どうやって行ったのかは覚えていない…でも彼女の車で行ったのかな?車はスズキのジムニーだったはず。
その後、妻となる彼女との初めてのデートは、横浜の馬車道通りにある映画館だった。寒い日だったように記憶しているけれど、何の映画を見たのか、どこで何の食事をしたのか、買い物に行ったのかも忘れてしまった。
ただひとつ覚えているのは彼女が映画館で、周囲の人に関係なくその映画を見て泣いていたことだ…単純に人前でも涙を流せることに驚かされた。今でもそうだけど、いつも人前では感情を押し殺してしまう僕には新鮮だったんだ。
アメリカで買ったDVDは自分のPCでは再生できないと思っていたら、何と今日、嬉しいことに見れた!
クリスマスのこの時期、いや、そうでなくてもベスト3には入る僕の好きな映画、「Love Actually」!この映画の中で流れている音楽や人間模様、すべてが心を温かくさせてくれる。
意外にも2003年に制作された映画だったとは知らなかった…アメリカにいたときに初めて見たんだけど、あの頃は封切りしてすぐのときだったのだろうか。
しかし下のURLにある動画、JamieがAureliaに求愛する場面はいつ見ても涙が出てくるなぁ…
Love actually-Jamie and Aurelia
クリスマスのこの時期、いや、そうでなくてもベスト3には入る僕の好きな映画、「Love Actually」!この映画の中で流れている音楽や人間模様、すべてが心を温かくさせてくれる。
意外にも2003年に制作された映画だったとは知らなかった…アメリカにいたときに初めて見たんだけど、あの頃は封切りしてすぐのときだったのだろうか。
しかし下のURLにある動画、JamieがAureliaに求愛する場面はいつ見ても涙が出てくるなぁ…
Love actually-Jamie and Aurelia
モチベーションが下がったとき、そして試合や大きな仕事の前、映画「Rocky」のサウンドトラックにはとってもお世話になった。その中でもこの曲、「No east way out」は今でもときどき耳にする飽きないもの。特にトレーニングをする前は欠かせない!
そういえば、Rockyの映画の撮影の舞台を一目見てみたいと、確か2000年にPhiladelphiaに一人旅立ったときのことを思い出した。「Rocky Ⅰ」で主役のロッキーことSylvester Stalloneが駆け登った階段、自分も足を踏みしめてみてちょっと感動したっけ。
◎元バスケットボール日本代表選手も、試合前によくこの曲を聴いていたとあるとき話してくれた。彼とはよく気持ちが通じ合ったり、ときに誤解からぎくしゃくしたこともあったけれど、何となく嬉しかったな(苦笑)
そういえば、Rockyの映画の撮影の舞台を一目見てみたいと、確か2000年にPhiladelphiaに一人旅立ったときのことを思い出した。「Rocky Ⅰ」で主役のロッキーことSylvester Stalloneが駆け登った階段、自分も足を踏みしめてみてちょっと感動したっけ。
◎元バスケットボール日本代表選手も、試合前によくこの曲を聴いていたとあるとき話してくれた。彼とはよく気持ちが通じ合ったり、ときに誤解からぎくしゃくしたこともあったけれど、何となく嬉しかったな(苦笑)
今、中国の広州でアジア競技大会が開催されている。ちょうど一年前の今頃を思い出していた…
高校から始めたバスケットボールというスポーツ。あれからもうすぐ30年になるというのに、このスポーツに仕事として携われているのは本当に不思議な気がする。確かに情熱や思い入れもあったかもしれないけれど、やりたいと思ってもやれない人はたくさんいるのだから…
まして仕事を超越して昨年は香港で開催された国際大会、東アジア競技大会に出場した。結果は3位と銅メダルではあったが、バスケットボールの日本代表の一員として参加できたこと、これほど光栄なことはない。
アメリカで生活していたときもそうだったが、日の丸や国歌が流れているのを聞くと日本人としての誇りを感じられずにいられない。君が代の歌詞や時代背景とは別に、家族を愛するように、生まれた国を愛するのは自然のことだと思う。
高校から始めたバスケットボールというスポーツ。あれからもうすぐ30年になるというのに、このスポーツに仕事として携われているのは本当に不思議な気がする。確かに情熱や思い入れもあったかもしれないけれど、やりたいと思ってもやれない人はたくさんいるのだから…
まして仕事を超越して昨年は香港で開催された国際大会、東アジア競技大会に出場した。結果は3位と銅メダルではあったが、バスケットボールの日本代表の一員として参加できたこと、これほど光栄なことはない。
