3月某日
東京に向かう電車に乗り込むと、4人掛けのボックス席に10代後半と思しき女の子が2人座っていた。電車の進行方向を向き、隣り合って座っている。
窓際の女の子の足元には中くらいの大きさの黒いキャリーケース。通路側の子はボックス席の外側で自分のひじ掛けにキャリーケースを沿わせる形で置いている。
同じ様な服を着て、2人でどこか旅行にでも行くのだろうか。
通路側の女の子と向き合う形で腰を下ろした。しかしこうなると、わたしの隣の席には誰も入って来れない。座席は空いているが、足元がキャリーケースでブロックされているからだ。
一駅また一駅と過ぎる度、乗車するお客さんは増えていく。席が空いているため皆座れるのかと見に来るが、キャリーケースを見て諦めているようだった。
女の子たちは会話に夢中で、自分のキャリーケースが邪魔などとは汁ほどにも思っていないようだった。
次第にわたしはソワソワし始める。だってこの通勤地獄。座りたい人は山ほどいるのだ。
対角線上から女の子にチラチラと目線を送るが一向に気付いてくれない。これはもう声をかけるしかないと決意し、自分でも驚くほどの冷静さで
「お話し中ごめんなさいね。荷物、棚の上にあげましょうか?」
と声をかけた。
彼女が少し目を見開いて「あっ」と反応したので
「これどかしたらそちらにいる彼女も座れるし。コレ重いのかな?」
と、ボックス席の前にしばらく立っていた女性に目を向けた。
「重いんです、コレ」
と女の子が言う。軽く持ち上げると確かに重い。落としても困るなあと思い、じゃあこっちにおくねと自分のひじ掛けの外側に沿わせて荷物を置いた。
女の子は一瞬、荷物と一緒に席を移ろうとしたのだけど、電車の進行方向と逆向きに座ると
「酔っちゃう…」
とのことだった。
それから2人が下車するまで、ストッパーの付いていないキャリーケースが動かないよう手を添えて保持し、自分の持ち物のように見守った。
2人は目的の駅に着き、無事降りていった。
小さな
ホントに小さなことだけど、
わたしはこんな風に知らない人に声を掛けるなんてとんでもないことだと思っていた。
むしろ、知り合いだらけの中でさえ、自分が思っていることは極力言わないようにしてきた。
自分が思ったことが、
正しいのか正しくないのか
自信が持てなかったから
言葉として発する前に
自分で自分のことをジャッジしていたんだと思う
ほんとうは言いたいのに言えなくて
置かれた状況に勝手にモヤモヤする。イライラする。心の中で毒舌を吐く。
イヤな気分を自ら増大させて何でこんな日々なんだろうと負のループにはまっていく。
そんなことを繰り返してきた。
けれど、最近は
もう我慢ならない感じがある。
言いたいことは言いたい
自分に無理させたくない
ただでさえ重く、
暗い感情を滞留させたくない
それは排出するとき、本当に出しづらくなるし痛みを伴うから
自分の意見はなるべく言わず
クールに(死語か?)
いつも冷静に淡々と
やり過ごせる人がすごいのだと
かっこいいのだと思っていた。
でもほんとうのわたしは
言いたいことだらけなんだ
言いたいことだらけだったんだ。
その気持ちを大事にしてあげなきゃ
批判とかジャッジじゃないよね
対立するためじゃない
ただ
「言いたい」と感じた自分自身を
大切にするためだ。
その気持ちに寄り添うためだ。
いったい幾つの言葉を、気持ちを
呑み込んで来たんだろう
何を恐れていたんだろう
言いたいことは言おう
自分自身を大切にするために。