第一部 山人って何? 26回
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舞台の袖から観客席を覗くと、確かに柳田の顔があった。ただし、隣の席には坂丘と思われるサングラスに鳥打ち帽の男もいる。門前ルイーズことルイは、舞台袖から観客席の顔を確認するや、次の幕の準備のため、楽屋裏に戻った。
楽屋裏は喧噪だち、衣装や小道具をもった人間が右往左往していた。喧噪の中の静けさを知るルイは、自分の好奇心がいよいよ満たされるのかという期待でいっぱいで、むしろ次の幕での緊張感など、第三の皮膚のように上の空にしか感じていなかったのだ。
つまり、柳田と坂丘の秘密だ。
公演は、観客総立ちのスタンディングオペレーションのうちに、つまり、いつもどおりの慣習にそって終わり、お辞儀をしすぎて疲れたルイが楽屋で化粧を落としていると、柳田と花束を抱えた坂丘が訪ねてきた。終始ふたりともにこやかで、その節はどうも、と坂丘が花束を渡しながら挨拶した。柳田は口髭の下の唇をすこし振るわせるように、いや座長さんにはきちんと紹介するつもりだったのですがね、坂丘さんはこれで結構茶目っ気もある人なんで、と口髭をなでながら千葉での事情について、詫びとも説明ともつくような、曖昧な表現で濁した。
ルイはいつものお愛想対応に慣れているので、ふたりには低調にお礼の言葉を言い、別の日の会見まで取り付けることができた。
これで、謎の入り口にゆけるんだわ。ジプシーキングスのDjobi Djobaを、その日の劇団員との打ち上げで合唱し、隣の席に座ったイケメン俳優の頭を、フォークでさんざん、たたいたり、相手の腕が折れるくらい、腕ひしぎをかけたりして、興奮を抑える?のだった。
柳田たちとの会見は、東京駅で、楽屋で会ってから五日後に実現した。坂丘はそのまま和歌山へしばらく出かけると言っていた。民俗博覧会を開くために、しばらくむこうで滞在しなければならないらしい。開催されるのは三ヶ月後だという。ルイはぜひ、見物にゆく約束をした。
肝心の柳田と坂丘との関係は、柳田の所属する人類学会を通じて、坂丘の財政支援を受けたことにはじまっているらしい。坂丘自身は芸術を基盤に様々なプロジェクトを立ち上げ、それらを支える財政をいくつもの事業の収益からまかなっているらしい。柳田が説明すると、坂丘は終始にこにこするばかりで、わたしは芸術馬鹿なんですよ、と謙遜するばかりだった。
ルイの劇団「ノワール」のこの間の公演は、「ねこだましいの七変化」という怪奇ものなので、柳田はお化け好きとみえ、坂丘の乗る汽車の出発時刻近くまで、話が高じた。ルイも小泉八雲を持ちだし、柳田とすっかり意気投合したのだった。
「ねこだましいの七変化」では三匹の猫が登場し、飼い主だったご主人を殺したサムライ達をつぎつぎに狂わせ、自殺に追いやるという、復習劇だ。座長であるルイも、黒猫の着ぐるみに、劇団四季なみのメーキャップで、ねこ顔にして、「キャッツ」のパクリといわれない程度に、あるいはそのために、時代劇、つまりは江戸時代に設定したのだった。柳田は、あの猫の手のしぐさやひげの拭き方に、臨場感が漂っていたと評してくれた。坂丘はあれも映画化して、YouTubeにアップしたいですね、などと眼を細めながら、カステーラを油断なく、食していた。
ルイと柳田は、坂丘と、あとからやって来た、美元財団の理事長である河本のふたりが、汽車で出発するところを、ホームから見送った。
ルイのように喰えない性格者は、これでいよいよ坂丘とその一味である美元財団なる集団に、おのれの好奇心が燃え盛るのであった。なぜなら、柳田のように分かりやすく読みやすいおやじなど、たやすいが、あの坂丘のように読みにくく、わかりにくいダンディこそ、いよいよもって妖しいからだ。妖しいもの好きなルイは、和歌山へ美元財団を追って、なぜ山人の監督などをやったのか、その謎を突き止める必要がでてきた?このあたり、ラテン系の錯綜としたカオスへの引き込みこそ、まったくもってわからないのではあるが。しかも、結局、駅近くのカフェでも、坂丘は美元について何ひとつ語らなかったではないか?