アメリカで生活していたときもそうだったが、日の丸や国歌が流れているのを聞くと日本人としての誇りを感じられずにいられない。君が代の歌詞や時代背景とは別に、家族を愛するように、生まれた国を愛するのは自然のことだと思う。
アメリカで生活をしていく中で、痛切に感じたことがBe Strong!ということ。見かけもそうだがメンタルも含めて、強くなくては生きていけないと思った。おそらく日本にずっといたら、そこまでは感じられなかっただろう…
ふとYou Tubeの中に出てきたこのNIKEのCM。心が折れそうなとき、また悔しさを味わったときによく眺めていたっけ。強さあっての優しい人間というのは、僕の中での永遠のテーマかもしれない。
◎ビデオの中に出てくる女性プレイヤーの負けん気の強さがとっても好きだ!本当の意味でタフでなければ…
ふとYou Tubeの中に出てきたこのNIKEのCM。心が折れそうなとき、また悔しさを味わったときによく眺めていたっけ。強さあっての優しい人間というのは、僕の中での永遠のテーマかもしれない。
◎ビデオの中に出てくる女性プレイヤーの負けん気の強さがとっても好きだ!本当の意味でタフでなければ…
80年代だったか、漫才ブームというのがあった。僕はあまり関心がなかったのか、画面に釘付けでテレビを見るということはしなかった。そして今ではお笑い芸人と称する人たちが、本業とは別に司会やコメンテーター、そしてレポーターとしてテレビをにぎわせている。
こんな状況があまり好きではなく家にはテレビを置かなくなったし、すっかりラジオのお世話になっている。ラジオの方が自分のイメージや創造を掻き立てられ、心地よい音楽と共にリラックスした時間が過ごせるような気がするからだ。
しかし唯一、テレビに出ていたら絶対見てみたいと思わせる役者、そして芸人がいる。それは柳沢慎吾さん!彼の表情やストーリーを具現化する力、そして間の取り方とどれをとっても一流だと思う。何か悲しいことがあっても、彼のしゃべりを聞いたり見たりしていつの間にか笑っている自分がいる。
こんな状況があまり好きではなく家にはテレビを置かなくなったし、すっかりラジオのお世話になっている。ラジオの方が自分のイメージや創造を掻き立てられ、心地よい音楽と共にリラックスした時間が過ごせるような気がするからだ。
しかし唯一、テレビに出ていたら絶対見てみたいと思わせる役者、そして芸人がいる。それは柳沢慎吾さん!彼の表情やストーリーを具現化する力、そして間の取り方とどれをとっても一流だと思う。何か悲しいことがあっても、彼のしゃべりを聞いたり見たりしていつの間にか笑っている自分がいる。
このNIKEのCM、社外で流れたことはあるのだろうか?もしかしたらアメリカでスーパーボールに合わせて制作されたものかもしれないが、僕はセールスミーティングでこのビデオを初めて見た。There is no finish lineとあるけれど、確かビデオのタイトルはHeritageだったはず。
ビルの壁面に映し出される数々のNIKEアスリートの情景を縫うように走っているのは、アイアンマンで何度も優勝経験のあるMark Allen。僕もトライアスロンをやっていた時期があったからか、このビデオを見終わって鳥肌がたった。またバックで流れているピアノがたまらなくいい。その当時、好きなブランド、そして好きなスポーツに携われていることが幸せでたまらなかった。
不思議なもので好きなことをやっていると時間を忘れる。それが遊びであっても仕事であっても…この頃は12時過ぎに帰宅するのも頻繁だった。
ビルの壁面に映し出される数々のNIKEアスリートの情景を縫うように走っているのは、アイアンマンで何度も優勝経験のあるMark Allen。僕もトライアスロンをやっていた時期があったからか、このビデオを見終わって鳥肌がたった。またバックで流れているピアノがたまらなくいい。その当時、好きなブランド、そして好きなスポーツに携われていることが幸せでたまらなかった。
不思議なもので好きなことをやっていると時間を忘れる。それが遊びであっても仕事であっても…この頃は12時過ぎに帰宅するのも頻繁だった。
アメリカにいた6年間、僕は旅行に行くお金なんてなかった…まさか2001年9月11日に、あんな大事件が起こるとは思わなかったし、学校に通いながらどうやって生活ができるかを考えるのに必死だった。
ただ妻は違った。おそらく先のことに不安はあったと思うが、いつも「今」を楽しむことを優先していたと、少なくとも僕はそう感じていた。テニスのコーチとしてそこそこの収入を得ていた彼女は、金策に困っている僕が引け目を感じるのも意に介せず、この街に出かけようと誘ってくれた。
それはカリフォルニア州のLa Quinta。日中は40度を越える猛暑でドライなこのリゾートは、とっても癒される時間であり空間だった。
