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(ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト)

 ローマ神話に登場する戦争の神「マルス」にちなむ軍艦「マルス号」の全長は、およそ60メートル。16世紀当時、世界最大かつ最も勇壮な戦歴を誇ったという。しかし1564年の海戦で、炎の弾幕を浴び撃沈。スウェーデン人とドイツ人の乗組員合わせて800~900人、積み込まれていた大量の金貨や銀貨なども海の藻屑と消えた。調査を進めていた専門家グループが最近明らかにしたところによると、マルス号は3本マストの大型軍艦の先駆けで、従来からの研究対象の中では最も保存状態が良いという。

 専門家グループの1人で、スウェーデンにあるセーデルトーン大学で海事考古学を研究するヨハン?レンビー(Johan Ronnby)氏によると、17世紀の軍艦については海軍史家が多くの著作を残しているが、それ以前の情報は極端に少ないという。

 だが16世紀は、3本マストの大型軍艦が建造され始めた時期であり、歴史上重要な意味を持つとレンビー氏は語る。

 1545年の海戦で沈没したイギリスの軍艦メアリー?ローズ号など、船体の一部が回収された例はあったが、マルス号の良好な保存状態は前例がない。

 レンビー氏は、海底に眠る船体の3Dスキャン画像を撮影し、いずれ公開にこぎ着けたいと考えている。

 引き揚げに踏み切らなかった理由は、多大な費用と、船体へのダメージが大きいことを危惧したからだ。撮影は、水中考古学調査の潜水作業専門のオーシャン?ディスカバリー(Ocean Discoハイパーダンク2013 -コービー 9 ery)社の共同経営者、リチャード?ラングレン(Richard Lundgren)氏らの協力を得て行われた。レーザースキャンの精度は誤差2ミリ以下という精密さで、多くの専門家にとっても十分満足できる結果だという。

 新しい機材や手法を利用する現代の海事考古学は、艦船や乗組員の最後の瞬間を再現するまで高度化しており、海戦の様子を推測する手掛かりを得ることも可能だという。

◆沈没の原因は大砲

 1564年5月31日に沈没したマルス号は、スウェーデンのエーランド島沖での海底に右舷側に傾いた状態で横たわっている。堆積物もほぼ見られず、付近の潮の流れの遅さや、海水と淡水が混在した汽水域が木造船の食害が著しいフナクイムシの繁殖を抑えたなど、数々の好条件が重なり450年後の今でもその姿を留めている。

「機能的に優れた軍艦で、戦場でも大いに活躍した」とラングレン氏は話す。同号の沈没時には、大砲、乗組員、その他航行に必要なあらゆる装備品が満載状態だった(見張り台にまで砲が備えられていたほか、ビールは8種類もあった)。

 また、搭載する大砲は当時、「空前の砲撃力」を誇っておりラングレン氏によれば、その大砲が沈没の原因になったのだという。

◆沈没の顛末と異説

 それは、デンマークとリューベック(現ドイツに属する都市)の連合軍との戦闘のさなかに起きた。初日はスウェーデン軍が優勢だったが、2日目になるとリューベック軍が意を決して突撃を開始。

 砲撃を受けたマルス号は炎上し、舷側に接近したリューベック軍の兵士は移乗に成功した。火薬に引火した火の勢いはさらに激しさを増し、ついには高温にさらされた大砲が次々と爆発するにいたった。

 マルス号の沈没は、このときの爆発が原因だとされているが、少々異なる言い伝えもある。

 レンビー氏によると、当時スウェーデンの歴代の王たちは、その地位を強固なものにしようと躍起になっていた。「だが、絶大な権威を誇るカトリック教会は、新しく即位した王たちにとって邪魔な存在であった。そこで王たちは、教会の権威を失墜させるべく教会の鐘を没収。溶かして大砲に作り変え、新しい軍艦に搭載するという策を講ずる。マルス号の建造を命じたエリク14世も例外ではなかった」。

 マルス号のさまざまなサイズの大砲の数は107門、または173門と諸説あるが、その末路は教会の鐘による災いだと、まことしやかに伝えられているという

◆爆発を示す痕跡

 海底で船体を目の当たりにしたレンビー氏は、「横たわるのは単なる沈没船ではない。ここに戦場があったのだ。劇的な火災や、互いに殺し合った兵士、すべてが爆発し炎上したその様子が今にもよみがえってくるようだった」と振り返る。

 実際、ラングレン氏らの潜水チームが船体の木片を海面上まで運び上げたとき、焦げた臭いが風に乗って辺りに漂ったという。

「詰まるところ、遺物の人間的な側面をわれわれ自らが考察することが、考古学の目的なのだと思う」とレンビー氏は語っている。

Jane J. Lee, National Geographic News