■教授職より大事だった常温核融合研究
計器類を前に研究生活を振り返る水野氏JR札幌駅の北口を出て、ホテルやオフィスビルの並ぶ通りを徒歩10分ほど。銀杏並木が続く北海道大学の北13条門を抜けると、ほぼ正面に工学研究科の建物がある。真新しいエントランスを入り、増改築を繰り返した建物を右へ左へ進んで2階に上がると、水野氏の研究室がある。
ラックには中性子の検出器といった計器類やパソコンがぎっしり並び、部屋の中央にはステンレス製の小型炉が鎮座する。水野氏がCF研究拠点としてきた部屋だ。研究資機材に7000万円は使ったという。そのCFは、多くの研究者や米国政府といった公的機関が「根拠がない」と否定している。
身長180センチを越え、威圧感を感じさせる姿とは裏腹に、水野氏は穏やかな口調で話し始めた。
「CFが学会などで否定されていることはもちろん承知しています。そもそも、実験に再現性がなく、追試できなかったのだから、否定されて仕方のない話です。再現できなければ、それは科学ではありませんから。私も過去、CFの研究はもうやめようと何度も思い 高品質モンスター ヘッドホン
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した。『CFから手を引けば助(准)教授にしてやる』なんて言われたこともあります。でも、わずかでも核融合、核反応の証拠である中性子を検出したのは事実ですし、元素の原子核がほかの原子核に変わる「核変換」としか考えられない現象があったことも事実です。科学的事実を追究することは、私にとって教授という身分を得るよりも大事なことでした」
学会でも学内でも異端視されてきたCFだが、水野氏一人で研究が続けられるわけではなかった。「こんな装置がつくりたい」と相談すると、影で助けを出す教官や技官がいて、実験を続けることが出来た。
■すべては水素から始まった
水野氏の研究室水野氏は1945年(昭和20年)5月7日、北海道旭川市で生まれた。
ちょうど大学に進学する1960年代はじめころ、国の原子力政策が本格化し、北大など旧帝大や東工大に原子力系の学科ができた。エネルギー問題に関心を持った水野氏は、室蘭栄高校から北大工学部の応用物理学科に一期生として入学、原子炉や金属材料の研究に取り組んだ。
今でこそ、原子力研究は学生に人気がないが、当時は花形。1970年の大阪万博では、美浜原発から送られた電気が「原子の火」と持てはやされた。
「いまの私の研究はすべて水素との出会いから始まりました。水素は非金属元素であるにもかかわらず、金属と結合すると金属のように振る舞ったりします。それも、わずかな量でも金属に大きな変化を与えるのです。
宇宙では、中間子や中性子が集まって水素ができ、水素が核融合することにより、より重い元素ができていきました。水素は活性が高く、あらゆる元素と結合して水素化合物となります。ファンデルワールス結合という、電荷を持たない原子が水素原子を介することで静電結合する現象があります。水(H2O)がその代表です。水はすべての生命活動の基本です。物質も生命も、物事のすべての基本は水素だということもできませんか。物事の本質を探りたいと考えていた私にとって、水素はとても魅力的な研究対象でした。そして、水素というのは、いまだによく分からないものなのです」
すいへい、りーべー、ぼくのふね…。元素の周期表で最初に出てくる水素(H)は、元素の中で最も軽く、宇宙にほぼ無限に存在している。そして、ほかの元素とはやや異なる性格を持っている。
通常、原子は中性子と陽子(プロトン)で構成された原子核と、その周囲を回る電子で構成されているのに対し、水素(軽水素)の原子核だけは例外的に、中性子は無く1個の陽子だけでできているのだ。だから、水素原子はイコール、プロトンと言うこともできる。
「陽子のほか中性子や電子、光子など物質を構成する最小単位を素粒子と呼びますが、水素は原子としてより、素粒子として考えた方が理解しやすい場合も多いのです。条件によっては素粒子と同じく、『波』のようにも観測されます。極小の世界を扱う量子論の世界では、『トンネル効果』と呼ばれる現象が起きます。例えば、ボール(素粒子)が壁を通り抜けるような現象です。水素原子は極めて質量が小さく、量子論的トンネル効果による移動が頻繁に起きます。生体内でプロトンが移動することによって起こる神経伝達の尋常ではない速さも、トンネル効果で説明できます。水素は生命の発生や宇宙の構造にも関わっていて、まるで、忍者のような存在です」
こうして水素に取りつかれた水野氏の人生を変えたニュースが、1989年3月にあった。アメリカ?ユタ大学が水素の常温核融合に成功したというのだ。これが、水野氏の後の半生を決定づけたのだった。(下)に続く