黄昏のエクソシスト 第三回
第一回
前回
軽トラックは郊外を十数分くらい走り、やがて林に囲まれた土塀の屋敷が前方に見えた。佐伯のじいさんは、あれが蔵元、柊酒造だと言った。門はなく、屋敷の前は空き地になっていた。軽トラックを空き地に駐車して、われわれは車を降りた。
佐伯のじいさんは、書類かばんを小脇に抱えて、入り口へ入っていった。私は後について歩いた。土塀の中には、二階建ての鉄筋造りの建物がひとつあった。敷地には、樽や桶がいくつか置かれていた。ブロックが重ねて置かれていたり、空き瓶が砂の中に数本埋めてあった。樹木が数本あり、杉の巨木があり、その横に祠があった。眷属の像がひとつあり、狐の像だった。祠には握り飯が三つ、皿に置かれていた。
着物姿の老婦人が、建物の玄関から出て来た。佐伯のじいさんがにこにこしながら、お辞儀をすると、老婦人も軽くお辞儀をして、われわれの傍を通り過ぎてゆき、祠のほうへ歩いてゆき、祠の前で立ち止まると、参拝して、柏手を打った。
「あのひとが、柊家のご隠居さ」佐伯のじいさんは小声でぼそりと言った。
佐伯のじいさんは、私を促すと、建物の中に入っていった。玄関は開け放たれたままで、玄関の間取りは十畳ほどあった。サンダルが三足ある以外は、履物は玄関の三和土にはなかった。
佐伯のじいさんは、勝手知ったる様子で、靴をぬぐと、下駄箱脇に立っているスリッパ入れから、二足スリッパを取り、私に一足渡すと、スリッパを履いて、スタスタと、屋内をまっすぐ進んでいった。あわてて私も後を追った。
玄関から中に入ると、廊下が続き、左右に分かれてそれぞれ部屋があった。二番めの部屋には、ソファーがあり、居間になっていた。人は誰もいなかった。
佐伯のじいさんはその部屋に入ってゆき、ソファーに座ると、煙草の箱を胸ポケットから取り出し、煙草を一服始めた。私は立ったまま、部屋の窓から外を見た。窓の向こう側に、別棟の建物があった。木造の簡素な造りの建物だった。一階建てではあるが、高さは二階建ての高さがある。たぶん、あれが酒蔵なのだろうか。人影はなく、無人のように思えた。
やがて、われわれのいる部屋に、ひとりの女性が現れた。洋服を着た、ほっそりした人だった。顔は柔和な顔立ちで、もの静かな印象を与えた。その婦人が、この家の主婦、柊史子だった。
佐伯のじいさんは、復活祭の案内状を渡しながら、近況や娘さんの状態などを聞いた。ひたすら、静かな声で頷いていた柊夫人は、娘のことを聞かれると、口ごもりながらも、神父さんへ今度の日曜日にでも、ご相談するつもりだと言った。病院で診てもらっても、なかなかよくならず、やはり医学では治らないのではないかと、静かだが感情を昂らせ様子で語りだした。佐伯のじいさんが今度は頷きながら、話を聞いてやった。私は傍らで、二人の話を黙って聞いていた。時々、窓の外を眺めながら、蔵元の建物や屋根の上にいる小鳥達の動きを見ていた。
そのとき、部屋の入り口に人が立っているのに気づいた。入り口には、ひとりの少女が立っていた。少女の服装は、ジャージ姿で、スリッパも履かず、裸足だった。長い髪の毛が垂れていて、少女は床のほうを見ているかのように、うつむいたままだった。
史子は娘が立っているのに気づくと、まあどうしたの、ちとせちゃんと呼びかけた。
少女は黙って俯いたままだった。
佐伯のじいさんも煙草を灰皿でもみ消すと、ちとせのほうを見た。
そのとき、獣のうなるような声が聞こえた。犬がうなるような声が、低い音低で、掠れた声が聞こえた。少女から発せられる声だと気づいたとき、今度は嬌笑に変わり、少女は天井のほうへ顔を向けて、頭の後ろに髪を垂直に垂らし、長く笑っていた。声は人間の声、特に少女の年齢の声とは思えないような低い声だった。
史子は立ち上がり、少女のほうへ駆け寄り、さあお部屋へ行きましょうと言った。
少女の後ろには、いつの間にか外で会った老婦人も立っていた。ちとせと老婦人が声をかけたときだった。史子は、少女に突き飛ばされて、われわれの座っているソファーの近くまではね飛ばされて来た。
ちとせ、老婦人は厳しい声で、少女をたしなめるような声をかけた。少女は一層大きな笑い声を上げると、老婦人の顔を張り飛ばした。老婦人はショックだったのか、貼られた頬を手で押さえると、床に座り込んでしまい、涙を目に滲ませていた。史子も涙を目にうかべながらも、再び、立ち上がり、少女のほうへ駆け寄り、駄目でしょ、ちとせ、いけません、と声を大きくして、叱った。だが、少女は更に嬌笑を上げ、何か意味のわからない言葉なのか、何かを呟きながら、首を振り続けた。首を振る度に、長い髪が少女の顔を覆って、首を振った方向へ巻き付くように移動した。まるで、風に揺れる繁茂した樹木の枝葉のようだった。
