yellowのブログ

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ブログの様な日記のような

Amebaでブログを始めよう!

2018/08/29

ここからブログ上、時が止まっていたw
どうも、お久しぶりです。毎日一生懸命生きています。気づいたら、また年末です。
今日からお仕事が年末休みなりまして、怒涛の日々が少し落ち着き、ブログのことを思い出した次第です。
 
前回ブログの2018年からも色んなことがありましたね。時々書いているブログを数年おきぐらいに読み返すの楽しいっすね。
なんで、簡単にここ4年間ぐらいをまとめますかね。
①コロナ、②子供、③仕事、④趣味と4項目ぐらに分けてみます。
 
①コロナ
「2019年12月初旬」いつコロナってはじまったっけとググってみたら、2019年末でしたね。本当に世の中のシステムが大変革し、僕は医療職ですので、取り巻く環境、自分の仕事にも大変大きな変化をもたらしました。のちの話と被りますが、妊活、妊娠、子育てが被ってきたので、とっても神経質に過ごしました(いや、過ごしています)。未だに外食を控えているし、いろいろな制約を設けながらの生活を送っています。仕方ないです、他人の命を含む人のいのちより優先されるべきことはないです。データが示しているとか、社会を回すとか色々ありますが、研究結果、論文なんて恣意的なものが多いのが現実です、うちの偉いさん(という設定の人)でもかなり恣意的なもんです。話が逸れましたが、とにかく僕が仕事中、朝普通に話していたコロナ患者が、昼急変して夜人工呼吸器、次の日に死ぬなんてこと何回も見てきていますので、これが普通の風邪でしょなんて思わない。インフルとかも死ぬけど、こういう劇的な死を迎えることは少ないと思う。そんなわけで色んなことが言われていますが、僕は引き続き色んなことを気にしての生活を続けますよ。気にしてたって楽しいことなんていっぱいあります。
 
②子供
昨年、子供が産まれました。今、嫁は二人目を妊娠しています。来年の4月に産まれます。楽しみで楽しみで仕方ありません!
2018年のブログで嫁のキャリアプラン的にまだ妊活をしていない、不妊だったらどうしようなんてことをネタのように書いていますが、普通に我が家は不妊でしたw原因不明の不妊でした。
ここから先は凍結胚移植まで経験して、子供を授かった僕が思ったことをありのまま記載します。配慮にかける表現があるかもしれませんので、今治療をしていたり、不妊で悩んでいたりする方はページを閉じていただいた方がいいかもしれません。(男目線の生の話がみたければぜひご覧ください。)
 