季節は六月、和歌山のクマゼミの声でも聞きながら、美元の謎にせまろうと決めたルイだった。
周りの男の子というのか、青年といおうか、いわゆるオタク系の観客は総立ちで、股間こそ立ってはいないが、口々に歓声をあげ、舞台上の音響とおのこ共のバスやテノール声のせいで、ガール達のソプラノがかき消される恐れまであった。
勝四郎は、熊五郎と和歌山市の海辺に臨時にできた会場で、WKY24ユニットのプロモーション、つまりお披露目会に来ていた。いつもの通り、熊五郎の精神はこの世になく、どこか別の世界に飛翔し、肉体のみ勝四郎のそばにあった。ろくろ首かおのれは、がいなやつやのう、などと思いながらも、舞台で踊り、歌う、少女達のピュアで無垢で(ほとんど妄想ダケという新種のキノコ類ではあるのだが)がんばっている姿に涙すらにじみそうな眼で、ときどき、眼が痛いほどだが、まわりのおのこ共がふとどきにも、放屁をやらかした所為だとばかりは言えないかもしれない。
プロモーションが終わり、観客達も興奮の放屁をはなったり、鼻を強くすすったりしながら、ちりぢりに、やってきた方向やそれとは別の方向へ、興奮した魂のバイブレーションとともに去っていった。
熊五郎の魂も無事、この世に残したおのれの肉体に舞い戻り、デレデレした顔で、やさしかったな、やさしかった(可愛かったな、可愛かった)とうるさいと思うほど繰り返すのだった。おまえは全然、やさしくないぞと言いたいほどだったが。
二人が会場を出ようとしたときに、後ろから声をかけられた。振り返ると、東京の握手会のときに出会った、河本氏がニコニコしながら立っていた。
(次回へつづく)
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舞台の袖から観客席を覗くと、確かに柳田の顔があった。ただし、隣の席には坂丘と思われるサングラスに鳥打ち帽の男もいる。門前ルイーズことルイは、舞台袖から観客席の顔を確認するや、次の幕の準備のため、楽屋裏に戻った。
楽屋裏は喧噪だち、衣装や小道具をもった人間が右往左往していた。喧噪の中の静けさを知るルイは、自分の好奇心がいよいよ満たされるのかという期待でいっぱいで、むしろ次の幕での緊張感など、第三の皮膚のように上の空にしか感じていなかったのだ。
つまり、柳田と坂丘の秘密だ。
公演は、観客総立ちのスタンディングオペレーションのうちに、つまり、いつもどおりの慣習にそって終わり、お辞儀をしすぎて疲れたルイが楽屋で化粧を落としていると、柳田と花束を抱えた坂丘が訪ねてきた。終始ふたりともにこやかで、その節はどうも、と坂丘が花束を渡しながら挨拶した。柳田は口髭の下の唇をすこし振るわせるように、いや座長さんにはきちんと紹介するつもりだったのですがね、坂丘さんはこれで結構茶目っ気もある人なんで、と口髭をなでながら千葉での事情について、詫びとも説明ともつくような、曖昧な表現で濁した。
ルイはいつものお愛想対応に慣れているので、ふたりには低調にお礼の言葉を言い、別の日の会見まで取り付けることができた。
これで、謎の入り口にゆけるんだわ。ジプシーキングスのDjobi Djobaを、その日の劇団員との打ち上げで合唱し、隣の席に座ったイケメン俳優の頭を、フォークでさんざん、たたいたり、相手の腕が折れるくらい、腕ひしぎをかけたりして、興奮を抑える?のだった。
柳田たちとの会見は、東京駅で、楽屋で会ってから五日後に実現した。坂丘はそのまま和歌山へしばらく出かけると言っていた。民俗博覧会を開くために、しばらくむこうで滞在しなければならないらしい。開催されるのは三ヶ月後だという。ルイはぜひ、見物にゆく約束をした。