(次回へ)
第一回
前回
軽トラックは郊外を十数分くらい走り、やがて林に囲まれた土塀の屋敷が前方に見えた。佐伯のじいさんは、あれが蔵元、柊酒造だと言った。門はなく、屋敷の前は空き地になっていた。軽トラックを空き地に駐車して、われわれは車を降りた。
佐伯のじいさんは、書類かばんを小脇に抱えて、入り口へ入っていった。私は後について歩いた。土塀の中には、二階建ての鉄筋造りの建物がひとつあった。敷地には、樽や桶がいくつか置かれていた。ブロックが重ねて置かれていたり、空き瓶が砂の中に数本埋めてあった。樹木が数本あり、杉の巨木があり、その横に祠があった。眷属の像がひとつあり、狐の像だった。祠には握り飯が三つ、皿に置かれていた。
着物姿の老婦人が、建物の玄関から出て来た。佐伯のじいさんがにこにこしながら、お辞儀をすると、老婦人も軽くお辞儀をして、われわれの傍を通り過ぎてゆき、祠のほうへ歩いてゆき、祠の前で立ち止まると、参拝して、柏手を打った。
「あのひとが、柊家のご隠居さ」佐伯のじいさんは小声でぼそりと言った。
佐伯のじいさんは、私を促すと、建物の中に入っていった。玄関は開け放たれたままで、玄関の間取りは十畳ほどあった。サンダルが三足ある以外は、履物は玄関の三和土にはなかった。
佐伯のじいさんは、勝手知ったる様子で、靴をぬぐと、下駄箱脇に立っているスリッパ入れから、二足スリッパを取り、私に一足渡すと、スリッパを履いて、スタスタと、屋内をまっすぐ進んでいった。あわてて私も後を追った。
玄関から中に入ると、廊下が続き、左右に分かれてそれぞれ部屋があった。二番めの部屋には、ソファーがあり、居間になっていた。人は誰もいなかった。
佐伯のじいさんはその部屋に入ってゆき、ソファーに座ると、煙草の箱を胸ポケットから取り出し、煙草を一服始めた。私は立ったまま、部屋の窓から外を見た。窓の向こう側に、別棟の建物があった。木造の簡素な造りの建物だった。一階建てではあるが、高さは二階建ての高さがある。たぶん、あれが酒蔵なのだろうか。人影はなく、無人のように思えた。
やがて、われわれのいる部屋に、ひとりの女性が現れた。洋服を着た、ほっそりした人だった。顔は柔和な顔立ちで、もの静かな印象を与えた。その婦人が、この家の主婦、柊史子だった。
佐伯のじいさんは、復活祭の案内状を渡しながら、近況や娘さんの状態などを聞いた。ひたすら、静かな声で頷いていた柊夫人は、娘のことを聞かれると、口ごもりながらも、神父さんへ今度の日曜日にでも、ご相談するつもりだと言った。病院で診てもらっても、なかなかよくならず、やはり医学では治らないのではないかと、静かだが感情を昂らせ様子で語りだした。佐伯のじいさんが今度は頷きながら、話を聞いてやった。私は傍らで、二人の話を黙って聞いていた。時々、窓の外を眺めながら、蔵元の建物や屋根の上にいる小鳥達の動きを見ていた。
そのとき、部屋の入り口に人が立っているのに気づいた。入り口には、ひとりの少女が立っていた。少女の服装は、ジャージ姿で、スリッパも履かず、裸足だった。長い髪の毛が垂れていて、少女は床のほうを見ているかのように、うつむいたままだった。
史子は娘が立っているのに気づくと、まあどうしたの、ちとせちゃんと呼びかけた。
少女は黙って俯いたままだった。
佐伯のじいさんも煙草を灰皿でもみ消すと、ちとせのほうを見た。
そのとき、獣のうなるような声が聞こえた。犬がうなるような声が、低い音低で、掠れた声が聞こえた。少女から発せられる声だと気づいたとき、今度は嬌笑に変わり、少女は天井のほうへ顔を向けて、頭の後ろに髪を垂直に垂らし、長く笑っていた。声は人間の声、特に少女の年齢の声とは思えないような低い声だった。
史子は立ち上がり、少女のほうへ駆け寄り、さあお部屋へ行きましょうと言った。
少女の後ろには、いつの間にか外で会った老婦人も立っていた。ちとせと老婦人が声をかけたときだった。史子は、少女に突き飛ばされて、われわれの座っているソファーの近くまではね飛ばされて来た。
ちとせ、老婦人は厳しい声で、少女をたしなめるような声をかけた。少女は一層大きな笑い声を上げると、老婦人の顔を張り飛ばした。老婦人はショックだったのか、貼られた頬を手で押さえると、床に座り込んでしまい、涙を目に滲ませていた。史子も涙を目にうかべながらも、再び、立ち上がり、少女のほうへ駆け寄り、駄目でしょ、ちとせ、いけません、と声を大きくして、叱った。だが、少女は更に嬌笑を上げ、何か意味のわからない言葉なのか、何かを呟きながら、首を振り続けた。首を振る度に、長い髪が少女の顔を覆って、首を振った方向へ巻き付くように移動した。まるで、風に揺れる繁茂した樹木の枝葉のようだった。
(次回へ)