(プレジデントオンライン)
PRESIDENT 2011年12月5日号 掲載
数ある経典の中でも、『般若心経』は日本人にもっとも親しまれているお経の1つでしょう。葬式や法事に参列すればお坊さんが読経する姿を目にするし、四国八十八カ所にお参りするお遍路さんは、到着の証しとして詠んでいます。自分ではとくに意識していなくても、日本人のほとんどがどこかで触れているはずです。
あらためて言うまでもありませんが、『般若心経』はもともと日本のものではありません。7世紀、『西遊記』の三蔵法師として有名な僧、玄奘はインドからたくさんのお経を持ち帰り、残りの人生をその漢訳にささげました。訳した中には、大乗仏教の中心経典である『大般若波羅蜜多経』600巻余や、そのエッセンスを抽出した『般若心経』も含まれていました。それを遣唐使で中国に渡ったお坊さんたちが日本に持ち帰り、以来1200年、脈々と詠まれてきたのです。
■ブッダは『般若心経』に究極の智慧を詰めた
ただ、『般若心経』は古くからたくさんの日本人に親しまれてきたわりに、その意味を理解している人が少ない。じつに不思議ですよね。
仏教関係者の中には、「お経の意味をわからずともいい。尊いものだから、唱えるだけでご利益がある」という人もいます。でも、それはどうでしょうか。お経とは、ブッダの言葉なのです。お経の意味を モンスターディディビーツ レブロン13 らなくてもいいというのは、ブッダがお経に託したメッセージを無視してもいいということ。それではあまりに失礼じゃないですか。
では、ブッダは『般若心経』で何を伝えようとしたのか。般若心経の「般若」は古代インド語の「パーニャ」、智慧という意味です。「心経」は、エッセンス。つまりブッダは、智慧の神髄、究極の智慧をこのお経の中に詰め込んだのです。
では、その智慧とは何か。私が読み物として『般若心経』を初めて読んだのは大学生のころでした。ただ、そのときは智慧の正体がよくわかりませんでした。
解説書を開けば、『般若心経』の智慧とは「空哲学」であると書いてあります。しかし、「空」とは何かという肝心の部分がよくわからない。書いてあっても表層的な説明に終始していて、心から納得はできないのです。
それから約30年を経て自由訳に挑戦したのですが、自分で訳して気づいたのは、「空」は名詞ではないということでした。巷の解説本は、「空」を何か静的な状態を指し示す名詞として訳しています。一方、私の解釈だと「空」は動詞。だから解説書がピンとこなかったのかもしれません。
具体的にいうと、「空」は「変化する」です。空を見上げていると、数分で天気が変わります。さっきまで明るかったのに、急に陰ってきたと思えば、またお天道様が顔を出す。そうやって絶えず動くことを「空」といいます。
「空」は変化をつかさどる時間の神様といってもいいかもしれません。時間の神様は、最強の存在です。どんなに美しい女性も50年も経てばおばあちゃんになるし、その先には死が待ち構えている。そうした絶対的な変化が「空」です。『般若心経』の中でそれを端的に示しているのが、「色即是空」です。この4文字は、目の前にあるコップはもちろん、壁や天井も、木々も山々も、地球や宇宙そのものも、万物は例外なく変化して、いずれ滅びて無になるということを示しています。
そのことにどのような智慧が隠されているのか。ブッダが「色即是空」に込めたのは、「この世のすべては束の間の存在だから、それに執着したりこだわるのは、もうやめなさい」という教えでした。
別の言い方をするなら、「起こってしまった過去を受け入れる」ということです。一度起きたことは、もう変えられません。それなのにいつまでも心をとらわれているのはもったいない。過去への執着から自由になり、あるがままに受け入れたとき、人は平安な心を手に入れ、幸せになれるのです。
ただ、これは空哲学の半分にすぎません。『般若心経』の「色即是空」の後には、「空即是色」の4文字が続きます。これを新井流に訳すと「万物は変化した結果、再生する」です。雲をイメージすると、わかりやすいかもしれません。雲はどんどんと流れていき、いずれは消え去ります。これは「色即是空」。しかし、そのうちまた新たな雲が生まれて、空を覆い始める。これが「空即是色」です。
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