ザックの『押してもダメなら弾いてみな!』
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遡って3月、久々に発表会にソロ演奏でも参加した。

確認したかった事があった。主に2点。

ひとつはボウイングのイメージの定着具合について。

かねてより「自分の体の動きを把握する事」に重点を置いた練習を続けてきたのだが、

その過程で右肩の僧帽筋にかなりの緊張を自覚するようになった私は「これ、脱力した方が良いかもしれん。」と思い立ち、

強引にではあるが、僧帽筋を脱力させてボウイングを修正してみた。

かえって変な癖がつくかもしれないという不安も少しはあったが、いざやってみると感触は良好で

ダウンボウ時の弓のプルプルが大幅に軽減されたのと、移弦の際の右腕の上げ下げをスムーズに行えるようになった。

発表会では緊張状態でもこの脱力感を維持したままボウイングが出来るか確かめたかった。

もうひとつは、表現力について。

右腕の運動の練習を主にして曲の練習をほとんどしてこなかったせいか、まだまだ演奏がぎくしゃくしている。

音は並んでいるけど曲としてはこなれた感じが足りない。

例えるなら小学生の説明口調。

「ソレデハ コレカラ オワリノカイヲ ハジメマス( ゚∀゚ )↑。」みたいな

明確にここが間違っていると否定するには至らないが、うん、ああ、まあ・・・、と言う感じ。

発表会で弾く曲は簡単なものを選曲し、楽譜をきっちり読んでどのように弾くかしっかりイメージを持つ事を目標とした。

 

そして弾いたのは

マザス作曲のバイオリンデュエットop38 no.2 第1楽章

https://youtu.be/O22gnhJTJEo

 

やはりソロ演奏は緊張する。

簡単な曲といいながらも、指がもつれた箇所と拍子を合わせず走ってしまった箇所がいくつかあった。

しかし、それだけ緊張しつつも右腕の脱力イメージを把握出来ていた事は収穫だった。

自然に体得したものではなく、強引ではあるが自分で筋肉をコントロールした脱力だっただけにイメージしやすかったのもあるかもしれない。

 

今回の発表会では簡単な曲を出来る限り完成度を上げようという試みだったが

気になる点はまだまだ多い。

バイオリンも始めてから9年目を迎えるがさらに上手くなるためにやるべき事はまだまだあるだろう。

もっと練習しよう。

 

 

そして現在、主に重音の練習に取り組んでいる。

ボウイングの技術が向上した感触もあって、この調子でガンガンいこうと意気込んでいたところだ。

だがしかし、重音の練習過程で思いがけずも新たな問題に直面してしまった。

実際には重音の技術的な問題でなければ、そもそも新しい問題でもない。

顧みてバイオリン始めてから常に付きまとっていた問題のはずだが、苦手意識ゆえにこれまで目を背けていた問題でもある。

それがここにきて顕在化してきた。

だが、この先にさらに進むためには避けては通れない問題である。

8年溜めてきたつけをこのへんで払わなければいけないようだ。

 

相対音感ん・・・ ( ̄ー ̄;

 

 

← to be continued!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光陰矢の如し。

この春でバイオリンを習い始めて9年目になる。

毎年思っている気がしないでもないがおそらく、今がバイオリンを始めて一番面白い時期だと思う。

本当に。

 

ブログを書くのもほぼほぼ一年ぶりで、、記録しておかなければならない話が山ほどあるな!と思ってみたものの、改めて整理すると練習してきた項目自体はそれほど多くはない。

一年前に「愛の挨拶」を弾いた後、発表会にソロ演奏の参加をしなかった事もあってか弾ける曲のレパートリーは全然増えておらず曲といえば教本の練習曲ぐらいだし、技術的な練習として取り組んでいたのは「きれいな移弦」と「スピッカート」、最近始めた「重音」ぐらいだ。

 

文章にすると技術練習だけで、こればっかりで飽きないの?って感じだが、いやこれがなかなか飽きない。単純に「きれいな移弦」とは言うもののその都度クリアすべきステップは色々あるし、また昨年はバイオリンを弾く事に対して認識を改めた点もあり、練習が非常に面白く感じられたのだった。

 

