長くて早く感じた。
今日で一瞬で気持ちよい朝から
真っ暗で太陽の光さえ
遮り、息も出来ない悪夢と
思えた、あの日から
ちょうど丸10年。
当時、住んでいたのが
サウスストリートシポートのロフト
爆風で1886年に建てられた
ビルが傾いた。
毎週火曜日の朝の仕事は
ワールドトレードセンター(WTC)に入っていた
M&M(保険会社)に9時までに
役員室のアレンジメントを
作り終えるのが決まり。
その日の朝は花市場が
込み、予定の時間より20分遅れで
花市場を出発。
案の定、ウエストエンドHWの渋滞に
はまった。
ワールドトレードセンター北側の地下駐車場
まで残り600mくらい。
周りのビルが高すぎて
何も見えないが
とてつもない音と空から
何かが降ってきたのは
記憶してる。
次の瞬間、WTCから沢山の人々が
出てきた。頭から血を流してる人
やホコリだらけの人。
何が起きたのか何も分からない
ただただ、心臓のバクバクとした音
全身に鳥肌。身体は
大変な事が起きていると瞬時に
感じたみたいだ。
従業員共々、車を乗り捨て
私の住まいに向かってただ走った。
真っ暗で10cm先も見えない
息すら出来ずに着ていた服に
顔を突っ込んで息をする。
自宅に着き家電話から
他の従業員、友達や彼女に
無事を確認するが
電話は使えない。
テレビでは、事故かテロか?!
情報が全くない。
その頃、サウスタワーに飛行機が
突っ込んだのをテレビでみた。
各ニュースは、ここで初めて
テロと確信したみたいだった。
消防車、パトカーのサイレンしか
聞こえなかった。
ビルのオナーがビルから出ろ!
北に行けと言われて会社に
向かった。その途中。
トライベッカ辺りでサウスタワーが崩れ
始めた。とてつもない音と共に。
ほんの一瞬だった。
近くに居た人々が
真下に倒れずに横に倒れたら
最悪だ、私達も危ない!
早く北に走れ!と。
会社のあるソーホーのロフトに
着いた時には友達や従業員、
多分、100人前後いた。
皆で無事を確認していた。
連絡取れない人々もいた。
泣ける余裕なんてなかった。
自分の震えさえ、止める事
出来ずにいただけ。
眠れない夜が続いた。
テロから5日後の朝。
父親が来た。日本から。
すっかり、日本に電話する事さえ
忘れていた。
父親は、日本大使館や外務省に
無事の確認をしたみたいだが、
全く分からずで飛行機が
ニューヨークに飛んでいるのを
知ってきたみたいだ。
それから、数十日。
電話も繋がり、、、
仕事が忙しい。。
飛ぶように、白いユリとバラの
注文が入った。。
こんなんで、忙しくなって
欲しくなかった。
毎日のよに、ユリやバラの配達。
そんな中、M&Mの役員で仲良く
していた行方不明のTさんの
奥さまから電話をもらった。
ダイスケ、悪いけど
沢山のユリをニュージャージの自宅まで
配達してと。
もちろん、亡くなったと
察したが何も聞かずにYESとだけ
次の日、ニュージャージに配達に
行ったら、ママがこう私に
言ってきた。
『ダイスケ、パパの遺体はまだ
出てこない。あの朝、私は子ども
を学校に行く為の準備でパパと
キス出来なかった』
『9時過ぎにパパから電話を
もらったが、携帯電話は家の中
パパは家にも携帯にも電話を
くれたが、私は外で近所のママさん
と話していて』
『honey、何が起きたの
分からない。しかし、爆発の音と
石油の匂いがすごい。まずは、
部下達を誘導してから私も逃げる』
と。それが、1回目。
2回目は、その留守番電話後
すぐだった。
『honey、息が出来ない、
前も見えない。部下達は
避難させたが、私は無理だと思う
君に出会えて、結婚して、可愛い
娘を2人、息子を1人。
ありがとう。今、現時点では
お別れになるけれど。
私は直ぐにまた、honeyを
見つけるから!だから、目印に
赤いhoneyの携帯を首から
ぶら下げておいて。
直ぐに分かるように。
愛してるよ』
と。それがパパの最後の言葉。
テロから、1度も涙、出なかったが
ママが私にパパはヒーローよ。
私や子ども達の。
すごく受け入れるのに
苦痛だが、別れたら訳でも
ないし、少しの間だけ。
散歩に行ってるだけだから
と言われた時に
私はママをきつくハグした。
その時に初めて大鳴きした。
他にも遺体すらまだ、出てない
知り合いは数人いるが。
彼らの分までは生きられないが
下は見ちゃダメだなっておもう。
私にとって
ニューヨークは特別。
18年間生きた街だから。
別に共感は求めてもない。
ただ、大切な人は大切にしよよ。
それが、誰であっても。
Android携帯からの投稿
今日で一瞬で気持ちよい朝から
