先程初めましての挨拶の折に「皆さんに伝えたいことがある」と書きました。これからそれを書き込みます。
私は今鬱病で治療中です。小学生の頃から上級生や同学年の人達に虐められて育ち、両親は共働きで父とは余り接触せず、母には厳しく育てられました。
この頃から既に鬱病の気はあったのかもしれません。ハッキリと「鬱病」だと診断されたのは約5年前、当時勤めていた会社の上司や同僚、お客様からパワハラやセクハラを受けたことにより仕事への意欲が低下し、精神科で受診したところ、鬱病だと言われました。
そこから現在に至るまでのことは追々語るとして、今は昨年申請した障害年金が受理されたことでそのお金を許に一人暮らしをしようと現在動いています。
本当言うと一人暮らしは不安しかありません。料理は下手ですしものぐさですので片付けが苦手です。それでも一人暮らしをしようと思ったのは偏に家族から離れたい一心だからです。
私の家庭は皆が思い描くような温かい家族愛とは無縁です。
父は幼い頃から甘やかされて育った為に家事の一切が出来ません。手や足は動くのに肝心な“自分で何とかしよう”という意志がないのです。全て家族に任せきり、特に母におんぶに抱っこで自身が食すご飯さえ自身でよそうという発想が沸かないという。“自分が食すものは家族が用意してくれる”が当たり前になっているのです。
私は父のそんな思考に幼い頃から疑問に思っていました。特に父が糖尿病からヘルニアを患い仕事が困難になってからは密かに「死んでくれないかな…」と思うようになりました。
というのも、父の食事の為に出かけたくとも出かけられないことがあるからです。
朝出かけても母が留守ならば昼帰宅して再度出かけねばならない。当然遠出はNG。これがイベントと重なった時には本当に父を恨みました。
子供ではないのだから、自分が食すものくらい自身でよそえ!と何度も言いましたが変化なしな状況にほとほと嫌気が差したのです。
加えて、母。母は気が強く世間体を気にします。そして口が悪い。幼い頃から私は母に「女のくせに!そんなことも出来ないのかね!?役立たず!!」と言われて育ちました。
母は“家事は女がやるもの、やって当たり前のもの”という思考の持ち主で、家事をサボるとよくそうして怒鳴られました。家事をやっていても、一つ抜けていると“やっていない”と見做され怒鳴られ。子供心に傷つきました。
母に関してはまだありますが、ここでは省略します。
そして姉。私には姉が2人いますが、次女は既に嫁ぎ家を出ており、長女が未だ独身のまま実家にいます。
姉は父の堕落さと母の口の悪さを引き継いだようで、仕事に関してはきっちりやるのに家事はやらず、その癖自分の中での自分の理想像が出来上がってて、家事をやれと言えば「五月蝿いわね!アンタの見てないとこでやってるわ!」「料理くらい出来るわ!やらないだけだ!」と言うのです。
何より自分が認めた人には滅法甘いが、認めない人には滅法厳しいという性格もあります。父と私は後者なので口汚く罵られたり心無い言葉を浴びせられることがしょっちゅうあります。
この説明で解るかもしれませんが、私達家族は仲が悪いです。かなりの頻度で喧嘩しています。
若い頃は喧嘩上等の精神でしたが、もうそんな気力もありません。言われたら言われっ放し、受け止めてしまう。いつしか私はそうなってしまいました。
これまでも何度か家を出たことはあります。県外の仕事に就き、アパートに入り仕事をする。けれども体調や対人関係やその他様々なことが理由で長くは続きませんでした。
昨年も晩夏に県外の仕事に就きましたが、私が鬱病であることを申告すると急に顔色を変え、不安がりました。そして一ヶ月で「ミスが多いから」という理由でクビにされました。その理由は間違いだと何度も伝えましたが覆らず…実家に帰還せざるを得なくなりました。
然し、実家を出る前に申請した障害年金が年の暮れに受理されたと通知が来て、今月から振込がされるようになり、今度こそ私は家を出ようと決意したのです。
もう父の食事の世話もしたくないし母や姉からの暴言も聞きたくない。
私の心はもう悲鳴を上げているのです。溝が埋まらない以上、共に暮らすのは無理です。
私はアパートを探し、契約し、新築で何もないところなので家具や家電を購入しようとあちこち回りました。
