おとつい、きのうと小説をふたつばかり開始した。書いているときにゃ、お酒でも片手にあればいいんだがねぇ、そんな気の利いたこたぁない。
 
 お酒を飲んでいるときは、何も考えなんぞは浮かばない。隣に野郎どもがいるってぇと、やつら、酔っぱらってくると、必ずや四文字言葉の連発か、四文字言葉の周辺に話が集中しちまうもんでねぇ。気が散ってしょうがねぇやな。
(ところで、今日のあたしゃ、素面ですよまだね)

 つまり、日々、抑圧されている人ほど、そうなってゆくのだろうか。まあ、それはそれでよいではないか。そういうあたしはと言やぁ、むっつりスケベで、頭の中身は女性でいっぱいかもしれないが、それはご想像におまかせってね。

 というよりも、ルイス・キャロルのチェシャ猫だ。

 最近、飲むのは週末だけ。というより、せざるをえない。現実は厳しい。
なぜなら、書くのは、サラリーマン生活、それもITっていう二文字の横文字の職種ながら、他の職業と違い、不規則な時間に縛られているからね。
(しかし、芸能人も同じ条件でブログを時々、あるいは毎日書いている娘さんたちも
いて、えらいなぁと思う。あたしなんかよりも、よっぽど時間なんてぇものがないときてるんだからねぇ)

(このあたりで、落語調をちょいとやめさせておくんなまし。ああ疲れた)

 そもそも、ブログを始めたのは、ツイッターに誘われたのがきっかけとなる。
西新宿の居酒屋 焼き鳥桔梗の店長が、ある日、ツイッターをやらないか、と言い、数冊の本を読み、ツイッターを始めた。このお店の店長、女性で、あたしなんかからみりぁ、まだ小娘くらいの若さで、お店を錐揉みしてらっしゃる。アメブロの三食同順をご覧あれ。店長のグルメ道の盛り合わせになっている。
焼き鳥 桔梗 ブログ

 それまでは、飲んでいる合間に?仕事に行っていた。

 週末といわず、週日といわず、桔梗のカウンターの椅子とわたくしのおケツが合体したかのような日々であった。

 ツイッターは面白いと思ったのは、フォロワーが返信しずらいフレーズ、つまり詩のようなものばかりツイートしていたからだ。ほとんど、いや、だれも返信してくれないまま、数ヶ月過ぎ、返信があったのに、気づかなかったりする。というのも、携帯電話でのツイッターの操作が、IT業者とは思えないくらい、知らなかったりしたからだ。

 それで、焼き鳥屋 桔梗の紹介を、ブログで始めたのは、次のステップだ。ブログというのはそういうものだから。と思っていた。

 で、アメブロのランキングというヤツが気になり、ジャンルとうのがあり、その中に小説とエッセイというのがあるのを見て、数ヶ月気にして、ある日なぜか、小説をブログに掲載、連載しだしたのだ。

 何がきっかけだったのか、よく思い出せないが、何か嬉しいことがあったのかもしれないが、ご想像におまかせしよう。(こればっかりだ)

 そもそも、小説はずいぶん昔から習作していたのも、事実で、小学生の時にはエッセイやら漫画やら、たぶん、小説も書いていたような記憶がある。

 グループ日誌といって、五、六人でグループになり、当番制で日誌を書くことが始まった。当番制のブログみたいなものだ。みんな、その日の出来事とか、家へ帰ってからの出来事などを書いていた。
 あたくしも最初は、そんなのを書いてたが、やがて、創作めいたことを書いた。
すると、お昼の給食の時間に、今日はグループ日誌でこんなのがありましたと先生が皆の前で朗読し始めたのだ。聞いているうちに、あれ、自分の書いたものだな、と思い。どうなる事かと終わりまで聞いていた。自分の書いたものが朗読されるというのは、妙な感覚で、朗読が終わったあと、先生に怒られるのではないかと思った。といっても、四文字言葉を連発するような創作物ではなかったのだが。
 先生の言うには、こうした創作も、これからはどんどん皆さんも書きましょう。ということだった。いたずらがバレて、皆の前で怒られることが小学校時代の自分であったが、あの日は、それとは違い、いいことをした訳でもなく、悪いことをした訳でもない、何だったのだろうと思い返すこともある。

 アメブロに小説やエッセイを書くというのは、あの頃の小学校時代の気分なのだ。

 また、二十代の前半の頃は、詩を書いたり、読んだりしていた。
 たぶん、そのまま続けていれば、今頃、段ボールの上にあぐらをかいて、拾ってきたノートに拾ってきたボールペンで詩をば書きながら、連続婦女暴行殺人魔大久保清のようなオッサンになれたかもしないが。酸味のよく効いた詩となるのだろうか?
 
 さあ、また明日から、小説の連載に戻ろう。

 たまには、息抜きも必要?

 そして、週末くらいはゆっくりお酒を楽しんでもいいと思う。
 そういえば、週日は、西新宿 焼き鳥桔梗のカウンターに座る日が少なくなってしまった。肝臓の休まる日が、多くなるのは、なんとも小学生並に戻って来たのだろうか。

 わたくしの部屋には、ときどき、チェシャ猫がやって来る。

 今日も、お得意の頭だけ出して言うのだ。
「ニーチェと篤胤とはねぇ。この先、プロットは出来たのかね」と。
「いや、何もプロットはないときたもんさ。風のむくまま気のむくままってね」とわたくしは答える。
 チェシャは、退屈なわたくしの答えに失望して、消えてゆく。
さあ、もう寝るかと思ったら、チェシャが顔をだして訊く「ところで、ヘネシーの瓶にはまだたっぷり残ってたかね」と。
 わたくしという現象は、欠伸しながら、ブランデーを、コーヒーのマグカップの底にほんの少しだけ垂らし、ゆっくりと飲む。食道が暖まる。チェシャ笑いだけ残して、チェシャは消えてゆく。そして声だけになる。

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