真っ暗で太陽の光さえ
遮り、息も出来ない悪夢と
思えた、あの日から
ちょうど丸10年。
当時、住んでいたのが
サウスストリートシポートのロフト
爆風で1886年に建てられた
ビルが傾いた。
毎週火曜日の朝の仕事は
ワールドトレードセンター(WTC)に入っていた
M&M(保険会社)に9時までに
役員室のアレンジメントを
作り終えるのが決まり。
その日の朝は花市場が
込み、予定の時間より20分遅れで
花市場を出発。
案の定、ウエストエンドHWの渋滞に
はまった。
ワールドトレードセンター北側の地下駐車場
まで残り600mくらい。
周りのビルが高すぎて
何も見えないが
とてつもない音と空から
何かが降ってきたのは
記憶してる。
次の瞬間、WTCから沢山の人々が
出てきた。頭から血を流してる人
やホコリだらけの人。
何が起きたのか何も分からない
ただただ、心臓のバクバクとした音
全身に鳥肌。身体は
大変な事が起きていると瞬時に
感じたみたいだ。
従業員共々、車を乗り捨て
私の住まいに向かってただ走った。
真っ暗で10cm先も見えない
息すら出来ずに着ていた服に
顔を突っ込んで息をする。
自宅に着き家電話から
他の従業員、友達や彼女に
無事を確認するが
電話は使えない。
テレビでは、事故かテロか?!
情報が全くない。
その頃、サウスタワーに飛行機が
突っ込んだのをテレビでみた。
各ニュースは、ここで初めて
テロと確信したみたいだった。
消防車、パトカーのサイレンしか
聞こえなかった。
ビルのオナーがビルから出ろ!
北に行けと言われて会社に
向かった。その途中。
トライベッカ辺りでサウスタワーが崩れ
始めた。とてつもない音と共に。
ほんの一瞬だった。
近くに居た人々が
真下に倒れずに横に倒れたら
最悪だ、私達も危ない!
早く北に走れ!と。
会社のあるソーホーのロフトに
着いた時には友達や従業員、
多分、100人前後いた。
皆で無事を確認していた。
連絡取れない人々もいた。
泣ける余裕なんてなかった。
自分の震えさえ、止める事
出来ずにいただけ。
眠れない夜が続いた。
テロから5日後の朝。
父親が来た。日本から。
すっかり、日本に電話する事さえ
忘れていた。
父親は、日本大使館や外務省に
無事の確認をしたみたいだが、
全く分からずで飛行機が
ニューヨークに飛んでいるのを
知ってきたみたいだ。
それから、数十日。
電話も繋がり、、、
仕事が忙しい。。
飛ぶように、白いユリとバラの
注文が入った。。
こんなんで、忙しくなって
欲しくなかった。
毎日のよに、ユリやバラの配達。
そんな中、M&Mの役員で仲良く
していた行方不明のTさんの
奥さまから電話をもらった。
ダイスケ、悪いけど
沢山のユリをニュージャージの自宅まで
配達してと。
もちろん、亡くなったと
察したが何も聞かずにYESとだけ
次の日、ニュージャージに配達に
行ったら、ママがこう私に
言ってきた。
『ダイスケ、パパの遺体はまだ
出てこない。あの朝、私は子ども
を学校に行く為の準備でパパと
キス出来なかった』
『9時過ぎにパパから電話を
もらったが、携帯電話は家の中
パパは家にも携帯にも電話を
くれたが、私は外で近所のママさん
と話していて』
『honey、何が起きたの
分からない。しかし、爆発の音と
石油の匂いがすごい。まずは、
部下達を誘導してから私も逃げる』
と。それが、1回目。
2回目は、その留守番電話後
すぐだった。
『honey、息が出来ない、
前も見えない。部下達は
避難させたが、私は無理だと思う
君に出会えて、結婚して、可愛い
娘を2人、息子を1人。
ありがとう。今、現時点では
お別れになるけれど。
私は直ぐにまた、honeyを
見つけるから!だから、目印に
赤いhoneyの携帯を首から
ぶら下げておいて。
直ぐに分かるように。
愛してるよ』
と。それがパパの最後の言葉。
テロから、1度も涙、出なかったが
ママが私にパパはヒーローよ。
私や子ども達の。
すごく受け入れるのに
苦痛だが、別れたら訳でも
ないし、少しの間だけ。
散歩に行ってるだけだから
と言われた時に
私はママをきつくハグした。
その時に初めて大鳴きした。
他にも遺体すらまだ、出てない
知り合いは数人いるが。
彼らの分までは生きられないが
下は見ちゃダメだなっておもう。
私にとって
ニューヨークは特別。
18年間生きた街だから。
別に共感は求めてもない。
ただ、大切な人は大切にしよよ。
それが、誰であっても。
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