そうだ、認識を改めた事は自分の中でわりと大きな転換点になった。これはメモしておこう。

具体的には「体で覚える」という体の状態について考えを改めることになった。

『頭で考えるのではなく無意識に体が適当に反応する。』なんて具合にいろんな場面で使われるが、バイオリンで言えば「発表会本番の演奏時にちょっとしくじって頭真っ白になってしまってどこを弾いてるかわからなくなったけど、体が覚えてたからよくわかならいけど何とか弾けた。」みたいな使い方があるのではないだろうか。

これまで、そんな技術をいつかは身につけられればなあ、と漠然に思っていた頃はあえて何も考えないようにしながら音階練習やら練習曲に取り組んだこともあった。頭を真っ白に、無に近づけたシチュエーションにしてバイオリンを弾く事が「体に覚えさせる」事に近づく事だと思っていたのだ。

 

そんな意識が変わったのはレッスン中での先生との会話がきっかけだった。

シュラディック教本を使ってホ長調を5thポジションで弾く音階練習に取りかかり始めた時のことだ。

初めての5thポジションの上、ホ長調は♯が4つ、率直に言ってわけがわからん。音階を上がって下りて課題を一通り弾き終わる頃には、自分が何の音を弾いてるのかちんぷんかんぷんだった。

「だいぶずれてますね。」( ̄_ ̄ i)

「ふひっ。」(^▽^;)

まいった、笑いが引きつる。

正直この時は全く弾ける気がしなかった。

 

一段落して、先は長いねえ、と一息ついていたところ先生から話しかけられた。

「ところでザックさん。右手で」

「は?ああ。」

何の話だろうかと思ったら

「耳たぶ触れます?」

「ああ、そりゃまあ。」

何のこっちゃと思いながら耳たぶを触る。すると

「へえ、目で見えてないのによく触れましたね。」

と、言われて先生の言わんとする事を理解した気がした。

ああ、まさに体で覚えるというやつ。

都合の良い裏技なんて有りえないし、体が覚えるまでとりあえず練習あるのみだなあ。先は長いけど、と折れることなく決意を新たにしたのだった。

 

で、普段ならそれで終わる話なのだが、その時は何故か帰宅してからも耳たぶを触った事を反芻していた。

耳たぶを触りながら考えてみる。

耳たぶを触って、と言われた時、確かに僕は頭で考えることなく耳たぶを触っていた。

しかしそれは、頭の中真っ白で何も考えてないけど耳たぶを触れたと言う感触ではなく、「耳たぶ」と言われた時点で頭の中では耳たぶの位置のイメージが既に出来ており、「触って」と言われたらそのイメージに沿って手を耳たぶに伸ばしただけという感触だった。

そこでふと考える。

これまで「体で覚える」と言うのは、思考をしない頭真っ白の状態でも体が適当に反応する事だと思っていたが、そうではなくそもそも頭が真っ白にならないほど強固にイメージが定着出来ておりそれに合わせて体を動かす状態の事を指すのだとしたら。

言うなれば「考えてないけど」わかると言うより「考えるまでもなく」わかるとでも言おうか。

無意識ではなく正反対の有意識の極み。みたいな。何の事やら文章にするのが難しいな。

 

なにはともあれ僕の中ではこれまでの考え方が劇的に変化した。(果たして先生がそういうつもりで話をしたかは別として)

 

この考え方に従うなら、練習時の意識の仕方は今までの真逆。

あえて何も考えないようにするのではなく、逆に意識して意識してイメージを作って頭の中が真っ白にならないように焼き付けてしまおうという方向だ。そのためには出来るだけ多くの情報を自分の中に持っておきたい。音階練習では、鳴らした時の音は勿論、目で見た指の位置、ひじの角度、ネックを握る感触、指の開き具合。そういう情報を蓄積させて自分の中で当たり前のように引き出せるようにするのだ。

 

