李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃。韓国では明成皇后。
当時は「悪女」 現在は「聖人」と評される人物。
非常に頭がよいと評判だった閔妃は、15歳の時に王の実父である興宣大院君(以下、大院君)の夫人閔氏の推挙で王宮に入る。
閔妃は数年の後宮暮らしで、夫や大院君への様々な恨みを積み重ね、それらを排除し自らが実権を握るための地盤作りに力を注ぐ。
政治に深く介入するようになった閔妃は、1873年遂に大院君を王宮から追い出すことに成功する。
夫である高宗はもともと、愚昧な人物で酒と女に溺れる生活を続け政治には無関心。
そこで閔妃は、彼女の一族を積極的に登用し、実質的に王朝は閔妃が握ることとなった。
当時の朝鮮はといえば、世界的に帝国主義が席捲している時代。
朝鮮は、世界的にも独立国家とは認知されておらず、抵抗することも出来ずに飲み込まれてしまう程の儚い存在であった。
そこで、閔妃は日本に擦り寄り、ロシアに寄りかかり、清国に阿る多方面外交を展開し、朝鮮と自己の命脈を保つため様々な策謀を巡らす。
閔妃は、反対勢力により政権を奪われるが、更に奪い返すなど幾度かの大きな政変を繰り返すこととなる。
結局は、大院君を中心とした開化派武装組織が、王妃である閔妃の寝室に乱入し、侍女も含めた3人の女性を手あたり次第に斬殺した。
死体は王宮外の前庭に運び出し、積み上げた薪の上で石油をかけて焼き捨てられるという無残な最後だった。
朝鮮が親露に傾くことに危機感を持った日本の公使・三浦梧楼も閔妃暗殺事件への嫌疑がかけれ、日本は国際的に非難されるが、首謀と殺害に関しては証拠不十分し免訴・釈放となった。
2001年から韓国で放送されたドラマ「明成皇后」は、もちろんこの閔妃は主人公。
ドラマも話題を集め、聖人君子である閔妃の人気も更に高まったようである。
しかし、この閔妃の評価はどうも怪しそうだ。
李氏朝鮮時代の知識人も、この閔妃を挙って「悪女」と評していたようなのである。
というのも当時、世界最貧国クラスの朝鮮において、民衆の暮らしを顧みない散財で庶民を苦しめ、
美女がいると聞けば殺したり二目と見れない顔にしたりと悪逆非道な行いを繰り返し、
儒教文化圏である朝鮮で、義父を追放し、夫を蔑ろにしていたのだから、それも頷けるところだ。
まぁ、今更驚く程のことでもないのだが
このドラマ「明成皇后」の中で、閔妃を殺害したのは日本人と言うことになっているらしい。
つまり、恐らく閔妃の人気の高さとは反日思想のプロパガンダによるところが大きいのではないだろうか。

閔妃(ミンビ)暗殺―朝鮮王朝末期の国母









