全8公演中6公演を見ました。
Wキャストの真拆役は、ゆみこちゃんと久保田くんがちょうど3回ずつになりました。

あえて原作を読まずに初日を見て、それから原作を読み進め、千秋楽の前に読み終えました。
原作の方が当然ながら描写も細かくて説明も多いため、徐々に作品に対する理解が深まったとは思います。
でも朗読劇だけでも、原作のもつ妖しい美しさ、哀しみや切なさ、異世界に迷い込んだような雰囲気はうまく伝わっていたと思います。

原作も舞台もラストシーンは曖昧で、読み手(朗読の場合は聞き手)に解釈をゆだねるような作品です。
夏希さんは原作者の平野先生に直接伺ったそうですが、先生も「これ」と最後を決めて書かれてはいないそうです。
読み手が色んな風に取れるように書いたとか。

終演後に水友さんたちとそれを話し合うのも楽しかったですね。
そのままファンタジーと思ってもいい。
あるいは神経を病んでいる若者=真拆の夢想とも思えるし、ライ病の老婆である高子が考えた妄想にも思えます。

しかし女性の裸体を夢に見て、背中しか見えないのに「若く美しい」「愛している」って……おいおい真拆くんよ、それはどうなんだい?って気はしますが。
なんとなく作品に不快感があったのは、この男性目線のせいだと思います(苦笑)
まあでも「顔(かんばせ)はすこぶる美しい」という真拆を、あれやこれやで無理やり呼び寄せる高子も一緒ですけどね(笑)

私の感覚では、ゆみこちゃん真拆だと「高子の見た夢」に、久保田くん真拆だと「真拆の見た夢」に思えました。
ゆみこちゃんはやっぱり本物の男ではないから「理想の男性像」という感じが強くなるのかもしれません。
久保田くんだと「リアル男子の情熱」というものが迫力あって強かった。
真拆役を男女の俳優さんが演じることで、単なるイメージだけじゃなくて、そういった話の解釈自体も変わってしまう。
それも演出家の谷さんの狙いだったのかも?

夏希さんは蛇の役に縁がありますけど、今回の高子は「エデンの蛇(テンプテーション)」や「メデューサ(ミロワール)」ではなく、やっぱり「アオセトナ様(スサノオ)」の系統でしょう。
日本の神話に出てくる蛇というと、実は洪水や土石流のことだったとか言いますよね。
高子の母親をはらませた大蛇とは十津川のことで、高子に呼ばれた人々は十津川に流されたのかもしれないですね。真拆も。

久しぶりに十津川や吉野に行ってみたくなりました。
しかし、あんなところに身を投げるなんて考えたくないわ←半泣きで十津川の吊り橋を渡った思い出(^_^;)