風邪気味で横になっていたら、
水平方向と垂直方向が、勝手につながり始めた。
脈絡ないところからはじまったものだから、徒然で書く。

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平面が我々としよう。
我々は、個人でもあるし、その総体の人類でもあるし、それが存在する、またはそれが認識できるところであるこの世界だと仮定しよう。
まずね。
で、ピラミッドを想像してほしい。
これは、平面の上に立っている。
いわばクフ王のピラミッドのイメージである。
そして、実際にクフ王のピラミッドはそうなっているという説というか論文のようなものを垣間見たことがあるが、
ピラミッドの下方にも逆向きのピラミッドが埋まっていると想像してみてほしい。
つまり、正四角錐が上下逆に、底面を合わせて正四角双錐になっているのが見て取れるはずである。
底面部分を永遠に伸ばせば、先ほど定義した我らが平面である。
(正四角錐が上下逆向きに、底面を合わせて結合した
正四角双錐 を想像してほしい)
そして、次に底面より上、つまり地上にそびえるピラミッドについて書こう。
これは、イメージそのままのものとして記述することにする。
ピラミッドの頂点に向かって登れる山である。
頂点に向かうには、そこまで行きやすいルートがあるかもしれない。
そのルートとは、頂点方向から俯瞰したとしたら、ピラミッドの下の地上部分から頂上までいくのに、平面のいわば水平方向の広がりのなかで、どちらの方角から登り始めて、どの方角へ迂回しながら登るかなどの、つまり水平方向の座標が肝である。
そして、頂点にいけば、平面を見渡せる。
平面世界の表、つまり地上部分であるが、これについて、見下ろしてすべて見ることができる。把握できる。それを元に精査もできるし、管理すら出来る。
トップダウン構造のピラミッドである。
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一方で、下方に向かうピラミッドについて見てみることにしよう。
これは、地上に埋まっている方向のものと先ほどイメージ化したが、ここで、いきなりではあるが、意識の深部方向へ沈む方向と設定する。
意識を探るという表現について抵抗のある人がいるのを以前知ったので、言い換えると、心の奥底方向に沈むというのでも良い。
内面世界の深くへ入っていく方向である。
つまり、先ほどの、地上部分が外界であるならば、こちらは内界である。
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そして、重要なことを言い忘れたので書き記す。
地上のピラミッドでは、頂点まで行くのに、登らなければならない。
つまり、頑張る必要あるし、ルートを水平方向のどこから行くかが重要であるから、いろいろ効率を考えなければならないし、過去の経験者の言うことをよく聞いて、間違えないようにすることなどが助けとなる。
水平方向の知識、が結構重要なのが、この地上のピラミッドである。
そして、頂点に行けば、すべてが見渡せる。
この世界の。そして、われわれの。
トップダウンで君臨できるし、立場上必然的にマウントポジションである。
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話しを戻そう。
下方のピラミッドは、これとは違う。
心理的なというか、内面世界、それはもちろん個人個人のということで、主観的なエリアであるし、まず、頂点に行くのに必要なのは、頑張ることではない。
頂点は、下方ピラミッドの場合は、最深部の点である。
そこに達するのには、まず垂直方向への線を下方に伸ばす。
言い換えると、心もしくは意識、の深部に降りていくのである。
そして、それが出来さえすれば、あとは、平面の我々は、いや少なくとも平面の我はといったほうが無難か、我は、転がるように、その最深部の頂点まで行く。
水平方向のルートなど考えるまでもなく。
じょうごを思い浮かべて欲しい。
じょうごの上のほうに石を一つおいたら、どの方向から最深部に行こうかなど考えなくても、最深部が石のある位置よりも下方、つまり深ければ、勝手に、そこまで行くであろう。
水平方向がほぼ関与しないで、頂点まで行く。
そしてこの下方頂点から我々の平面世界を眺めてみると、それは我々の裏面を見ることになる。
そして、その裏面を通して、そのままそこを通って、地上のピラミッドの頂上方向の空間まで見通すことが出来る。
