graybanのブログ -27ページ目

graybanのブログ

ブログの説明を入力します。

 福岡市南区在住の被爆者、小島恒久さん(88)が今年、長崎での被爆体験などを基にした歌集「晩?偃(ばんとう)」(現代短歌社)を出版した。爆心から約2.6キロの長崎経済専門学校(現長崎大経済学部)で被爆した。多くの友人を亡くし、自らも原爆症に苦しんだ。水やれば死ぬと乞(こ)ふ水与へずに逝かせし友が今も吾を責む--。収録は603首で、今なお癒えぬ痛みと、揺らぐ平和への危機感がにじむ。

 69年前のあの日、同級生たちは爆心地近くの軍需工場に動員されていたが、結核で長期休学するなど病弱だった小島さんは学校にいた。真っ黄色の閃光(せんこう)と爆風に襲われ、木造校舎は崩れ落ちたが、幸いけがはなかった。学校に帰って来た重傷の友人たちの手当てをした。夜、近くの山から燃える街を見た。

 山に遁(のが)れ街々なめて燃ゆる火を目守りし十九のかの夜忘れエアジョーダン レブロン12

 翌日から爆心地近くで友人を捜した。あちこちで死体が焼かれていた。

 なまぐさく人燃すにほひ立つ焼野(やけの)に友を探して暮れしかの日よ

 8月12日夜、故郷の佐賀県武雄市に帰った。「傷が治った」と便りを寄こした友人が原爆症で死んだ。

 被爆の傷癒えをりと故郷(くに)より便りくれ十日後に逝きし南里(なんり)好彦

 小島さんも脱毛、発熱し、斑点が出て死の恐怖におびえた。

 長崎にゐし者なべて死すと聞き怯(おび)えて臥(ふ)ししかの夏忘れず

 何とか回復し、3カ月後に復学のため長崎に戻った。夜、山から見た焼け野原にぽつりとともった弱々しい明かりに、平和を感じた。

 原爆症癒え戻り来し原子野に芽吹くものあり涙あふれき

 戦後、九大に進学。経済学者の道を歩んだが、心身の傷は消えなかった。

 わが被爆のせゐかとひそかに怖(おそ)れにき初子を妻が流産せしとき

 80代で前立腺がんになり、原爆症認定を受けた。

 かの夏浴びし放射能がわが身内にひそみ癌(がん)となり出づ六十年経て

 九大大学院教授(経済学)などを務め、現在は九大名誉教授、福岡県歌人会会長。2005年に歌集「原子野」を出版した。生き残った仲間も次々に鬼籍に入るなか、被爆70年を前に「原爆を詠み継がねば」と、06~13年の作品を収めた「晩?偃」を出した。

 安倍晋三政権による集団的自衛権の行使容認や、改憲の動きに強い危機感を持つ。「被爆した友人たちの犠牲の上にできた憲法9条を崩さないでほしい」と訴える。

 戦知らぬ議員増えゆき改憲のみかああ核保有すら今や言ひ出づ

【樋口岳大】