カメラはすでにパッキングしたスーツケースの中。


さて、今日は本当に最終日。プレゼンと、グラッドセレモニーでした★


プレゼンは、なかなかよかったんじゃない?(自己満足)

でも、誰かに評価されるってことより、自分でできたなあって思う自己満足の方が最近は大切に思う。

(自己啓発なので)


今日、最後に先生は、昨日私が感じたことと同じことを話しました。1つのことをのぞいて。

彼だけでなく他の先生も言っていましたが、こんな短期間で全てをカバーするような授業はコントロールが難しいし、教える側もタフなことだと。(私たち以上に)

でも、彼がなんでこのプログラムを教え続けるか。

それは、国籍・性別・年齢・バックグラウンド・専攻、さらに育ってきた文化の違う人たちがここに集まって、何か(事業計画書)を作り上げる、その1つのことに向かって、全く違う人が同じ方向を向いて頑張っている、それが好きだと。そして、そこから自分も成長するんだと。


↑ これは、私も感じていたこと。


そこで、彼が追加したことは。。。

これが、この時代でなかったら難しいことである、と。この時代だから、いろんな国の人が異国で勉強することが可能なんだ、と。

彼は、おそらく70歳くらいだと思う。

明言は避けていたけれど、たぶん彼は、彼の若いころでは難しかったんだよ、ってことが言いたかったんだと思う。

さらには、日本語での適切な表現が見つからないんだけど、もっと上層部(上流?)の世界ではこんなふうにはいかないと。(いわゆる、国の政治がらみとか。)


今、私達の年齢でこの時代だから、こういうことが可能になっている、本当に貴重な経験なんだよって。


うーん、納得。

10日ぶりくらいです。

最終の科目が始まり、事業計画書の作成の授業なのですが、少しバタバタ。

引越しの準備もあり、バタバタ。

転職活動もあり、バタバタ。

いろいろと考えることも山積みで、精神的にもバタバタ。

まずは、明日の最終プレゼンに集中しないと。


さて、長かった(短かった)この国際経営のコースも、明日で終了です。

私にとっては、その前の3か月のマーケティングコースを含めて、ここでの6か月の勉強も明日で終了です。


今日は、とってもうれしいなあと感じる瞬間がありました。

この瞬間が、この6か月という私にとってはハードだった期間に得た感覚なのではないかと思います。


明日は、最終のプレゼンです。総合的な、ビジネスプラン(事業計画書)の作成とプレゼンです。もちろん、包括的に、その事業のバックグラウンドやマーケット分析、マーケティングプランやファイナンシャルプランまでかなり深く作っています。

私のチームは、私にとってはプレッシャーに感じるくらい、皆さんできのよいチームメイト5人(いわゆるトップの人たちだけで構成されている。なぜか。)なので、最初は少し苦痛でした。

本当に。彼らは、英語でアドリブができるタイプだけど、私はアドリブなんて無理だし。。

なので、私は自分の経験を生かした分野で協力できればと思い、一部ファイナンシャル計画・投資計画の部分だけ計算フォームを作ってみました。こんなところで前の会社で覚えた知識が生かせるなんて。。。


今日は、うまく表現できないんだけど、個性の強い、確実に自分の意見を持っていて主張するタイプの6人が、人の意見を押し倒すわけでなく、うまくうまくディスカッションが回っていたのです。

文化の違う、言語の違う人たちが、第2外国語である英語でコミュニケーションし、各々の手法で何かを伝えようとすると、どうしても誰かが遠慮したり、だれかが不機嫌になって「まあいいや」っていうのが多いのですが、

今日は、みんな意見をいいあい、すごく、いいグループだって思えたんです。みんなが主張しすぎることなく、お互いの意見を尊重できていた。

私自身も、いつになくComfortableに話を聞くこと、しゃべることができたし、個性が強い6人だけど、それぞれ得意なことが違って、それはそれでよいグループだったって思います。(まだ、明日で終わるんだけど)


こんなの、当たり前じゃん、って思うかもしれない。

でも、日本人同士、同じ会社の人同士、同じ年齢層の人同士だったら、そうかもしれない。

しかし、バックグラウンドも、国籍も、英語のレベルも、ビジネスの経験値も、年齢も違う私たちが、フラストレーションがそんなになく、1つのビジネス計画を作成しようっていう想いでつながるってすごいことだと思う。