今現在購入出来たものはテレビとテレビ台、ベッドのみです。
あと今現在車は母名義の車を利用していて母と共用で使用しているので、何かと不便なことも多く、この際だから自分用の車を購入しようと近所の車屋に行き商談し注文しましたが、ここでトラブルが発生してしまいました。
私の名で注文するとクレジット会社の審査が通らないのです。
私は現在確かに表向きは無職です。が、収入はあります。年金と言えども収入です。ちゃんと権利を得ています。けれどもクレジット会社からは拒否されました。
商談の担当者からは「保証人を立てれば通るかもしれない」「申込者を働いている身内の方の名義にして口座と保証人のところにあなたの名を書けば通るかも」と言われ、私は家族に車を購入したい旨を話しました。
したらまあ飛び出す罵詈雑言の数々。母も姉も決まって「仕事が決まってないのに審査が通るわけないでしょ!!」「まず仕事を見つけるのが先でしょうが!!」と言いました。が、私は今治療中で職に就けない状態です。それは家族には内密にしているのでそう怒鳴られても致し方ないのかもしれません。
然しそれを抜きにしても解せないことがあります。何故に収入があるのに無職というだけで却下されなくてはならないのでしょうか。バブル期の頃ならいざ知らず、今は今日働けていても明日どうなるか解らない時代です。昨年の私のように突然でっち上げの理由でクビにされることも珍しくありません。
そして一度職から離れれば次の職に従事するのは困難を極めます。
そして何より私は医師の診断の許に休職しているのです。ここが無職とは違うところです。
今は休まざるを得ない状態にあるからこそ、職から離れ治療に専念しているのです。
とは言え都会と違い車が必要な地域に居住している以上、車は購入せねばなりません。明日から新居に移ることで、親の車は利用出来ませんし、新居であるアパートから病院やスーパーに行く足に車は必要です。
何とか渋々ではありますが姉に申込書を記入して貰い、再度申し込みをしました。が、またしてもクレジット会社から拒否されたのです。
担当者が家に来て姉が対応したのですが、その姉の話では担当者が「『無職の人の口座は使えない』とクレジット会社から言われた」と言うのです。
それを姉はお前の信用がないからだ、今まで一つの会社で長期間従事したことがないからこうなるのだ、私だってお前のことを信用出来ないのにクレジット会社がお前のことを信用するわけがない、いつまでもフラフラと遊んでるからだ!さっさと仕事決めて働け!等々と罵りました。
何故車一台購入するのにこんなに苦しめられねばならないのでしょうか。
今までは内密にしていた年金のことも打ち明けたのですが、それすら姉は「生活保護と一緒でしょ!国から支給されるお金でパチンコ行かれたらムカつくでしょ!アンタもそれと一緒!!」「アンタは税金で暮らしてるんだからね!それは自分のお金じゃないんだからね!」と捲し立てる始末です。
こういう思考の持ち主が私のような者を生き難くしているのだなと思いました。
確かに私が自らの力で働いて得たお金ではありません。が、それ以上に私は家族やこれまで関わってきた人達により精神的苦痛を与えられてきたのです。この苦しみは私の人生を体験しない限り理解し得ないことです。そしてその所為で仕事への意欲が失われたことも切り離せぬ事実です。
それが解らぬ人間が自身の考え方こそ正しいと信じ押し付ける。それが負担になり方々への意欲が低下するーーー負のループです。
それを断ち切る為に、私は家を出なくてはならないのです。後の生活が大変であろうと何だろうと、心の平穏を保つ為にはこの家から出て一人で生活することが一番なのです。そしてそれには車は欠かせない存在であるのです。
クレジット会社にお勤めの方、これを読んでどうか少しでいい、配慮してください。
無職だからと切り捨てるのではなく、車の使用目的や事情にも目を向けてください。
でなければ私のように苦しむ者は増える一方だと思います。
車だけではありません。家電も同じです。どのクレジット会社も無職というだけで切り捨てますが、そのやり方は今の時代に見合っているでしょうか。もう少し配慮して頂けないかなと願うのはいけないのでしょうか。
