第十五回
第一回
前回
第一回
前回
アラビア語を使う魔術師だったのか、催眠術師だったのか、いずれにしても、気づいたときは、見知らぬ場所、熱帯植物のヤシの樹木や低木の樹林に囲まれた泉のある場所、砂漠の一角にいた。
宿で、ヨハネスを待っていたら、ドアをノックする音がして、扉を開けると、見知らぬアラブ人が二人立っていた。口髭とターバンと陽に焼けた顔。無表情で、ひとりがアラビア語で何かを話始めた。ハンナは、自分の喉を指差しながら、左手を横に振り続け、声が出ないことや、意味がわからないということを伝えようとした。すると、男は両手を前の方へ突き出すと、ぐるぐると交互に回し始めた。男の眼が段々と大きくなってゆく気がした。ハンナは動けなくなり、男の両手の動きから眼を逸らすことができなくなり、両手の動きを見ているうちに、男の顔がやがて眼だけになっていった。その眼の黒い瞳孔の部分まで円状に回転しはじめていった。
そして、気づいたときは、オアシスのある場所にいたのだ。
廻りには、女性と子供しかいなかった。みなアラブ人で、肌の色が褐色で、眼の色が茶色だ。レンガを積み上げた家屋にいると、外にいるよりは涼しく、蒸し暑さはなかった。ハンナは何故ここにいるのか、訳が分からなかった。だが、家屋の外へでると、見渡す限りの砂漠だ。どっちへ行ってよいものか、まるで分からない。
今にして思えば、完全な軟禁場所とでもいえるのだろう。タイプを叩きながら、ハンナは思い出していた。でも、あの場所の人々は、言葉が通じなったが、眼で話ができたのか、皆優しかった。
夜になると、帰って来た男ふたりは、駱駝の背中から荷物を下し、女達や子供達が荷物に入っている果物や穀物、布などを家屋へ運んだ。女は三人、子供は六人いた。
夜は、いくつかある建物のひとつに、ハンナひとりだけ、まるで隔離されたように、寝かされた。あつかいは、大事にされた。食事どきになれば、果物やパンと水を与えられ、ひとりで食べていた。見張られているという訳ではなかった。しかし、緊張した一日が続き、夜になれば、昼の緊張から眠くなっていた。
二日の晩には、男達が帰ると、ハンナの荷物を渡してくれた。熊のぬいぐるみを見て、まだハンナよりも幼い女の子がひとり、何か言ってから、その場の皆がニコニコと笑った。ハンナもつられて、自然に微笑んだ。
不安は、あの一年前の事故以来、どんな事が起きても感じないようになっていた。むしろ、三日めの晩、ノワールの声がしたときのほうが不安に包まれたほどだ。ヨハネスやノワールはどうしただろうか、と思い出したのだ。
「ちょっと、声が遠いかもしれないが、俺は君が男達に連れ去られたとき、屋根伝いに追っていったのさ。男達は汽車に乗ったので、俺は連結されていた客車に忍び込んだ。ある駅で、君を連れて行った男達が降りた。そこから馬車で別の街まで移動していった。さすがの俺も馬にはかなわないのでね。距離が離れながらも、跡をつけたんだ。そしてこの場所がわかったというわけさ」
「(今どこに隠れているの)」見回してみたが、ノワールの姿が見当たらない。
「オアシスがあるだろう。その草薮の中さ。でもこっちに近づかないでくれ。奴らに見つかるとまずいんでね。奴ら、蛮刀の使い方がうまいんでね」
はたして、オアシスの方を見ると、エメラルド色の双眸が、闇の中で光っていた。ハンナのいる家屋から二十メートルほど離れている。レンガの隙間から外を覗いて、ノワールの声を聞き、この状況がどうなるのか、とても知りたくなった。脳内会話を数分続けてから、ノワールはヨハネスはきっと、ここへ来るはずなので、街でヨハネスが来るまで待っている事にすると言った。
引き止める間もなく、レンガの隙間から覗いていたら、闇の中を影が動き、さっと移動したような気配がした。しかし、月は下弦の三日月にも満たないときなので、ほとんど見えなかった。
その夜から二日後の朝早くに、ハンナは男達に連れられて、オアシスから三キロほど離れた廃墟に移動した。レンガ造りの崩れかけた建物がいくつも並んだ、岩山のような場所だった。建物のある地面にサボテンや灌木が生えていた。
それから、二人の男女が現れた。二人は駱駝に乗ってやって来た。廃墟の中に入って来てから、二人は顔を覆っていた布をとった。白人の男女だった。
「あら可愛らしいお嬢ちゃん。もうすぐ、ここへあなたの牧師さんがやって来るのよ」
声には出ないが、ヨハネスのことかと呟いた。
男のほうは前歯も眼も大きな、何かにおびえているような表情をしていた。男はポケットから双眼鏡を取り出し、砂漠を見回し始めた。 太陽が早くも照りつける中、その場で、皆がヨハネスの現れるのを、様々な思いで待っていたのだった。
(次回へ)