日々人の身体に触れさせていただき
感じることは、

人は

「安心」が

必要ということ。




人は
「不安」と「恐怖」が
とても大きくて

それが身体の状態や反応に
出ている。




私もそうなんだろうなぁ、と

人の身体に
教えてもらいながら


自分の「安心」にも向き合いながら。






「安心だと思うこと」

が必要なのではなくて

「肉体レベルで
安心できること」

が必要。





私の「支援」のテーマは
ずっと変わらず「安心」。


肉体レベルで
安心の状態になるには

何が必要なのかを
ずっと研究し、学び続けているのですが、



毎日触れ合い中で、
身体が教えてくれることに
感謝しつつ

その反応や身体の声を
キャッチし続けられる自分でありたい。






「安心」のために

・何が必要か
・支援者(サポート)はどう在るか
・何が不必要か


その人のその時によって
違うから

支援者(サポート)の価値観がかたかったり
枠が狭いと
それをキャッチしきれないと思う。


こうあらねば、とか
これが正解、不正解、とか

本当の本当はないから。




苦しんで生きるのも
楽しんで生きるのも

正解、不正解はなくて

ただどうあっても

この肉体で、この世を生きる
ということをしているだけ。



生きること
その味わい方が人それぞれなだけ。




どんな人でも
何を口では言っていても

必ずきこえてくる
肉体からの声は


この命を
生きようとしている声。




それをキャッチして

その声を
「そうなんだ」 
と、こちらも感じて在るだけで

その在り方が

肉体レベルでの安心につながる。





良い悪いをジャッジせずに
共有してくれる人がいると

肉体レベルで安心する。





例えば、肩こり

僧帽筋が盛り上がって固い人に

「こんなに固くなって、よくない状態!
流さないと!ほぐさないと!」

という視点で、
トリートメント(マッサージ)をすると

一応言うことをきいて(肉体レベルの話)
その時だけ
ほぐれてくれる人(筋肉)もいるけれど

そのあと
もっと肩こりになる。

(肉体レベルの不安や緊張)





例えば

身体に触れていくと
いつもより頭が
ひと回りふた回りも大きくなっていた方。

頭も固い。




ここでヘッドマッサージをするのは、違う。

じゃあ

脳脊髄液の循環を助けるために
斜角筋を緩めて、

と、理論立てての施術も、まずは違う。





セラピストや支援(サポート)が


頭が固く大きくなっていたら、
この理論的に、
この技術(マッサージ)をする

と決める(決めている)のではなくて

身体にきいていく触れ方が大事。





「どうしてほしい?」

 


この問いかけを施術(触れ方)で
やっていくこと。



そこからが大事だと思っている。





「そっと触れる」とは

そういう意味。



伝わったら嬉しいです。