とても切実です。どうかご検討くださいますようお願い致します。
私は今鬱病で治療中です。小学生の頃から上級生や同学年の人達に虐められて育ち、両親は共働きで父とは余り接触せず、母には厳しく育てられました。
この頃から既に鬱病の気はあったのかもしれません。ハッキリと「鬱病」だと診断されたのは約5年前、当時勤めていた会社の上司や同僚、お客様からパワハラやセクハラを受けたことにより仕事への意欲が低下し、精神科で受診したところ、鬱病だと言われました。
そこから現在に至るまでのことは追々語るとして、今は昨年申請した障害年金が受理されたことでそのお金を許に一人暮らしをしようと現在動いています。
本当言うと一人暮らしは不安しかありません。料理は下手ですしものぐさですので片付けが苦手です。それでも一人暮らしをしようと思ったのは偏に家族から離れたい一心だからです。
私の家庭は皆が思い描くような温かい家族愛とは無縁です。
父は幼い頃から甘やかされて育った為に家事の一切が出来ません。手や足は動くのに肝心な“自分で何とかしよう”という意志がないのです。全て家族に任せきり、特に母におんぶに抱っこで自身が食すご飯さえ自身でよそうという発想が沸かないという。“自分が食すものは家族が用意してくれる”が当たり前になっているのです。
私は父のそんな思考に幼い頃から疑問に思っていました。特に父が糖尿病からヘルニアを患い仕事が困難になってからは密かに「死んでくれないかな…」と思うようになりました。
というのも、父の食事の為に出かけたくとも出かけられないことがあるからです。
朝出かけても母が留守ならば昼帰宅して再度出かけねばならない。当然遠出はNG。これがイベントと重なった時には本当に父を恨みました。
子供ではないのだから、自分が食すものくらい自身でよそえ!と何度も言いましたが変化なしな状況にほとほと嫌気が差したのです。
加えて、母。母は気が強く世間体を気にします。そして口が悪い。幼い頃から私は母に「女のくせに!そんなことも出来ないのかね!?役立たず!!」と言われて育ちました。
母は“家事は女がやるもの、やって当たり前のもの”という思考の持ち主で、家事をサボるとよくそうして怒鳴られました。家事をやっていても、一つ抜けていると“やっていない”と見做され怒鳴られ。子供心に傷つきました。
母に関してはまだありますが、ここでは省略します。
そして姉。私には姉が2人いますが、次女は既に嫁ぎ家を出ており、長女が未だ独身のまま実家にいます。
姉は父の堕落さと母の口の悪さを引き継いだようで、仕事に関してはきっちりやるのに家事はやらず、その癖自分の中での自分の理想像が出来上がってて、家事をやれと言えば「五月蝿いわね!アンタの見てないとこでやってるわ!」「料理くらい出来るわ!やらないだけだ!」と言うのです。
何より自分が認めた人には滅法甘いが、認めない人には滅法厳しいという性格もあります。父と私は後者なので口汚く罵られたり心無い言葉を浴びせられることがしょっちゅうあります。
この説明で解るかもしれませんが、私達家族は仲が悪いです。かなりの頻度で喧嘩しています。
若い頃は喧嘩上等の精神でしたが、もうそんな気力もありません。言われたら言われっ放し、受け止めてしまう。いつしか私はそうなってしまいました。
これまでも何度か家を出たことはあります。県外の仕事に就き、アパートに入り仕事をする。けれども体調や対人関係やその他様々なことが理由で長くは続きませんでした。
昨年も晩夏に県外の仕事に就きましたが、私が鬱病であることを申告すると急に顔色を変え、不安がりました。そして一ヶ月で「ミスが多いから」という理由でクビにされました。その理由は間違いだと何度も伝えましたが覆らず…実家に帰還せざるを得なくなりました。
然し、実家を出る前に申請した障害年金が年の暮れに受理されたと通知が来て、今月から振込がされるようになり、今度こそ私は家を出ようと決意したのです。
もう父の食事の世話もしたくないし母や姉からの暴言も聞きたくない。
私の心はもう悲鳴を上げているのです。溝が埋まらない以上、共に暮らすのは無理です。
私はアパートを探し、契約し、新築で何もないところなので家具や家電を購入しようとあちこち回りました。
