ロンドンからごきげんよう。

 

 

アフタヌーンティー・コンシェルジュの

マダム詩子です。

 

ちょっと投稿が遅れてしまいましたが、

バッキンガム宮殿にて開催された

国王による天皇皇后両陛下をお迎えした

晩餐会について、日本でもいろいろ報道されたと

思いますが、マダムの視点から少しだけ…

 

 

バッキンガム宮殿のバンケットルーム

 

まず「英国におかえりなさい」という

日本語から始まったチャールズ王のスピーチ。

 

国王のスピーチ

 

ハローキティ―が今年で50歳を迎えるとか、

 


キティーちゃん、実はリアルタイムで知っている私…。

 

千と千尋の神隠しが劇場で上演されるとか、

 

 

お茶を楽しんだり

お天気の話をするだけじゃないとか、

そういうユーモアたっぷりな感じで、

 

陛下とも時折お顔を見合わせながら

とてもリラックスした感じの

スピーチだったのを

テレビでご覧になった方も

多いかと思います。

 

でもなんといっても

マダムが最も興味深かったのは、

日本とイギリスの長い歴史でした。

 

英国も日本も小さな島国で、

それぞれ長い歴史があります。

 

そして両国間の関係は、

実は400年以上も前から

続いているという事を、

皆さんご存じでしょうか?

 

チャールズ王のスピーチの中にも、

「徳川家康公から、ジェームス1世に

送られた手紙には、

『何千里も離れていても我々の領土は

隣同士にあるように感じます』と

書かれていました」と述べていました。

それが1613年の事。

 

時をさかのぼること数年、

オランダが「東インド会社」設立に先立ち

派遣したリーフデ号が

1600年、豊後に漂着しました。

 

船長のヤコブ・クワッケルナック、

航海士のイギリス人ウィリアム・アダムス、

オランダ人ヤン・ヨーステンらが乗っており、

これがオランダとの交流のきっかけになりました。

 

アダムスは三浦按針という名を与えられ、

家康の通訳・外交顧問となり、

イギリスにも手紙を書いて、家康が

通商を望んでいると伝えたのです。

 

ウィリアム・アダムスこと、三浦按針

 

そこで、イギリス東インド会社は、

1613年にイギリス人ジョン・セーリスを派遣。

 

イギリス国王ジェームス1世の国書を

徳川家康に奉呈したことから、

正式な国交が始まりました。

 

ジェームス1世から家康公に贈られた手紙

 

ところがなかなかイギリスとの

貿易が進まなかったにはいろんなわけがあります。

 

イギリスからの海路は、

東回り航路はポルトガルや

オランダに押さえられていたし、

南米最南端のマゼラン海峡周りでは遠すぎ。

そこで、北極海回り航路が模索されたのですが

実際それはかなり過酷な提案だったようです。

 

 

とまぁ、話すともっともっと長くなるので、

とりあえず、日本とイギリスの歴史は

400年以上に及ぶという事をお伝えします。

 

 

そして…昨年にはこんなコインも発行。

左がジェームス1世、右が徳川家康

 

江戸時代から続く両国の関係。

もっといろいろ知りたくなりませんか?

 

また次のブログでお会いしましょう。