくても
卒業させられる(多分、あらゆる経験を
こなすために時間に限りがあるから)。
でもきっとそれで良い。
やりきったから満たされているし
やりきったからそれ以上はおなかいっぱい。
それゆえ
わざとやりきらないようにしているもの
を、自分の中にいくつか見つけた。
終わりたくないもの
変えたくないもの
なぜ終わると思っているのか
なぜ変わることが怖いのかというと
自分で掘り下げて答えを見つけたら
その体験を現実では
もうする必要がないからだ。
その体験から学ぶ必要がないから
掘り下げた時点で終わる。
終わらせたくないことを、私はあえて
掘り下げないままにしているという
トラップ。
自分で気付いている。
フォーカスして拡大させたら
嫌でも問題が明るみに出て
明るみに出たらクリアになるから
クリアしたらその問題で悩めなくて
悩めなくなるのが残念だから
だからあえてフォーカスしない。
まだすったもんだしてあーだこーだ言い
ながらその問題を終わらせたくないのだ。
問題はなんだかんだ楽しいし学びもあるし、
何より退屈しのぎになるから。
そこまで分かっててまだやりたいドラマ。
そんなに面白いかね?
あなたはいかがですか?
中途半端に「解決させないドラマ」を
いつまでやるのかな?
久しぶりに話したかった人と話せた。
絶対に誤解がない、理解し合える存在
との会話はこんなにも人の心を救い、
癒すのかと久しぶりに思い出せた。
誤解が生じやすい相手や
理解し合えない相手との苦悩の時間も
経験してきたからこそ今のこの安らぎが
身に染みる。
それらが、ここに来るまでの全ての不幸
だったとしたら万々歳と言えるほど、
この環境に感謝してる。
この出会いのための悲しい体験だったなら
仕方ないと割り切れるほど
このご縁に感謝している。
やっぱりガス抜きしなきゃダメだなー。
つい引きこもってずっと仕事だけしがち
だけど、定期的に人と会わなきゃダメだな〜。
理解してくれる存在を前に
「私はこんなにイライラしてたんだ」と
自分で気付けたし
「私はこんなに自分を痛めつけていたんだ」
と分かった。
自分にたくさん我慢させて
小さなイライラをスルーして
オトナの対応をしていたなんて
「自分を虐待」していたも同様。
だから
どんどん自分を嫌いになった。
そんな自分を好きでいられなくなっていた。
大切な人を大切にするのと同じレベルで
自分をちゃんと大事にしていよう。
もう絶対に
ちゃんと
自分を
大切にする!
家族だからと言って
個人の秘密を聞き出そうとは思わない。
パートナーだからと言って、すべてを
共有しなければならないとは思わない。
お互いのリスペクトと
思いやりと
想像力が持てたならば
言いたくない理由や
シェアしない選択をした時や
話す必要のないことを
理解できるのかも知れないと思うから
目の前の相手に常に敬意と
愛と
感謝を忘れないでいたい。
何でも知っておきたかった時
知らせることを強要されていた時
お互いが「制限」の中で監視して
支配とコントロール下で羽をもぎ取った。
結果、誰も幸せじゃなかった。
それぞれ適度なスペースで
信頼の元に放置して
「自由」の枠をさらに外して
愛と感謝の流れで包んだ。
結果、一層相手の心が見えた。
信頼して手を離せば離すほど
近くに存在する。
自由を贈れば贈るほど
愛が返される。
愛されようとしなくなったのは
愛されないという前提がなくなったから。
私なんて、どうせ…
という潜在意識に刻まれた観念が出てくるなら
思い出す度に何度も何度も上書きして
新しい観念を創り出す。
自由にして手放したことで無くなってしまうものは
無くなって良いものだし
愛を贈りながら贈られることに感謝できていれば
不思議と温かいまま生きられるという価値観が好きだ。
何も無くても
すべてある気がする。