ここに来た当初は、こんなことを感じる余裕さえなかったし、ディスカションになんとかついていく、自分のパートを完璧にやることが精一杯だった。

できれば、能力の高い人のいるグループには入りたくなかった。


でも、今この人たちの中にいて、comfortableに感じられる余裕ができた自分が存在していることは、この6か月の成果だったのではないかと思う。

環境が私を作るっていうけど、ここに来た当初はレベルが高いくらいに感じていたコースも、そのレベルの高い人たちの中にいれば、そこに到達しようと思って、難しい・無理だって感覚がマヒしてくる。

正直、無理って思っている余裕がなかった。そういう前に、進めないと終わらなかった。

今日のこの感情を得ることができただけでも、私のこの6か月は無駄じゃなかったと思う。

もちろん、明日のプレゼンが成功して始めて振り返れることだけど。



最近、チーティング(カンニング)が、うちのクラスで大問題になっています。

(チーティングしている本人は全く問題になってることにはきづいていない)


私は、チーティングされた側。(他にもチーティングされた人はいるよ。私だけじゃなくて。)

チーティングしてるのは、教科書を買っていない韓国人たち。

彼らの気持はよくわかる、教科書買うのも、勉強するのも嫌だけど、単位は取りたいからっていう気持ち。

私は基本無関心。別にしたければすればいい。ただ、私はパーフェクトじゃないからね。


私の意見は、チーティングしていいけど、君のためにならないよね。

今、この瞬間は楽しくって遊んでればいいけど、本当にビジネスをやっていきたいのなら、

今、この瞬間にちゃんと勉強することも大切なんじゃないの、ってこと。

ただ、英語で韓国人に指摘するのは、ちょっとためらう。日本語で日本人だったら絶対指摘してる。


韓国人の集団は、彼らの友達がチーティングしてるって知ってるのに何も言わない。

無法地帯。


結果、先生は公に何かを注意するわけでもなく、うまーく

「テスト中は、しゃべらないこと。教科書買ってない人は、先生は2冊予備を持っているから使っていいよ」

って言ってくれて、しかもうまーく、チーティングができないような広い教室に部屋を変えて。

私達の知らないところで、大学側にこの問題を指摘していたようで。

彼はとっても、スマートだ。


最近思うこと。

冷静なことと、無関心なことは違う。私は結構無関心にしてしまっていることが多い。

本当にその人にとって良くないと思うことは、直接ちゃんと言わなくちゃいけないし、

私が悪いことをしていたら、言ってもらいたい。流されちゃダメ。


それで、関係が崩れるのなら、それだけの関係だったってこと。

友達関係はもちろん恋愛関係でも同じだと思う。

私が直面する様々な場面において、私が判断を誤ることがあれば、率直に教えてもらいたいし、指摘してもらいたい。だから、私も言いたいことははっきり言う。(日本語なら) 

そうしないと長期的な関係は築けないと思う。


他人との間におこるさまざまな問題に対して、その二人が全く同じ考えを持つなんてありえないと思う。

それは相性がいいっていう名目の下で、単に合わせているだけだと思う。

今すべきこと、今この瞬間に大事にしなくちゃいけないことに対する私の判断が、もし間違っていたら、

それを冷静に客観的に見て、指摘してくれる、そんな人とは長期的な関係が築けるんじゃないかって思う。


もし、その二人(もしくはその集団)が全員その目を持っていないんだとしたら、そういう眼をもった違う人を探した方がいい。  今すべきこと、今この瞬間に大切にしなくちゃいけないことは何ですか?


私にとっては、早く日本に帰りたいし、無理して徹夜してこんな年で勉強する必要もないし、日本に帰れる余裕もあるし、日本のご飯とかの方がおいしいし、友達にも会いたいし、精神的にも物理的にも、すぐにでも日本には帰れる。

でも、私にとってそれはベストな選択じゃないってわかってる。

今は、無理してでも、つらくてもここで生活して、勉強して、何かを学び取る必要があるんだと思ってるし、決めてる。それが、今すべきこと。


さて、あなたは?