それはそれは大変でした、きっと僕が感じる100倍ぐらい嫁が大変だったと思いますが、僕は僕で大変でした。まずタイミング法というのを複数回やって普通にダメで、でも原因もないのに、そう高齢ではないし(嫁31歳)受け入れられませんよね、ステップアップというのは。でもタイミングの治療を開始して1年回ってしまいそうになったので…。この時点で、僕の中で子供を授かることってやっぱり嫁とそういうことして、嫁が気持ち悪いとか言い出して、妊娠検査薬をやって、トイレから出てくる嫁が「できたみたい」とかって言って二人で喜び合うみたいなことを期待していたので、とても人工的な処置をされた上に病院で検査されて治療のように子供ができましたって言われる感じがして、次のステージに上がることに乗り気ではありませんでした…。そんなことを僕が言っているもんだから嫁は大変だったと思う。色んなことを嫁と話しながら、結局踏ん切りをつけて、人工授精という僕の精子を取っといて、生きがいいやつを抽出して嫁に注入する治療をやることにしました。職場に不妊治療をしていますとは、やはり言い出せないので、嫁の卵子がいい感じに育った!ってなってから決まる人工授精日に僕が急遽仕事を休む、ということができませんでしたので、普通に仕事に行く朝に少し早起きして準備を済ませて、出勤するギリギリに自分で精子を瓶の中に出して、それを嫁に授けて職場に行って、嫁が9時ぐらいに病院に僕の精子を持って病院に行き、注入してもらうということを複数回しました。しかし、普通に出来ませんでした。1回につき、嫁の卵子を育てたり、注入してから着床しやすくするやつをやったり、人工授精手技などで20−30万ぐらいかかってましたが、もう金なんて関係なくてやるしかない感じで段々焦ってくるんですよね。何軒も神社や寺に縋ってみたり、環境がいかん!とか言って家の庭のリフォームをしてみたりしましたが、全てダメでした。嫁も普通に働いていたので、一番上の上司にだけこっそり不妊治療の理解を得て、急遽休むことを許してもらっていましたが、直属だったり同僚だったりには、どこか不調があるらしいみたいな感じになっていたし、僕は僕で、仕事の直前に自分で精子を出すなんて、お互いコンディション悪すぎですよね。お互い、職場で話してしまえば楽になったのでしょうが、変なプライドなのか、それを周りに言うことで可哀想な人になってしまう感じがしたのもあって言いにくかったすね。僕の方は上司がかなり口が軽いので、多分内緒だけどあいつも苦労しているんだぞみたいな感じで他の子に言っちゃうことが目に見えていたし。人工授精は5回ぐらいやったと思います。人工授精手技自体はそれほど値段が高くはないですが、当日に備えていい状態を作り上げるために薬や診療代などが別でかかってくるので、初回が30万、2回目以降が20万円程度かかったと思います。とうとう最終段階へのステップアップを説明されました。不妊治療を始める前に病院での勉強会に夫婦で参加していたので、知っていましたが体外受精というやつです。凍結胚移植というやつです。これはもう、嫁の卵子も取り出して、外のシャーレ上で人工的に受精させてできた受精卵を7日目まで外で育てて胚盤胞という形まで育ったやつを嫁の子宮に戻すという治療です。治療開始前の勉強会の時点では完全に人造人間なんじゃないかと、ここまでいったら終わりだなぐらいに思っていましたので、あの時僕は、なんならもう子供なしで夫婦二人でリッチな大人ライフを楽しむのもありなんじゃない?って真剣に思っていましたし、そう妻に提案したことも覚えていますので、もう今考えると妻の気持ちを考えないクソ夫だったと思います。でも、人工授精何回やってもダメで、毎回死にそうになってる嫁を見て、仕方ないかと受け入れたことを覚えています。体外受精というのはいわゆるマジで、病院の対応もマジです。入れにくかった予約も全て優先的に入れられるし、使う薬もガチです(僕が毎日嫁の膣にボラギノールみたいな薬を注入してやりました)。一番の山場は採卵です。嫁の子宮から卵を取り出すのですが、かなり痛いらしいです。色々考えて麻酔薬を使ってもらいましたが、それでもかなり不快だったようです。この日も僕は仕事を休めそうになかったんですが、直前に採卵について調べていて女性の体にかなり負担がかかるし痛いし、怖いというのを見て、会社に義理の祖母が調子悪くて自分しか病院に連れて行ける人がいないとか言って、嘘休みをして嫁に付き添ったことを覚えています。結果18個の卵子が取り出せて、僕の精子と結びついて受精卵になったのが11個あって、11個ともが7日間生き延びてくれて胚盤胞まで育ちました。これだけの採卵数で、胚盤胞まで育つのは多いそうですので、通常もう少し数が少ないそうです。そして出来た胚盤胞は見た目でGradeをつけられていて、そのうち一番良いグレードの子を使って、嫁の子宮に戻すということが計画されました。そこから取り出して卵子がない状態の子宮内で生理が来て子宮内膜が剥がれ落ちるのを待って、そこからまた子宮を育てるということで2クールかかる治療でした。この2ヶ月程度は本当に長く感じました。嫁の子宮内膜の厚みが薄すぎると、もう一回飛ばして次のクールで体外受精をするという説明を受けていたので、嫁の体を大切にしました(あ、それまでも大切にはしていましたよ)。一応無事に育って、体外受精を終えました。7日目の胚盤胞を移しているので、21日後ぐらいに確認ができるとのことでそこまで生理が来ないことを祈りながら祈りながら過ごしました。ついに判定日。この日も僕は急に熱が出たことにして仕事を休んで一緒に病院に行きました(コロナなので病院内には入れないので車で待機です)。泣きながら嫁が出てきたことを覚えています、出来ました陽性でした。とても感動的でしたし、嬉しいという言葉では言い表せない感情だったことを覚えています。その後は9週間不妊治療専門院で診てもらって、卒業の日を迎えました。この日も仕事をズル休みして一緒に行きました(車で待ってるだけですが)。なんか泣けましたね。この病院を卒業する日が来るなんて、果てしない戦いのGoalです 先生には一生感謝。そしてそのまま分娩予定の産院に転院し、そこからは体外受精とか普通に妊娠したとか全く関係のない妊婦生活が始まりました。今まで飲んでた薬も全て終わりになったので、逆に精神的に大丈夫か!?となったのは覚えています。そして、ちゃんと産まれました。今1歳ちょっとですが一応異常所見はなく無事育っています。不妊治療に際して、我が家にとっては課題が2つ。一つ目はこの子にどのタイミングで、どのように話すのか、もしくは話さないのか?今は医療保険も適用になって、僕らがやった時より加速的に社会に認知されてきているとは思うので、社会の流れに応じて子には話せばいいかなという案で、しばらくは言わない予定です。でも、子供がいつか結婚して子供を作るってなった時に、僕ら親の身に起きたことは話しておくべきだと思っているので、その頃なのかなあ。2つ目は残った胚盤胞。あと10個あります。年間3万円ぐらいで保管してくれるので保管しています。僕にとっては全員僕の子ですので、これを破棄するということは殺している気になるんです。こんな可愛い子と同じ子供が病院で凍っていますがこの世に存在しているんですよね、もう。全員迎えに行きたいぐらい。あ、そうなんです。2人目が今できましたが、この子は無治療です。普通に出来ました、1回生理きたから、そろそろまた不妊治療を開始しようと計画を立てて予約していたのですが、予約日前にすぐ出来てしまいました。やっぱり精神的に追い込まれていたのが、不妊の原因だったのかな?よくわかりません!でも、僕の人生において不妊治療は必要な過程だったと思っています。それまで子供いなくてもいいやあとか思てしまっていたので。より子を大切にできるようになったり、職場や交友関係においても、相手の立場や可能性を考えて発言しないといけないことが身をもってわかりましたし、必要だったと思っています。でも3人目は体外受精で作ろうと思ってます。迎えにいかないと、あと10人。どうしましょうね。
 