そんな感じで練習時に自分が弾く事に対してちょっと意識が変わり、そして練習を重ねていくとやがて見えていた世界が少し変わってきた。

バイオリンそのものではなくそれを弾いている自分の体の状態を把握する事に焦点が移っていった。

どう弾いたらどこの筋肉がこわばるか、どんな体の使い方をすればどのように弾けるのか、といった具合に。

肉体がどう動作するのか注目する事に重きを置いていた僕にとって、移弦やスピッカートといった基本動作の復習的な練習はおあつらえ向きだった。

下手に曲練習をするよりシンプルな課題の方が肉体の状態変化を把握しやすい。

 

かくして、基礎練習ばっかりの1年だったが飽きることなく取り組むことができた。

その甲斐あって、今年に入った頃にはボウイング時に妙に緊張している僧帽筋に気づき、力づくで脱力させる事に成功し(このやり方が正しいかはわからないが)ボウイング時の弓のプルプルをほぼ完全に抑える事が出来るようにもなった。

 

で、自分なりに技術の向上を感じられた事もあり久々に発表会でソロ演奏をしようと思いたったのだった。

 

おっと、ブログを書いている途中で発表会が開催されてしまった。

また今度まとめよう。

 

→ to be continued!!

 

 

 

 

 

 

えらく日記の間隔が空いたが、その間もバイオリンに対するモチベーションは高く練習は続けることが出来ている。

2月には教室の発表会が開かれ久々にソロで参加してみた。

エルガーの「愛の挨拶」。

https://youtu.be/Jmg5ut37PQg

 

ソロの参加はかれこれ1年ぶり以上になるだろうか。

以前よりたどたどしさはましになってきた感触はある。

しかし、まだまだ。

何というかグルーブ感が足りないというか、ノリが足りないというか。

あとポルタメントが下品だ。

 

この曲の特徴として、速度指示がえらく細かい事が挙げられる。

rit(リタルダント)にも

rit(普通のリタルダント)

poco rit(少しずつリタルダント)

rit molt(きわめてリタルダント)

の3種類の指示があり、さらにフェルマータも加わりそれらが要所要所に配置されている。

これらの緩急を弾き分け、またポジション移動の際にポルタメントをきっちり決められると、躍動感にあふれるただの音の羅列ではなく色気のある演奏が出来ていたと思うのだが、そのあたりの弾き分けのイメージが持てていなかった。

まずは、速度、強弱等について自分の中ではっきりとしたイメージを持つのが先決なのだろう。

 

良かった点もあった。

ビブラートを結構綺麗にかけられるようになってきた。

今回は自分なりに単音のロングトーンならビブラートをかける事が出来るという手応えをもって臨んだ演奏で、自分の中でハッキリとイメージを持てていたのが良かったと思う。

友人達からも「ロングトーン良かったですよ。」等の評をもらえたのは嬉しいかぎりだ。

とはいえ、自分としては「やり過ぎぐらいに弾いてやろう。」と気合を入れたにも関わらず、録音したものを客観的に聞いてみると「お、わりと綺麗にビブラートかかってるやん。」程度の印象にしかならないあたり、弾く側と聞く側との意識のギャップを埋めるようにしないといけない。

耳元で音が鳴っているのを聞くのと離れた席から音を聞くのとでは全然印象が違う、というのを実感した。

 

また、今回はひょんな事から初めて発表会を見に来たという学生さんからも「音が綺麗でした。」と感想を聞くことがあった。

これまで僕に全く先入観の無い人からの評価を聞いた事が無いだけに、このプラス評価は地味に励みになった。

 

曲を弾くに当たって、どんな音を出したいか、どんな風に強弱・緩急をつけるか、そのためにどんなボウイング、運指が必要なのか。そのへんを自分の中で確信を持てるようになれば演奏もより良いものになると思う。

 

もっと練習して上手くなろう。

 

~次回予告~

30過ぎに習い始めたバイオリンは8年目を迎えいよいよアラフォーに突入するザック。

これまで「アーリー?レイト?小さい頃から10年、20年も練習してたら上手くもなるだろうさ。レイトもアーリーも関係ねえ。気にする暇があったら練習するんだよ。スカタン!」の気持ちで練習を重ねてきたザックに非常な現実が突きつけられる。

くそったれ。これがレイトの壁なのか。

果たしてザックはこの壁を乗り越える事が出来るのか。

次回、

「四十肩」

にご期待ください。

 

→ to be continued!!