いかん、このままでは人と話さなすぎて死んでしまう。 

平日の午後、泣きわめく幼児をおーよしよしとなだめながら、ふと思った。

子供が生まれ、平日の大部分を家に籠って過ごすようになり久しい。そんな折コロナが流行り、「ごはん行こうよ」という決まり文句を使うのが憚られるようになった。とにかく誘いづらい、相手に乳幼児でもいればなおさらである。そしてそれは向こうも同じなようで、人と会う予定がぱったりと途絶えた。

 

人と話したい。正確には家族以外の人と、至極どうでもいい話がしたい。コロナの流行以前からぼんやりと感じていた不満が具体的になった。それまでも他人と話をしていなかったわけではない。同じ時期に育休をとった友人達とは、子連れで会うこともあった。しかし子連れで会うと、お互い自分の子の安全確保をしたり要求に応えたりで意識の8割は持って行かれてしまい、後あと何の話をしていたかもよく思い出せない始末である。それに、正直なところ飽きてしまったのだ。子供は寝返りをうつかとか、夜は何時間程度ならまとまった睡眠をとれているとか、離乳食はどれくらい食べるとか、そんな話題に。

もっとこう、マウンティングをする人の心理はどうなっているのかについての一考察とか、年をとってジブリ映画を観たとき、以前と違う解釈をするようになったとか、妊娠出産を経てこの国がいかに女性に都合悪くできているか発見した話とか、どこに需要があるかはわからないが、七面倒くさい話がしたいのだ。

 

Twitterの愚痴アカウントでも作ろうかと思ったが、私にもSNSでくらい理想的な自己を演出したいという欲求はある。愚痴を垂れ流すような人間だと思われるのは、メリットよりデメリットが上回るため却下した。

Instagramに、適当な写真と共に長文を載せるのはどうだろう。しかしあの媒体は暗黙の了解として、「キラキラしていないものを載せるのはよろしくない」という風土がある。

あのキラキラ空間の中に淀んだ空気を持ち込むのは憚られる。

 

というわけで、ブログを始めることにした。待ちに待った週末、子供を夫に任せて、日用品の買い出しのついでというていでカフェに入り、久しぶりに飲むタピオカの甘さを噛みしめながら、ブログサイトのアカウントを取得した。

思い立ったらすぐにやらねば、機会を失ってしまうということは、子育てを始めて身にしみていた。すてきな思いつきだったものが、少しの時間を置いただけで、あっという間に腐りはじめ、「やらなければならないこと」に形を変えてしまう。それでは忍びないではないか。

 

タイトルは何にしよう。

その日は6月のじっとりと蒸し暑い日だった。私は自分の好きな物を思い浮かべた。くらげ。青い背景に透き通ったからだでふわふわと漂う生き物。うん、これは涼しそうでいい。次に、紫陽花。ちょうど見頃を迎える時期だし、あのなんとも言えない優しい色合いは、実に目に優しい。私の好みに合わせて調色したのかと思うくらいだ。うん、なかなか麗しい感じになってきたぞ。次は、ひらがな、漢字と続いたのでカタカナにしようか。ふと、いい匂いだな、と思った。そこはカフェだったので、コーヒーの香りが漂っていたのだ。

 くらげ、紫陽花、コーヒーの香り。