③仕事
書き始めたら長くなってしまい、そろそろ寝ようと思います。③以降は明日かな?また時間が取れる時に。
2022/12/30(ここから追記)
 
お仕事も2018年の前回ブログから考えるといろんな変化がありました。あの頃は棚ぼた的な感じで自分の夢だった分野の仕事が舞い降りてきていましたが、見事に奪われまして、現在は全く関わっていません。即戦力を中途でしかも有名人を呼んじゃうなんて最初から言っといてくれたら色々嫌な思いをしなくて済んだのにwでもまあそれが社会って奴なんでしょうか。それから、普通の仕事に戻って、熱くなると痛い目を見るんで、だんだん目が死んだように「業務」をこなすだけになっています。会社というのは熱意を持って仕事をしすぎるとかえって逆効果で、めんどくさがられちゃうので、今ぐらいの「業務」と割り切って金になりそうなことしかしない方が評価もされますし、精神衛生的にも楽ですね。で、じゃあ仕事の目的=金と定めた時には今の働き方では今の上司のレベルで終わってしまうので、先が見えているし上昇幅を考えてもあと30年かけてやることではないので、その上に行けるように全く違う分野へ転籍になることを狙っています。そんなの無理だと思うけど、基本「業務」と割り切って仕事をしておいて、チャンスを伺っています。なんか文章でもよくわからんね。今の僕の状況をうまくアウトプットできないので、まだ僕の来年のすべき仕事ははっきり見えていないんだと思います。でも、なんかやる。
 
④趣味
ギターとDIYは2021年よりたくさんできたと思う。楽しいけど、で?って感じなので、来年はもっと何か夢中になれるものを探したいと考えています。

まじか....。

 

冒頭でまじか、、、とつぶやきたくなるぐらいアメブロ開いていなかったんだな。

前回2016年の年末なんだな。もう1年半ぐらい、開いていもいなかったわ。

ちなみにこのブログは開設して10周年みたいです。2008年当初の僕の文章なんて恥ずかしくて目も開けられないわ。

 

もう、この1年半にあった出来事をまとめるなんて無理だな(笑)

とりあえず住宅の大きいイベントとしてはマイホームの引き渡しがありました。といってももう1年前なんだけど。

前回のブログに書いてある防音室も無事施行が終わり(色々揉めましたが)、現在も防音室で爆音流しながらこのブログをなんとなく開いたという感じ。防音室はすごいイイ感じ。

僕が結婚して、だれかと生活を共にするなんて無理と思っている方が大勢いたようですが、難なくこなしていますよ。

喧嘩はしますが、険悪ではありません。まだ子供はいませんがね。まだ作ってないんすよね。

嫁のキャリアプランを尊重してという形で。個人的には最近身近にも不妊治療とかあるし、早めにやってみといた方が良いとは思うけど、まあ育てるとなると、いくら僕が手伝いますよ、といったところで、ほとんど嫁が頑張ることになるんだしな。いや、まあ世の中の育メンを見習いたいとは思うけど、育メン、育メン言われてますけど、いくら頑張っても妻のやる子育ての壮大さは僕にはまねできないでしょうから。だって母乳出ないしね。という感じで、妻の意見を尊重する形でもう少し後で子供は期待。まあ、嫁と出会って1年で結婚を決め、2年目に式を挙げてしまっているので、もうちょい2人でできることをやりつくしたいのもあるしね。

 

お仕事の方はまじで頑張ってますよ。

地位はだんだん確立してきていますが、まだ正念場が続きます。

会社のための仕事じゃない仕事が目の前にあり、やりがいをもって取り組めているので、休日も仕事をしない日がないですが苦ではないです。棚ぼた的な。昔からの夢がかないそうになっています。ある意味少しずつ叶っています。