妻と愛犬トン吉と3回程泊っただろうか。チェックインをした後はトン吉を部屋に残してテニス、またはゴルフ、そして夕方にビールや食事の買い出しに出掛け、テレビを見ながら食事をとる。その後は部屋の前にある、ライトで照らされた美しいプールに身をゆだね、夜空を見上げるひとときは本当に幸せな時間だったっけ。
最後に訪れたのは2007年1月初旬の風が強い日だった。しかしそのときはトン吉と2人だけ。La Quinta Resortに泊る余裕もなく、近くのPalm SpringsのMotel 6で数泊した。今La Quintaで思い出されるのは、心からの幸せと本当の意味で寂しさを味わった場所だということかな…
ただ妻は違った。おそらく先のことに不安はあったと思うが、いつも「今」を楽しむことを優先していたと、少なくとも僕はそう感じていた。テニスのコーチとしてそこそこの収入を得ていた彼女は、金策に困っている僕が引け目を感じるのも意に介せず、この街に出かけようと誘ってくれた。
それはカリフォルニア州のLa Quinta。日中は40度を越える猛暑でドライなこのリゾートは、とっても癒される時間であり空間だった。
妻と愛犬トン吉と3回程泊っただろうか。チェックインをした後はトン吉を部屋に残してテニス、またはゴルフ、そして夕方にビールや食事の買い出しに出掛け、テレビを見ながら食事をとる。その後は部屋の前にある、ライトで照らされた美しいプールに身をゆだね、夜空を見上げるひとときは本当に幸せな時間だったっけ。
最後に訪れたのは2007年1月初旬の風が強い日だった。しかしそのときはトン吉と2人だけ。La Quinta Resortに泊る余裕もなく、近くのPalm SpringsのMotel 6で数泊した。今La Quintaで思い出されるのは、心からの幸せと本当の意味で寂しさを味わった場所だということかな…
同じ会社にいた後輩は、いつからか僕の妹のような存在になっていた。彼女は臆病なくせして強がりな、そして冷たそうで他人のことを人一倍思いやる優しい心を持っていた。いつも何にでも一生懸命、納得のいくまでとことん訴えやり続ける。新入社員で入ってきた当時の、少し明るい茶髪で軽い感じのイメージと実際はまったく違っていた。
しかし1997年の7月8日、27歳で彼女は亡くなった。あの夏の暑い日、昭和記念公園のイベントの帰りに彼女を家まで送ったとき、もし僕が強引に夕飯にでも誘っていたら自ら命を落とさなかったかもしれない…そう思うと、今でも後悔の念が頭をよぎる…なんで一声、余計に言葉をかけられなかったのだろうって。
◎北海道旭川への出張の際、夜に会社のみんなで食事とカラオケに行った。そのとき彼女が歌ったのがDREAMS COME TRUEの「未来予想図Ⅱ」だった…今、生きていたらどんな人生を歩んでいるのかな。
しかし1997年の7月8日、27歳で彼女は亡くなった。あの夏の暑い日、昭和記念公園のイベントの帰りに彼女を家まで送ったとき、もし僕が強引に夕飯にでも誘っていたら自ら命を落とさなかったかもしれない…そう思うと、今でも後悔の念が頭をよぎる…なんで一声、余計に言葉をかけられなかったのだろうって。
◎北海道旭川への出張の際、夜に会社のみんなで食事とカラオケに行った。そのとき彼女が歌ったのがDREAMS COME TRUEの「未来予想図Ⅱ」だった…今、生きていたらどんな人生を歩んでいるのかな。
他の子供たち同様、小学生のときは野球に熱中した。父さんから中日の高木守道仕様のグラブを買ってもらい、小学校3年生から寺尾台イーグルスというチームで野球を始めた。
足が遅くライト前ヒットを打ったのにファーストでアウトになったり(笑)、多摩川べりのバッティングセンターで練習をしていると、当時強豪だった調布リトルリーグの子供たちにからかわれたことも(苦笑)でも、楽しかったなぁ!
◎僕の家がある団地の最寄り駅は読売ランド前という小田急線の駅だった。やはり好きだったチームは読売巨人軍、ジャイアンツ。長島茂雄の引退セレモニーが吹き込まれたレコードを、誕生プレゼントに買ってもらったこともあった。確か原辰徳が東海大相模高校のときの「燃えろ風雲児」というレコードも持っていたっけ(笑)
足が遅くライト前ヒットを打ったのにファーストでアウトになったり(笑)、多摩川べりのバッティングセンターで練習をしていると、当時強豪だった調布リトルリーグの子供たちにからかわれたことも(苦笑)でも、楽しかったなぁ!
◎僕の家がある団地の最寄り駅は読売ランド前という小田急線の駅だった。やはり好きだったチームは読売巨人軍、ジャイアンツ。長島茂雄の引退セレモニーが吹き込まれたレコードを、誕生プレゼントに買ってもらったこともあった。確か原辰徳が東海大相模高校のときの「燃えろ風雲児」というレコードも持っていたっけ(笑)
