次は、日本で生まれた子供たちにどう学力や能力をつけるかだ。僕は、格差の是正が教育水準を上げる要因になるのではないかと思っている。北欧やドイツなども、適度に格差を是正する事によって国際競争力が高く、教育水準も高いといった情勢になっている。


今の日本では教育が崩壊し、学力も低下している。これではいくら日本企業がシェアを拡大しても、企業の中枢にいるのは外国人だらけということになってしまう。そして、ワーキングプアが溢れてしまう。日本人に残った仕事は低レベルで、そのため低賃金のものだけという状況に陥ってしまう。

僕は、教育の崩壊は①ストレスの増大と、②勝ち組になるために越えなければならないハードルが高すぎるせい、③忙しくてゆっくり考えなくなるからだと思う。


ストレスの増大という①だが、今の学校はストレスに満ちた状況にあると思う。前に言ったように、政治が責任を負っているストレスの原因は、格差だと思う。そして、過度のストレスは体力、精神力、集中力を奪うものである事は周知の通りだろう。そんな状況で努力なんてできるわけがない。僕も、学校はつらかったので、学校から帰ったらテレビゲームやバラエティや色々なものでどうにかストレスを紛らわせて自分の心のバランスをとるのに精一杯で、机に座るというのはできなかった。教育再生会議ではゆとり教育がいけなかったというが、もし僕がもっとつらい教育を受けていたら、何をしていたかは、恐ろしいが、わからない。


 ハードルが高すぎるという②は、心理学でも証明されている。課題があまりに高いと人はやる気を失ってしまう。挑戦してもそれが失敗し、達成できる限度を超えていそうだと思うと学習性無力感に取り付かれ、つまりいくら勉強をしてもそれは実らないのだと思ってしまうという事だ。自分の素質の所為だと思ったりしてしまう。今の子は努力をしようとしたら、それは恐らく勝ち組になるためというのが主だろう。なぜなら、勉強は多くの人が社会に出るためにしているのだと思うからだ。そして、格差拡大の中で、みんな苦しい生活をする負け組になりたいと思うわけがない。しかし、格差社会では勝ち組は少数でとても高水準の頭を持ったエリートだ。それを目指しても、到達できる人は一握りである。格差が小さく、金銭的に豊かになれる人数が増えれば、おそらく目標は下がり、多くの人が勉強するようになるだろう。格差がモチベーションをあげるとは、一概には言えないのである。


今日はここまでで。また、いつかまでお待ちください。皆さんのお役に少しでも立てれば・・・と勝手に思っております。では。


Siyabonga !


 日本として、この競争の勝ち組になるにはどうしたらいいか。やはり、日本企業のシェアが増えるのは好ましい。そして、優秀な人材をできるだけ日本に呼び、税金を払ってもらうというのも目指すべきものである。また、国民の多くを有能な人にする事だ。グローバリゼーションというのはいろいろな仕事も持ってくる事ができる現象であり、国民が有能でいい仕事を持ってこられれば、自国籍企業が少なくなっても、或る程度は国民所得も国民の生活も豊かになる。また、賃金以外のよさを作れれば、優秀な人もこの国に多く入り、所得再分配を支えるための税金を多く払ってくれる人になるだろう。逆に、賃金に頼っているうちは、体力勝負になってしまい、アメリカなどに負けてしまうことになると思う。企業も勝ち残るところは価格競争ではなく質で勝負するように、日本も国の質で勝負するべきだと思う。


 であれば、格差是正も完璧ではないが、競争を勝ち抜くためのプラス材料もあるのではないか。


 僕は、今一番困っていて、格差を生み出さざるをえないのは、大競争を強いられている企業であり、また、一番豊かで余裕があるのが、投資家だと思う。それは、企業が生き残りをかけて自社株の時価総額上昇を行なうために配当等を多く出し手くれるからである。そして金持ちは、個人としては金を今より多めに税としてとられてもつらい状況には置かれない。であれば、格差を縮めるためにパート社員を正社員にしろといって企業を苦しめるのではなく、累進課税による所得再分配と配当所得の増税をすべきだと思う。


 生活者としての格差を緩めても、余り企業に影響はないだろう。(度を越すと日本から投資が逃げて時価総額が下がり、買収されやすくされるかもしれない。また、労働市場が買い手市場ではなくなるので多少の低給で過酷な労働を強いる事もできなくなるかもしれないが。)生活者の格差を縮めることは、日本が競争に勝つためにも役に立つと思う。具体的に言うなら、僕は、適度に格差を是正する事により、有能な人が日本で住みたくなるのではないかということと、教育水準が上昇し、企業の作るものが高度・良質になり、社会コストの低下やその他の効果があるのではと思うからだ。


 最初に、この有能な人が国に住むのではないかということを考えていきたい。もしこの国に住むことが幸せであれば、給与の多くを税金として持っていかれてもこの国に住むという人が増えるのではないか。僕は有能な人がどんなことを考えているかというのは知らないので、軽々しく「金持ちもお金儲けよりそれ以外での幸せのほうを求めているはずだ」ということは言えない。だが、違うということも言えないはずだ。治安が悪く、余裕のない人たちのいる国で過ごすのは、そんなにいいものではないと、僕は思うからだ。

格差是正をすることによる不安の二つ目は、世界がグローバリゼーションの方向に向かっている中で格差是正をすることが、国力の減退につながらないかということである。格差是正は国単位でしかできない。つまり、外国との競争に負けられないという制約を背負って格差是正を行なわなければならないのだ。理想ばかり追い求める人がいるが、絶対に経済がボロボロになってしまったら困るだろう。


 しかし、格差を減らしつつ外国との競争に勝つというのは思う以上に大変な事である。なぜなら、競争に勝つには、格差を拡大しないといけないというのは鉄則だからである。格差が大きければ努力しただけ成果が出るのでモチベーションも上がるし、生活を人質にされている、つまり多く仕事をしないと普通の生活が送れないので労働者は妥協できなくなり(弾力性の増大)、労働の買い手、つまり会社側が労働者より有利になるという買い手市場になり、通常より給料を安く、過酷な労働を強いる事ができる。また、優秀な人材を格差の小さい他国の企業より高く雇う事もできる。(税で余り給料がとられないから取りぶんは大きくなる。)こういった格差の拡大をしないと、外国企業に日本企業は負けてしまう。


 今は、ITと運送力の拡大によって全世界の商品を知る事ができて買う事もでき、仕事も海外から持ってこれるというグローバリゼーションが進み、市場が拡大し、また競争相手も増大した。資本主義社会では、市場の寡占や独占が多くの業界で起こるという原則みたいなものもある。多くの業界では、大企業は一つの市場の中で一つの業界には大体三~五くらいの企業が生き残れる数の目安だ。寡占独占が増えるのは、企業が大きくなればなるほどスケールメリットやリスクヘッジ等様々な理由からだ。僕はまだはっきりとは分からないけれど。


 これから何が始まるのか。お客さんが全世界の人になり、市場が国内を飛び越えて全世界的なものになる。また、世界の全ての人がいい仕事を取り合える世界になる。そうなると、企業はひとつの業種でおそらく三~五の席を争うことになるだろう。人はおそらく少数のいい仕事を取り合うことになるだろう。大イスとりゲームが始まるのだ。今はまだ自国企業がその国ではよく売れているが、それがどんどん変わっていくだろう。また、アメリカが世界に強制した株式の時価総額主義を使った企業の買収や合併もこれから増えてくる。今一番困っているのは企業なのだ。政府の企業減税も正しいし、偽装請負も仕方ないだろう。