ロンドンからごきげんよう。
毎日を幸せに
ときめき コンシェルジュのマダム詩子です。
7月7日って七夕、というイメージですね。
でも実はここイギリスロンドンで
暮らす私にとっては、
とても複雑な気持ちの1日です。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、
20年前のこの日、
ロンドンでは同時多発テロが発生したのです。
あの日の朝…
20年前の2005年7月7日。
あの日のロンドンは、前日6日に
2012年の夏季オリンピックの開催地が
ロンドンに決定した翌日でした。
そしていつもと同じ朝を迎え、
同じ時間に会社へ向かい、
普段と同じ1日が始まると思っていました。
でも、その朝は違っていました。出社してみると、
いつも一緒に働く同僚たちの顔が
そろっていない。
「今日は遅れてるな…」そんなふうに
軽く思っていた矢先、ロンドンの交通機関が
止まっているという情報が入りました。
当初BBCの報道では「電気系統の故障」と
言われていました。
でも、次第に断片的なニュースが入り始め、
地下鉄数か所で爆発があったこと、
バスでも何かが起きたことが伝わってきました。
そして―― あれはテロだったのだと、
はっきり知らされたときの衝撃。
あの瞬間の空気の重さ、静まり返ったオフィスの様子、
そして胸の奥からこみあげてくる恐怖と不安は、
今でも忘れられません。
街を歩いて帰った、あの日の記憶
政府からは「外に出ないように」という
アナウンスが入り、会社からも
「しばらくこのまま様子を見るので、
皆さんの安全のため勝手に
外に出ないように」という連絡がありました。
夕方になってやっと外に出ることが許された私たち。
地下鉄、バス、鉄道、全ての交通機関が
完全に止まったロンドンの街。
私は徒歩での帰宅となったのです。
歩きながら見たロンドンは、
普段とはまったく違う顔で私たちを見つめています。
車の音も、人々の声も少なく、
ただ誰もが静かに、
でも確かな緊張感を抱えながら
道を進んでいました。
あの日、何が起こったのか
事件の詳細が明らかになるにつれ、
その深刻さが浮き彫りになりました。
朝のラッシュアワーを狙って、
4つの爆発が同時に起こったのです。
オールドゲート、エッジウェア・ロード、
キングス・クロスの地下鉄駅、そして
タビストック・スクエア近くのバス。
この同時多発テロでは、56人(うち実行犯4名)の
命が失われ、700人以上が負傷しました。
犯人はイギリスで生まれ育った若者たち。
アルカイダ関連の過激派により洗脳された彼らが
自爆を選んだこと、そしてそれが
ロンドンの日常の中で起きたことに、
深い衝撃を受けました。
街に戻った日常と、変わったもの
事件の翌日からロンドンの街は
少しずつ日常を取り戻していきました。
地下鉄もバスも運行を再開し、
人々は再び通勤し始めました。
でも、何かが確実に変わっていました。
地下鉄のプラットフォームで、
人々はより周囲を意識するようになりました。
人種差別になってしまいますが、
事件を起こした人たちと同じ宗教の人々や
背中にバックパックを背負っている人の
そばに近づかない、忘れ物のバッグを見つけると、
誰かがすぐに駅員に報告するといった
そんな光景が当たり前になったのです。
また「テロには屈しない」というスローガンが
街のいたるところで見られるようになり、
多様な背景を持つ人々が
手を取り合う姿も多く見かけるようになりました。
20年が経った今
今年で、あの日から20年。
事件の記憶は今もハイド・パークの追悼碑に刻まれ、
毎年7月7日には静かな祈りが捧げられています。
今年は特に20年ということもあり、
ネットフリックスやスカイテレビなどでも
ドキュメンタリーが放送されています。
そして私はいまもあのときと同じ
ロンドンの街に暮らしています。
地下鉄やバスを使い、同じ街を歩いています。
今でも被害を受けた人々や、
亡くなった方のご家族にとっては
あの日のことは永遠に記憶に刻まれています。
そしてあの日をロンドンで迎えた我々は、
誰もがあの日の出来事を、
なぜか今でも鮮明に
思い出すことができるのです。
あの日失われた52の命、
そして傷ついた700人以上の人々。
その人たちの痛みを決して忘れることなく、
テロなどの暴力がない平和な日常が
どれほど尊いものかを考える今日この頃。
そしてこの美しいロンドンの街で、
これからも人々が安全に暮らしていけることを、
心から願っています。