 

現在仕事以外で頑張っているのは、家の庭の手入れやブログの立ち上げです。

ブログの立ち上げというんは、独自ドメインでサイトを立ち上げて、google adsenseの登録を目指しています。

がんばってみます。

妻が来たんで、ここまででとりあえず。

 

 

 

 

本当に久しぶりのブログです。前回が4月3日みたい。結婚前でしたね。

結婚したらブログ書けなくなるかもね、と書いていたけど本当に書いてないわ。書けないほど忙しかったわけではないんだろうけど、1人暮らしが終わって同居するようになると、一人でパソコンに向かって仕事以外のことをすることに時間は割きにくくなるね。

 

今年はいろいろ変化の1年でした。

5月17日 入籍

一応思い出の地ということで他県まで出向いて入籍。自分が入籍するまで、自分のところ以外での入籍が出来ることすら知らなかったけど、歓迎されてちゃんと入籍することが出来ました。

5月22日 結婚式

プロポーズしてから1年間、この日のために毎日のように色々動いてきた。その甲斐もあって、ほんとにイベントごとが多いおもてなしがある式だったと言ってもらっています。

結婚式ってそれぞれの形があって、でも自分たちらしいものが作れたのではないかと、満足。

悲しいこと以外の涙をあれほど流したのは人生で初めての経験でした。

 

その後の結婚生活は、まあ喧嘩が多かったり、いろいろ我慢することも多かったり、でもあっという前にこうして年末を迎えているので楽しい毎日が送れているんだろうね。

 

そして、今年は住宅を購入しました。

契約を済ませてから3ヵ月以上、間取りの修正をして、先日やっと間取りが固まりました。こんなに時間をかけるやつは他にはいないと思うけど、納得いく間取りになった。

目玉として、防音室を作成する予定で施工業者も頑張って探したんだけど、何せ資金がかかるね、今はまだ見積もり段階だけど、レクサス購入できるレベルでお金がかかる。でも、生ドラムを普通に叩けるレベルの部屋がもてるなんて夢ですから、頑張りたい。これに賛成?反対しないでいてくれる妻には感謝しなくてはならないですね。

来年も引き続き色んな詳細を決めて、お盆休みぐらいには多分完成している予定。楽しみ過ぎる!

 

今年の1月6日のブログで今年の目標を立てています。振り返っておきましょう。

①結婚式を成功させる。新生活、離婚せずにしっかり落ち着かせる。

◎自分の中で大成功な結婚式。まだふわふわしているけど着実に新婚生活をしています。


②仕事。自分の地位を確立する。早く帰ることを評価されず、自宅で勉学に励んでいることも評価されないような職場だけど、なんとか頑張って少しは評価してもらえるように頑張る。

◎一応冬の査定はちゃんと評価してもらえていた様でした。でも来年が正念場になりそうなのは間違いなさそう。

 

③運動を続け、デブにならない。簡単に見えて一番難しいことですが頑張ります。抽象的なので、65㎏を超えないということを目標としておきましょう。

×新婚旅行ではフルマラソンを完走しました。そこまではよかったですが、新婚生活中、運動なんてほぼ皆無でした。そのため、体重の方も。。。数字は書きたくないですw

 

では、新年あける前に、来年の目標もたてよう。

 

①妻への感謝の気持ちを忘れない。

一緒に住むと色々嫌な所が見えてきて、むしろ嫌な所しか見なくなってしまって後になって反省することがあります。もう少し寛大に、そして良い所をちゃんと見て、感謝の気持ちを持つようにしたいです。

②仕事で結果を出す。

来年早々に来年度のチーム分けが発表されます。おそらく俺は希望通りにはなると思ってるんだけど、サプライズ人事で別枠にされる可能性もあります。別枠になった場合、僕は出世や仕事のやりがいからは遠のきますので、その場合はまたブログで報告します。

そうでなく、ちゃんとまた自分の思う仕事ができる環境が与えられた場合、来年度は非常に重要な年になります。今やっている分野で自分の地位が確立できるかできないか決定してしまうような年になると思います。いろんなライバル同僚たちを倒したいとは思わないけど、競わなければならない時期が来たんだと思います。上司にへりくだることがとても苦手なので、人一倍実力をつけて、そして評価させる人材になりたいです、頑張ります。

③ベース、ドラムが出来るようになる。

一つぐらい趣味も。自宅に防音室が出来るのでドラムとベースも練習して、ある程度の曲がこなせるレベルにはなっていきたいです。

あと、最近はバイオリンにも興味がありますが、これは目標には挙げないでおこうかな。

 

よし、久しぶりのブログ過ぎてあまり面白い内容ではなく、硬い内容になってしまったけど、いったんこれで区切りにしようと思います。

では、よいお年を。