今現在購入出来たものはテレビとテレビ台、ベッドのみです。
あと今現在車は母名義の車を利用していて母と共用で使用しているので、何かと不便なことも多く、この際だから自分用の車を購入しようと近所の車屋に行き商談し注文しましたが、ここでトラブルが発生してしまいました。
私の名で注文するとクレジット会社の審査が通らないのです。
私は現在確かに表向きは無職です。が、収入はあります。年金と言えども収入です。ちゃんと権利を得ています。けれどもクレジット会社からは拒否されました。
商談の担当者からは「保証人を立てれば通るかもしれない」「申込者を働いている身内の方の名義にして口座と保証人のところにあなたの名を書けば通るかも」と言われ、私は家族に車を購入したい旨を話しました。
したらまあ飛び出す罵詈雑言の数々。母も姉も決まって「仕事が決まってないのに審査が通るわけないでしょ!!」「まず仕事を見つけるのが先でしょうが!!」と言いました。が、私は今治療中で職に就けない状態です。それは家族には内密にしているのでそう怒鳴られても致し方ないのかもしれません。
然しそれを抜きにしても解せないことがあります。何故に収入があるのに無職というだけで却下されなくてはならないのでしょうか。バブル期の頃ならいざ知らず、今は今日働けていても明日どうなるか解らない時代です。昨年の私のように突然でっち上げの理由でクビにされることも珍しくありません。
そして一度職から離れれば次の職に従事するのは困難を極めます。
そして何より私は医師の診断の許に休職しているのです。ここが無職とは違うところです。
今は休まざるを得ない状態にあるからこそ、職から離れ治療に専念しているのです。
とは言え都会と違い車が必要な地域に居住している以上、車は購入せねばなりません。明日から新居に移ることで、親の車は利用出来ませんし、新居であるアパートから病院やスーパーに行く足に車は必要です。
何とか渋々ではありますが姉に申込書を記入して貰い、再度申し込みをしました。が、またしてもクレジット会社から拒否されたのです。
担当者が家に来て姉が対応したのですが、その姉の話では担当者が「『無職の人の口座は使えない』とクレジット会社から言われた」と言うのです。
それを姉はお前の信用がないからだ、今まで一つの会社で長期間従事したことがないからこうなるのだ、私だってお前のことを信用出来ないのにクレジット会社がお前のことを信用するわけがない、いつまでもフラフラと遊んでるからだ!さっさと仕事決めて働け!等々と罵りました。
何故車一台購入するのにこんなに苦しめられねばならないのでしょうか。
今までは内密にしていた年金のことも打ち明けたのですが、それすら姉は「生活保護と一緒でしょ!国から支給されるお金でパチンコ行かれたらムカつくでしょ!アンタもそれと一緒!!」「アンタは税金で暮らしてるんだからね!それは自分のお金じゃないんだからね!」と捲し立てる始末です。
こういう思考の持ち主が私のような者を生き難くしているのだなと思いました。
確かに私が自らの力で働いて得たお金ではありません。が、それ以上に私は家族やこれまで関わってきた人達により精神的苦痛を与えられてきたのです。この苦しみは私の人生を体験しない限り理解し得ないことです。そしてその所為で仕事への意欲が失われたことも切り離せぬ事実です。
それが解らぬ人間が自身の考え方こそ正しいと信じ押し付ける。それが負担になり方々への意欲が低下するーーー負のループです。
それを断ち切る為に、私は家を出なくてはならないのです。後の生活が大変であろうと何だろうと、心の平穏を保つ為にはこの家から出て一人で生活することが一番なのです。そしてそれには車は欠かせない存在であるのです。
クレジット会社にお勤めの方、これを読んでどうか少しでいい、配慮してください。
無職だからと切り捨てるのではなく、車の使用目的や事情にも目を向けてください。
でなければ私のように苦しむ者は増える一方だと思います。
車だけではありません。家電も同じです。どのクレジット会社も無職というだけで切り捨てますが、そのやり方は今の時代に見合っているでしょうか。もう少し配慮して頂けないかなと願うのはいけないのでしょうか。
とても切実です。どうかご検討くださいますようお願い致します。