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地上のピラミッドの頂点からは、トップダウンのすべて見下ろして我々の表面を管理できる視点を得るが、深部のピラミッド頂点からは、すべてを裏から見通せる視点を得る。
そして、地上のピラミッドで見下ろせる情報は、客観的にこれがこの座標にあると、言い切ることが出来る類のものである。
一方、深部のピラミッド頂点からの視点により見えるものは、個人の心もしくは意識の中の深部頂点から平面へ上がってきて、まず個人の平面つまり現実世界を裏面から見通していき、平面において我々を把握し、地上の空へ向かって世界全体の空間、空気を、把握していく。
そこには、基本、我の視点しか存在しないため、そもそもマウント概念が存在しえない。
完全に自己に責任を持った視点であるとも言えよう。
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また、地上世界において、ピラミッド、つまり山が違えば、登る水平方向の座標はまた違ってくる。
同じ山であれば、確実に言えることも、違う山ならまた別の水平方向を考慮する必要が生じる。
この山の違いには、高さの違い、つまり垂直方向のベクトル加味も生じるから、トップダウンによる完全把握とは言っても、それが言えるのは、その山の裾野に限る。
深部方向のピラミッドの場合、深度の違いは、個人に影響するだけである。つまり、個人は分裂して存在しえないから、深度の違いが生じても、そこから接続する平面世界、つまり地面部分は、変わりえない。
深度が深くなれば、接続する平面部分が広くなることはありえても、違う平面部分と接続することはあり得ない。
よって、そこからの視点は、降りていくピラミッドによって全く違うなんていうことはない。
個人の意識は分裂できないのだから。
我は我である。
我は彼、と想像してみることはできても、実際には我は我でしかありえない。
⭐️ ⭐️ ✨
ここまで書いてきた「二つのピラミッド」は、
ある世界観や思想を説明するための比喩ではあるが、
同時に、私が実際に行っているセッションの構造そのものでもある。
多くの人が慣れ親しんでいるのは、
地上にそびえるピラミッドのほうだろう。
つまり、
• 何を学ぶべきか
• どの順番で進むべきか
• どうすれば効率が良いか
• 失敗を避けるにはどうすればよいか
といった、水平方向の座標を整理しながら、
努力と工夫によって「上を目指す」アプローチである。
この方法は、社会や組織の中では非常に有効だ。
ただし同時に、
常に比較・評価・最適化がつきまとう世界でもある。
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私のセッションが扱うのは、
もう一つのピラミッド、
すなわち下方に向かう垂直方向である。
ここでは、
• 何をすべきか
• どう変わるべきか
• 正解はどれか
といった問いは、ほとんど意味を持たない。
必要なのは、
「頑張ること」でも
「理解すること」でもなく、
ただ、垂直方向に降りていくことだけだ。
意識や心の深部に、
まっすぐ線を下ろす。
それが起きた瞬間、
水平方向の迷いや選択は、
自然と力を失っていく。
じょうごに石を置いたとき、
どの方向から落ちるかを考えなくてよいのと同じように、
深度が十分であれば、
人は勝手に「最深部」に至る。
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このセッションでは、
アドバイスやノウハウの提供は行っていない。
その代わり、
自分で正確に判断できる状態をつくる。
深部の頂点に触れた視点から世界を見るとき、
何をするか、何をしないかは、
外から決められるものではなく、
内側から自然に立ち上がってくる。
そこには、
マウントも、優劣も、正解競争も存在しない。
あるのは、
「我は我である」という、
完全に自己責任で、同時に静かな確かさを持った視点だけだ。
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このセッションは、
人生を“上へ導く”ものではない。
また、
何かを“変える”ためのものでもない。
ただ、
通す。
垂直方向に、
余計な力をかけずに、
自分自身を通す。
その結果として、
現実世界の見え方や、
選択の質や、
身体の在り方が、
静かに、しかし確実に変わっていく。
それは、
登ったから得られる視界ではなく、
沈んだから見える景色である。
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