肝心の柳田と坂丘との関係は、柳田の所属する人類学会を通じて、坂丘の財政支援を受けたことにはじまっているらしい。坂丘自身は芸術を基盤に様々なプロジェクトを立ち上げ、それらを支える財政をいくつもの事業の収益からまかなっているらしい。柳田が説明すると、坂丘は終始にこにこするばかりで、わたしは芸術馬鹿なんですよ、と謙遜するばかりだった。
ルイの劇団「ノワール」のこの間の公演は、「ねこだましいの七変化」という怪奇ものなので、柳田はお化け好きとみえ、坂丘の乗る汽車の出発時刻近くまで、話が高じた。ルイも小泉八雲を持ちだし、柳田とすっかり意気投合したのだった。
「ねこだましいの七変化」では三匹の猫が登場し、飼い主だったご主人を殺したサムライ達をつぎつぎに狂わせ、自殺に追いやるという、復習劇だ。座長であるルイも、黒猫の着ぐるみに、劇団四季なみのメーキャップで、ねこ顔にして、「キャッツ」のパクリといわれない程度に、あるいはそのために、時代劇、つまりは江戸時代に設定したのだった。柳田は、あの猫の手のしぐさやひげの拭き方に、臨場感が漂っていたと評してくれた。坂丘はあれも映画化して、YouTubeにアップしたいですね、などと眼を細めながら、カステーラを油断なく、食していた。
ルイと柳田は、坂丘と、あとからやって来た、美元財団の理事長である河本のふたりが、汽車で出発するところを、ホームから見送った。
ルイのように喰えない性格者は、これでいよいよ坂丘とその一味である美元財団なる集団に、おのれの好奇心が燃え盛るのであった。なぜなら、柳田のように分かりやすく読みやすいおやじなど、たやすいが、あの坂丘のように読みにくく、わかりにくいダンディこそ、いよいよもって妖しいからだ。妖しいもの好きなルイは、和歌山へ美元財団を追って、なぜ山人の監督などをやったのか、その謎を突き止める必要がでてきた?このあたり、ラテン系の錯綜としたカオスへの引き込みこそ、まったくもってわからないのではあるが。しかも、結局、駅近くのカフェでも、坂丘は美元について何ひとつ語らなかったではないか?
季節は六月、和歌山のクマゼミの声でも聞きながら、美元の謎にせまろうと決めたルイだった。
周りの男の子というのか、青年といおうか、いわゆるオタク系の観客は総立ちで、股間こそ立ってはいないが、口々に歓声をあげ、舞台上の音響とおのこ共のバスやテノール声のせいで、ガール達のソプラノがかき消される恐れまであった。
勝四郎は、熊五郎と和歌山市の海辺に臨時にできた会場で、WKY24ユニットのプロモーション、つまりお披露目会に来ていた。いつもの通り、熊五郎の精神はこの世になく、どこか別の世界に飛翔し、肉体のみ勝四郎のそばにあった。ろくろ首かおのれは、がいなやつやのう、などと思いながらも、舞台で踊り、歌う、少女達のピュアで無垢で(ほとんど妄想ダケという新種のキノコ類ではあるのだが)がんばっている姿に涙すらにじみそうな眼で、ときどき、眼が痛いほどだが、まわりのおのこ共がふとどきにも、放屁をやらかした所為だとばかりは言えないかもしれない。
プロモーションが終わり、観客達も興奮の放屁をはなったり、鼻を強くすすったりしながら、ちりぢりに、やってきた方向やそれとは別の方向へ、興奮した魂のバイブレーションとともに去っていった。
熊五郎の魂も無事、この世に残したおのれの肉体に舞い戻り、デレデレした顔で、やさしかったな、やさしかった(可愛かったな、可愛かった)とうるさいと思うほど繰り返すのだった。おまえは全然、やさしくないぞと言いたいほどだったが。
二人が会場を出ようとしたときに、後ろから声をかけられた。振り返ると、東京の握手会のときに出会った、河本氏がニコニコしながら立っていた。
(次回へつづく)