なんども感想を書き始めてはうまく言葉に出来なくて……
そうしているうちに東京公演は終わってしまいました。
事前情報で「重い」「社会派」ということは聞いていたし、冤罪事件という題材にビビッてしまってチケットは取っていませんでした。
でも初日を観た人の感想をTwitterで読んで「これはやっぱり勇気を奮い起こしてでも観るべきものに違いない!」という思いに抗えず、チケットを入手。
結果として、すごく「観てよかった」作品でした。
「楽しかった」とか「面白かった」とは言えないけれど「観て良かった」と今振り返ってもしみじみ思います。
観劇後は2晩連続で悪夢を見たし、すぐにリピート観劇する気持ちにはなれなかったけど。
もし再演があればまた、そのときには改めて観てみたいとも思います。
敗戦の恨み、富裕層への妬み、人種や宗教による考え方の違い、その土地独特の風習への違和感。
1つ1つは小さなこと、それらが大きくまとまったときの爆発的な嫌悪感。
異様な心理状態が蔓延し、誤った正義をかざす人々が犯した愚かな行い。
ほんの100年ほど前に実際に起きたことだと思うと恐ろしくて。
国や立場は違えど、今もどこかで起きていることかもしれないと思うと恐ろしくて。
そして、自分も加害者や被害者になってしまうかもしれないと考えると本当に恐ろしい。
だからこそ、こうして舞台作品にする意味があるのだと思う。
今、世界中がポピュリズムに傾倒している今、あらためて考えなければいけない問題なのだと思う。
そして、ミュージカルにする意味。
私のようなヘタレは、ストレートプレイだったら最後まで直視できなかったかもしれない。
美しい音楽と素晴らしい歌唱力と、視覚に焼き付けられる色彩の力によって、見続けることが出来た。
セリフでストレートに説明せず、観客の想像力にまかせる部分があるから自分でその想像をセーブすることも出来た。
(結局はセーブできずに2晩連続で夢を見たわけですが^^;)
でも美しすぎて怖くもありました。
パレードでにぎわう街の様子はきらきらと明るく楽しげなのに、その影では身に覚えの無いことで死の恐怖と戦う人がいる。
きれいなものだけ見ていたら、気付かないことがたくさんあるんだと思う。
実はこの事件の最後を知らずに観劇したので、最初はセットの大きな木を見て「風と共に去りぬ」を連想しました。
つまり「南部の象徴」「南部の誇り」として、そう「美しいもの」として私は捉えていたのです。
それが最後のシーンで、その大木が突然「恐ろしいもの」「愚かしいもの」になりました。
きれいなことだけを見ていたいけど。
耳に聞こえのいいことだけを信じていたいけど。
それじゃ自分もこの愚かな人々と同じなのかもしれない。
そう思います。
そうしているうちに東京公演は終わってしまいました。
事前情報で「重い」「社会派」ということは聞いていたし、冤罪事件という題材にビビッてしまってチケットは取っていませんでした。
でも初日を観た人の感想をTwitterで読んで「これはやっぱり勇気を奮い起こしてでも観るべきものに違いない!」という思いに抗えず、チケットを入手。
結果として、すごく「観てよかった」作品でした。
「楽しかった」とか「面白かった」とは言えないけれど「観て良かった」と今振り返ってもしみじみ思います。
観劇後は2晩連続で悪夢を見たし、すぐにリピート観劇する気持ちにはなれなかったけど。
もし再演があればまた、そのときには改めて観てみたいとも思います。
敗戦の恨み、富裕層への妬み、人種や宗教による考え方の違い、その土地独特の風習への違和感。
1つ1つは小さなこと、それらが大きくまとまったときの爆発的な嫌悪感。
異様な心理状態が蔓延し、誤った正義をかざす人々が犯した愚かな行い。
ほんの100年ほど前に実際に起きたことだと思うと恐ろしくて。
国や立場は違えど、今もどこかで起きていることかもしれないと思うと恐ろしくて。
そして、自分も加害者や被害者になってしまうかもしれないと考えると本当に恐ろしい。
だからこそ、こうして舞台作品にする意味があるのだと思う。
今、世界中がポピュリズムに傾倒している今、あらためて考えなければいけない問題なのだと思う。
そして、ミュージカルにする意味。
私のようなヘタレは、ストレートプレイだったら最後まで直視できなかったかもしれない。
美しい音楽と素晴らしい歌唱力と、視覚に焼き付けられる色彩の力によって、見続けることが出来た。
セリフでストレートに説明せず、観客の想像力にまかせる部分があるから自分でその想像をセーブすることも出来た。
(結局はセーブできずに2晩連続で夢を見たわけですが^^;)
でも美しすぎて怖くもありました。
パレードでにぎわう街の様子はきらきらと明るく楽しげなのに、その影では身に覚えの無いことで死の恐怖と戦う人がいる。
きれいなものだけ見ていたら、気付かないことがたくさんあるんだと思う。
実はこの事件の最後を知らずに観劇したので、最初はセットの大きな木を見て「風と共に去りぬ」を連想しました。
つまり「南部の象徴」「南部の誇り」として、そう「美しいもの」として私は捉えていたのです。
それが最後のシーンで、その大木が突然「恐ろしいもの」「愚かしいもの」になりました。
きれいなことだけを見ていたいけど。
耳に聞こえのいいことだけを信じていたいけど。
それじゃ自分もこの愚かな人々と同じなのかもしれない。
そう思います。